幻想俯瞰飛行

生存記録を兼ねて長文を書くためのブログ。文章読んだり書いたりします。 

【再掲】 17歳のきみへ、或いはASIAN KUNG-FU GENERATIONという弱い魔法



 以前どこかで何かに応募して賞をもらった文章、それらの過程にブチギレてアカウントごと消したので長らくネット上から下げていたのですが、なんかそろそろいいかなと思うのでブログに再掲します。
 当時ご反応くださった方々、ご感想を送ってくださった方々、ありがとうございました。思う所はいまでもゼロではありませんが、これを書いて世に出したこと自体は結果的に良かったなと思っています。
 あと、これを書くにあたって多大な影響を受けている月の人さん、本当にありがとうございました(ファンの私信)


17歳のきみへ、或いはASIAN KUNG-FU GENERATIONという弱い魔法



 やあ。元気にしているかい? 
 いまでも思い出せる。17歳になった日の僕――つまり、きみだ――は、誕生日をアジカンのライブで過ごした。あの年の酔杯はライブハウスツアーで、会場は確かZepp Tokyoだった。海風が寒かったことをよく覚えている。高校生だし、ちょうど期末試験の試験休みの期間だったんだろうね。
 ASIAN KUNG-FU GENERATIONというロックバンドを聴き出したのが14歳、ラジオの聴けるCDコンポを手に入れたことで彼らのラジオ番組を耳にして本格的に追いかけ始めたのが16歳になってから。多分、楽しい盛りだったんだろうな。
 あの時のこと、鮮明に思い出せるよ。後輩と一緒に取ったチケットは50番台。運よくベースの山ちゃん側の前から二列目ほどまで行けたんだよね。押しつぶされて大変だったけど、メチャクチャに楽しかった記憶がある。当時はライブで披露したばかりだった新曲「No.9」もとても良かったし、何よりきみはそのライブで山ちゃんのピックを取ることができたんだ。あの興奮は忘れられない。一生涯、記念に残る思い出だね。勿論、今でもそう思っている。
 きみは、アジカンのことをどう思う?
 好き? そうだね。今の僕だって同じだ。大好きだ。
 ただ、僕はきみにひとつだけ、残酷なことを告げる必要がある。

 アジカンは、きみを救わない。

 驚いたかな? あるいは気分を悪くした? 少なくとも、この物言いにきみが肯定的な感情を持つことはないだろう。それでも、どうかこの先の言葉を聞いてほしい。僕は今でもアジカンが大好きだし、ゴッチのことを敬愛している。僕の言葉が信用に値する証左としては、それで十分だろう。

 ときに、きみは何故アジカンが好きなのだろう?
 もう少し言い方を変えると、アジカンというロックバンドの魅力はどこなのだろう?
 そんなの一言では説明できない、ときみは言うだろうね。僕も同感だ。
 それでも、僕が思うに、アジカンの強みのひとつは、その表現が必ず「だれか」に接続しているということだ。

 きみは「君繋ファイブエム」をよく聴いているよね。ということは、そのアルバムタイトルが指すテーマのこともよく知っているだろう。現代社会の中で希薄化していく「君と僕の半径5メートルのリアリティ」に立ち返ること、それこそが彼らが謳った現実との接続方法だった。その実感をどれほどきみが意識していたかはわからないけれど、これはアジカンというバンドの根源的なテーマとして、今に至るまで歌いつがれている。
 きみはまだ「ワールド ワールド ワールド」の発売に立ち会っていないから、彼らの「社会」「世界」との立ち向かい方について考える機会もそうそうなかっただろう。びっくりするかもしれないけれど、社会との接続不全の象徴として「ワールドアパート」でアメリカ同時多発テロ事件のモチーフが使われたことの延長線上で、「ワールド ワールド ワールド」では現実社会に存在するインシデントがいくつも下敷きとして使われることになる。「No.9」という曲名でうすうす気づいているように、反戦とか、米軍基地問題とか、そういう話題が盛り込まれてくるわけ(しかも、歌詞としてはいい意味でかなり巧妙なやり方だ)。
 きみの大好きな「ファンクラブ」は、きみが感じた通り、非常に内省的なアルバムだった。「鬱アルバム」なんて言われるけど、彼らが深く己の裡に潜ったのは、その先の光、ひととの繋がりを得るためだった。「君に伝うかな 君に伝うわけはないよな」(「暗号のワルツ」)という絶望的な結論から始まったアルバムは、「手を伸ばして意味の在処を探して 見失った此処が始まりだよね そうだね」(「タイトロープ」)という反転によって終