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幻想俯瞰飛行

生存記録を兼ねて長文を書くためのブログ。文章読んだり書いたりします。 

ASIAN KUNG-FU GENERATION『リライト』、10年の時を超えて語り直されるロックンロール

 いつも本の話(というかミステリの話)ばかりですが、今回は趣向を変えて音楽の話をします。
 といっても前に書いた通り、もともと高校時代にはてなで音楽ブログをやっていたので、個人的にはとても久々に音楽の話をするぞ、という感覚です。当時は批評の言葉も知らず、それどころか音楽批評を目の仇にしてきたところもあるので、今また別の言葉で語れるものがあるといいなあ、と思いつつ。


 結成20周年を契機にアジカンの名盤『ソルファ』が10年ぶりに再録されるとのことで、まさしく『ソルファ』を聴きまくった世代のアジカンファンとしては心待ちにしているのですが、再録版『リライト』のMVが発表され、さらにこんな企画まで。
natalie.mu
www.asiankung-fu.com

 フリースタイルダンジョンを観ていた身としては「すごい……R-指定がアジカンをトラックにフリースタイルラップしてるのが見られるなんて……」という感激もあるのですが(ACEともコラボしていましたし、後藤さん前々から結構ヒップホップも好んで取り入れられてるんですよね)、この企画自体がすごいな、と強く思いました。
 前述のCreepy Nutsはストレートに『リライト』のビートに乗せたフリースタイルで魅せていてカッコいいし、入江早耶さんの作品は初めて拝見したのですが消しカスでここまで創れるのか、という驚きと感嘆がありました。千原ジュニアの落語『死神』ネタは地味にうまい語り口にキレッキレのネタが合わさり、生ハムと焼うどんに至ってはもう何がなんだかわからないけど何故か謎の感動があります。
 ジャンルも表現方法も全く異なる四つの動画において再解釈された『リライト』。これは10年前にこの曲をリアルタイムで聴いていた身としては、また違った感慨があります。


 そもそも『リライト』とはどんな曲か。この時期のアジカンを追っていた人はわかると思いますが、いわゆるコピーコントロールCD問題についてのスタンスが色濃く出ている歌詞です。
 CCCD問題に関してはデビュー時から後藤さんは結構言及しており、まだ新人だった彼らは地位あるアーティストのようにNOを突き付けることも難しく、かなりの苦悩を強いられた部分も大きかったと思いますが、そうした葛藤や無力感がこの曲に結実しているのだと思います。だから「腐った心を/薄汚い嘘を/消してリライトして」なのですね。
 後藤さんのCCCD問題についての見解はこういう記事もあるので一読してみることをお薦め。
コピー・コントロール・ディスクを巡る回想記|Gotch / 後藤正文 / ASIAN KUNG-FU GENERATION / ゴッチ

 そういった政治的な言及を孕むプロテスティックなロックンロールであると同時に、この曲はアジカンの代表曲、ヒットナンバーでもありました。人気を博したアニメ『鋼の錬金術師』の主題歌に採用され、シングルは累計10万枚以上の売り上げを記録した(アジカンはアルバムが売れるタイプのバンドなのでこの数字は少なく見えますが)この曲は、よくも悪くも有名になりました。前述したサビの「消して、リライトして」というフレーズは独り歩きし、ある種ネタとしての消費も盛んに行われた(というか、現在も行われている)と把握しています。アップテンポな曲であることもあり、ライブではイントロが流れれば歓声が上がり、観客が拳を突き上げ盛り上がる場面が見られるまごうことなきアンセムといえるでしょう。


 作り手の意図から離れた個所で作品が独り歩きするのは珍しいことではなく、また否定すべきことでもないと思います。それはある種仕方のないことでもあるし、ヒットというのはそういうものでしょう。もちろんそういった作り手と受け手のズレにアジカンが悩まなかったわけではないし、それどころかものすごく考えてモノ作りをしていた人たちだと思います。『ソルファ』の次のアルバム『ファンクラブ』の一曲目を飾る『暗号のワルツ』が「君に伝うかな/君に伝うわけはないよな」という衝撃的なフレーズで終わるように。


 そういった苦悩をもどかしく見ていたひとりのファンとしては、この10年目の『リライト』は本当に感慨深いものでした。
 再録版のMVは旧版のMVの明確なパロディであり、『リライトのリライト』で再構築された『リライト』は、まさしく前述の「拡散していく中で多様な解釈が加えられさまざまな手法で消費されてきた『リライト』」じゃないですか。
 作り手の意志を汲んでCCCD問題について考え意見を表明してもいい。ただ純粋に音楽として楽しんでもいい。大好きなアニメのOPとして毎週楽しみにしていてもいい。カラオケで熱唱してストレスを発散するナンバーでもいい。ライブでみんなと盛り上がる曲でもいい。「けしてええええええええええ」とネタにされるのでもいい。そうやって書き換えられリライトされ、語り直されていくことで、この曲は人々の心に留まり、歴史に残り、永遠になっていく。
 もしかしたらこれは、自身の作品が戸惑うほどに広く消費されてきたこの10年間への、アジカンの一つの回答でもあるのかもしれない、というのは邪推がすぎるでしょうか。自分は勝手にそんな解釈をしてしまい、10年という時とその中での自分自身とアジカン双方の変化を思い、思わずうるっときてしまいました。

 
 と、ここまでファンの立場として書いてはきたものの、自分がアジカンを一番よく聴いていた時期は中高時代で(あの頃はロック聴くかミステリを読むかだったのです)、それ以降はライブに行く回数も減り、音源をぼちぼち聴くくらいには落ち着いた程度のファンです。飽きたとか好きではなくなったということでは全くなく、未だに「ああ、やっぱアジカンはいいなあ」と思うことがちらほらありますが、中高時代の自分のような熱量でいまアジカンを追っているファンの方の『リライト』への向き合い方ってどうなんだろうなあ。その辺はちょっと気になります。