幻想俯瞰飛行

生存記録を兼ねて長文を書くためのブログ。文章読んだり書いたりします。 

アジカンになりたかった17歳の私へ、誕生日によせて

 今から1年前、2016年の12月12日。私の26歳の誕生日。アジカンの再録『ソルファ』を聴き、思い出したようにライブの予定を調べてみたら、1月の武道館のチケットが申し込めたので、軽い気持ちで申し込んでしまったことは、昨日のことのように思い出せる。
 その武道館公演を観て、改めて深く感動し、アジカンに捧げた10代を思い出して、もう一度ファンに舞い戻ってしまった。そうして始まった2017年にはいろいろな出来事があって、いろいろな出会いがあった。音楽文.comに掲載していただいた文章で賞を頂いたり、後藤さんにサインを貰ったり、高校時代アジカンの話題を共有した友人とライブを観たり、ライブ後に大学のサークルの先輩とみっちり音楽の話をしたり、後藤さんのラジオでメールを読まれたり、トチ狂って岐阜まで遠征したり、映像作品集13巻の先行上映会に当選したり、アジカン×FEEDERツアー東京二日連チャンで足腰が死んだり、こうして並べてみると本当にアジカンに埋め尽くされた一年だったなぁと思う。去年の誕生日に直感に従ってライブのチケットを取らなければ、多分こうはなっていなかった。
 今年の前半は特に持病のキツかった時期で、精神的にもかなり参っていたときだった。我慢できないほどつらいことがあって、帰りがけに逃げ込むように浦和のタワーレコードに飛び込み、映像作品集12巻を買って帰ったことを思い出す。10代の頃の精神的支柱となったバンドに、私はまた戻ってきてしまった。それでも、そのおかげで現在は持ち直し、まあまあ安定した日々を送れているんだけど。

 前述の音楽文.comに掲載された文章は「『アジカンという呪い』を超えて」という題名だった。この「呪い」とは、アジカン自身にとっての「アジカンという固定観念」の呪いのことだけれども、私もまた、別の意味で「アジカンという呪い」の渦中にいた人間なのだと思う。
 先日、長い付き合いの地元の友人たちと飲んだとき、ふと高校から大学の頃のことを回顧して、「私はずっと後藤正文になりたかったんだ」という旨の言葉を口にしてしまった。ものすごく恥ずかしいフレーズではあるけれど、それは10代の私のまぎれもない本心だった。
 私はずっと、アジカンになりたかった。
 オタクで、陰キャで、非リアで、形容はなんでもいいけれど、学校という小さな社会にすらまともに馴染めずにフィクションばかりを愛していた中学生の私にとって、アジカンという存在は衝撃だった。
 Tシャツにジーンズでギターを掻き鳴らす、冴えない眼鏡の男。普通のお兄さん四人が集まって作り上げられる、ロックンロールという音楽。電撃が走るような運命的な出会いではなかったけれども、アジカンは私の生活を一変させた。ロックという未知の世界へ、私を誘ってくれた。自分たちだけでなく色々な音楽を聴いてほしいという、あくまでいち愛好家としての視点を失わない姿勢のかっこよさ。ナノムゲンフェス等の行動に移す決断力。現在に至るまで貫かれている、自己利益だけを目的としない広い視野。それでいて嫌味のない、「ひとのいいお兄さんたち」といったメンバーの人柄。それと対比するかのような、長い下積み時代の苦悩。言葉にすれば陳腐になってしまうけれど、惹かれた部分はたくさんある。
 音楽も、スタイルも、精神性も、何もかもが魅力的に見えた。ラジオ番組を毎週欠かさずMDに録音して聴き、後藤さんのweb日記をくまなくチェックし、新譜が出ればなけなしのお小遣いをはたいて買い、学校生活の合間を縫って年に何回かだけライブに参加した。オタク少女はアジカンに出会い、外面も内面も変わったし、付き合う友人も増えて、すっかり生まれ変わったかのように思えた。
 これはもう何度も口にしているし自虐的にネタにすらしている話だけれど、大学に入学したら軽音楽部に入ってバンドを組む、それが私の高校生活の最大のモチベーションだった。つまりは、アジカンと同等のルートを歩みたかった。私は自分がアジカンに、後藤正文になれるものなのだと確信していたし、そこに疑いはなかった。10代の稚拙な全能感だ。同い年のアジカン仲間と、大学に入って軽音に入部したら一緒に企画やろうね、みたいな話とかしてみたりして。懐かしいなぁ。
 でも、大学に入ってみて、私は自分が何も努力してこなかったことを知った。まず人間と会話できない(冗談みたいな言い方だけど、マジでコミュ障だったんですよ……)し、周りの学生の雰囲気にもついていけない。自分がメチャクチャ浮いてることを突き付けられる、地獄のような時間。軽音サークルの合同新歓ライブを観に行っても、同級生と話が進まない。それでもとあるサークルの新歓花見か何かに参加するところまでは頑張ったけれど、そこでとある人に冷たくあしらわれて、完全に心が折れて、私は軽音に入ることを諦めた(なんかこのくだり1月のライブレポでも書いた気がするので読んでる人いたら二度手間ですいません)。その帰りに会った人に救われたり、別のサークルに拾われて居着いたら天国だったり、いい事もいろいろあったんだけど。
 いま思えば甘えもいいところで、本気でバンドがやりたいなら他にいくらでもやりようはあった。そもそも気の合う人を見つけてきてバンドを組めばいいだけの話だし、学内にも学外にも様々なサークルは存在していた。それでも当時の私には限界だった。
 だって私は、後藤正文になれるって思ってたんだ。
 大学に入ったら、軽音の新歓に行ったら、私にとっての喜多建介に出会えるって思ってたんだ。
 誰しもが持ちえる10代の稚拙な全能感。私の場合は、その時に音を立てて壊れた、のだと思う。

 「私はアジカンによって変わることができた」。そう躊躇いなく口にできたのなら、どんなに幸せだっただろう。確かに表面的な部分は変わっただろうけど、本質は何も変わっていなかった。今の自分から目を逸らして、光り輝く人の外殻だけを真似ようとして、真似できると勘違いして、結局どうにもならなかった。後藤正文になりたいと願った10代の私は、しかし彼を何も理解していなかった。『ソルファ』が売れたことによる苦悩と疑心暗鬼も、『ファンクラブ』の葛藤も、その時期を身近に過ごしながらも、たぶん欠片も理解できていなかった。それだけじゃない。彼の目指すところも、その信念も、分かっていなかった(し、今も完全に理解は出来ていないんだろうな……)(他人のことを完全に理解できる人間なんて存在しないっちゃそうなんですが)(でもそんな相手に憧れてたなんて茶番じゃないですか)。
 結局、私はその挫折とちゃんと向き合わないまま、大学生活を過ごしてしまった。バンドを組むことも、企画を運営することも、音楽関係の企業に就職することもできなかった。それならそれで、新しい目標を見つければよかったけれど、それも出来なかったと思う。軽音の代わりに居着いたサークルはとても良いサークルで、生涯の友人と経験を得たと思っているけれど、私はその素晴らしい居場所を何も生かしていなかったんじゃないか、と未だに思っている。
 バンドどころか、ギターだって続かなかった。音楽を聴き続けるのもつらくて、ライブからも足が遠のいた。それが原因なのか、はたまた別の何かだったのかは思い出せないけれど、震災の後あたりにツイッターで後藤さんのフォローも外してしまった。
 時間軸は前後するけれど、軽音入部を諦め、なんとか出身サークルに居場所を見つけられるようになって、音楽からもちょっと離れかけていたときに、佐野元春のザ・ソングライターズで後藤さんがゲスト出演している回を観た(ググったら2010年7月らしい。二年生の夏ですね)。某大学を会場に講義形式で進められていたその番組で、後藤さんに歌詞についての質問を投げかけたのは、私と同じ大学の(もしかしたら同い年だったかもしれない)学生だった。それを見た瞬間、悔しくてめちゃくちゃに泣いてしまった。なんで私じゃないんだろう、なんであの人なんだろう、と。
 思い上がりも甚だしいし、滑稽だし、どうしようもない感情なんだけど、それでも私はひどく絶望して、文章を書く意味なんてないと思った。私はアジカンではないし、アジカンになれないし、アジカンに選ばれることすらできない。そんな当たり前に飲み込むべき現実を飲み込みたくなくて、自分が夢と呼ぶのも烏滸がましい傲慢な欲求に縋りついていたことに直面させられて、泣くしかなかった。今も書いてるだけで失笑がこみ上げてくるくらいどうしようもない人間だな。

 結局、そんな怨念を消化することもできずに大学を卒業し、社会に出て、出てというか全く社会人を全うできていないけれど、今に至る。私はずっと、そのことから逃げていた。自分自身と向き合わないまま他人の影ばかり追いかけて、ようやく他人が自分でないことに気付いて、自分の姿を改めて見直して、そのあまりの虚ろさに恐れおののいて、対峙することから逃げたまま生きてきた。
 体調不良から自分自身の身体、ひいてはそれと連なる精神に向き合わざるを得なくなった26歳の私が、アジカンと再会を果たしたのは、ある種運命だったというか、天啓のようなものだったのだと思う。アジカンを聴くことは、アジカンと向き合うことは、私が自分から逃げ続けてきた10代と向き合うことに他ならなかった。
 音楽文.comの「『アジカンという呪い』を超えて」を書いたときも、6月にとあるイベントで後藤さんにサインを頂いたときも、私はそれらの過去を過ぎ去ったものだと思っていた。だからこそ、このブログの1月のライブ記録でも、「『アジカンという呪い』を超えて」でも、私は過去を完全に俯瞰した視点で記述している。けれど、よく考えて、向き合ってみて、私はずっと過去に縛り付けられているのだと知った。
 アジカンに、後藤正文になれなかったどころか、それに挑むことすらできなかった。
 別の軽音サークルに入れていたら? 他所でバンドを組めていたら? 一人でも楽器を続けていられたら? 音楽関係の仕事に就けていたら? 何か踏み出せていたら、こんなに引きずられることはなかっただろうか?
 人生にifはない。今更過去を省みたところで、何かが変わるわけでもない。それでも私は、朽ちた夢の残骸から先に進めない。
 この1年は、再びアジカンと出会い、彼らのいまを知り、私が過去の自分と向き合うためのものだったように思う。私自身の「アジカンという呪い」と向き合い、決着をつけるために、私は再録『ソルファ』を手に取り、武道館へ赴いたのだろう。

 この1年、再び10代の頃のような熱量をもってアジカンを追いかけて、何か決着がついたのかと問われれば、何も変わっていない。それどころか、むしろ「10代の頃の夢に決着をつけることなんて無理だ」ということをすんなりと受け入れられるようになってしまった。
 私は未だにアジカンの新譜を心待ちに生き、ライブに赴いては涙し、後藤さんに憧れ、2010年に彼から貰ったリプライをお守りのように見返しながら(キモいな!)過ごしている。10代の頃と何も変わっちゃいない。アジカンは悩み苦しみ間違いながらも前に進んできたというのに。
 10代の頃に思い描いていたような大人にはなれなかった。バンドもやっていない、音楽関連の仕事もしていない、結婚もしていないし身の回りのことも一人でこなせない、知識も教養もない、音楽を沢山聴くこともできない、仕事帰りにライブハウスにふらっと立ち寄れたりしない、今後ブレイクするバンドマンの友人もいない(そもそもバンドやってる友達いねえな……)、見た目は垢抜けない、精神も幼いまま、こんな文章を書いているくらいみっともない、そんな大人になってしまった。10代の頃の自分が今の自分を見たら、たぶん生きていく気力を失うだろう。
 でも。それでも、今、割と楽しいよ。
 アジカンにはなれなかったし、今後も一生ああはなれないけれど、それがとても悔しくて、未だに受け入れられていないけれど、でも、人生は案外楽しい。あの頃思い描いていたようにすらすらと音楽を語れる文化人としてではなく、アホなミーハーとしてアジカンを追いかけているのも、それはそれで面白い生活だよ。
 だって、アジカンはそんな私も許してくれるバンドでしょ。アジカンを好きでいることは、それだけで楽しいことでしょ。決して手の届かない遠い星を見つめるのも、それなりに悪くない人生だよ。

 多分この怨念は一生引き摺って行くしかないもので、今までは恥ずかしくて口にできていなかったけれど、もう隠すのもやめた。ベラベラ喋ろうと思った(なので余所でも書いたりしている)。
 体系的な音楽史に明るいわけでもなく、豊富な教養に基づく的確な批評ができるわけでもなく、楽器経験や理論知識から楽曲を解明できるわけでもなく、文学方面から歌詞を分析できるわけでもなく、ファンとしてバンドに関する知識を蓄積してきたわけでもない私がアジカンを語るには、こうやって自分の怨念を切り売りするしか、もう方法はない。別にそんなもん聞きたくねえと言われるかもしれない(特に豊富な知見をお持ちの音楽好きの方々には)。
 知るか。語らないと私が死ぬんだよ。語らせてくれよ。私はこうやって書くことでしか、自分をなんとかできないんだよ。
 私にだってアジカンを語る方法はあるって、そう思わせてくれよ。
 だって私はアジカンになれなかったんだからさあ。

 それにしても、こんな重いもの(自分で言うか?)を背負わされているアジカンって、本当にすごいバンドなんだなと思えてしまう。いや、別にそれはアジカンに限った話ではないのだけれど、というか音楽に限った話ですらないけれど、アジカンの、というか後藤さんのすごいところは、あくまで人間としてそれらを受け止めているところだと思う。いや、他の人が人間じゃないとかそういう意味じゃなくて、比喩です。
 先日ツイッターで流れてきたライブのレポートで、かつて一番売れていた時期はファンの気持ちに応えようとするのがつらかった、といった旨の(元の発言を聞いたわけではないので、正確なニュアンスを理解していなかったらすみません)MCを後藤さんがされていた、という話を見た。そりゃそうだよなぁ、と思った。私自身、アジカンがなかったらどんな10代を送っていたのかわからないし、それを想像しようとすると恐ろしくなる。
 私の感情や人生は私一人が背負えばいいけれど、それを何百人、何千人、何万人分託されるミュージシャンは、いかなる重圧をその身に背負っているのだろうか。それを完璧に背負いこなせてしまう人もいるんだろうし、そういう人こそが人前に出る仕事を天職とするんだろうけれど、アジカンは、後藤さんは多分そうじゃない。『何度でもオールライトと歌え』を読んでいても、彼は迷い、狼狽え、苦しみ、それでもなんとか足掻こうとする、特別に強いわけではない一介の人間でしかないように思える。
 それもまた、「アジカンという呪い」なんだろうな(我田引水)。彼らはそれを背負うことを決めた。そう思うと、私も自分の人生くらいは自分で背負っていかなきゃな、という気持ちにさせられる。

 誕生日ということで、この1年を総括する文章を書こうと思ったんだけれど、この1年を語るにあたってアジカンはどうしても外すことができず、そうなると「アジカンという呪い」の話になってしまうので、こういう風になるしかなかったのでした。
 でも、嬉しいのは、こういうことをちゃんと言語化することで、理解してもらえる部分が生まれてきたということ。そして、案外私のような人間が(対象がアジカンであるかどうかは差し置いて)この世の中には存在するんだな、ということがわかったこと。そりゃそうだよな。夢が叶う人間のほうが少ないもん。
 あと、ナラティブセラピーとかの話に繋がるんだけど、こうして自分の認識しているライフストーリーを語り直すということは、自分の人生に新しい発見を見つけ、さらにそこに新しい意味を付加することなんですよね。私はアジカンを語る中で、自分の人生を語り直してるんだな、と思う。
 私の人生は私のもので、私の挫折も私のもので、だからこそ「アジカン? 昔流行ってたよね」「最近聴いてないな~」「まだ解散してなかったの?」「ボーカルがなんか政治の話してるでしょ?」「ソルファ、昔のほうがよかったね」みたいな輩に軽々しく私を再解釈されたくない。そこに抵抗するには、こうやって言葉にして、伝わる人に伝わってくれることを祈るしかない。まあ、書いた時点で割と満足はしてるんですけどね。なんか書いててちょっと泣きそうになって自分でもキモいな。キモいオタクすぎるな。

 そんなこんなで27歳になりました。カート・コバーンが自ら命を絶った年齢ですね。他にもジミ・ヘンドリクスとかジャニス・ジョプリンとかジム・モリソンなんかも27歳で亡くなったそうで、ロックミュージシャンの鬼門とか言われてるらしいんですけど、まあ私はロックミュージシャンではないので多分関係はないし、27歳を過ぎても普通に生きていくんだろうな。
 でも、それでいいじゃん。
 こうやって自分をどんどん客観視できるようになってくるし、年齢重ねるごとにレベルアップしてる感じがするので、歳を重ねるのは割と嫌じゃないです。歳で失われる美貌なんてもとからないしー? もともと病弱だから体力もないしー?
 27歳を過ぎたロックミュージシャンは「ああ、俺は天才やなかったんやな」と思うものなんでしょうか。私もまた、27歳になってみて自分が特別だと思っていた頃を振り返っているわけで、なんか運命的なものを感じるような感じないような、そんな感じです。
 特別じゃなくてもいいじゃん。所詮ただ凡庸知って泣いて。そういうものが人生じゃん。七転八倒しながら暗中模索していくしかないじゃん。
 悲しくなったり、切なくなったり、ため息吐いたり、惨めになったり、いつかは失ういのちを思ったり、それでも僕らは息をするんだよ。キモいオタクなので引用しました。
 生きます。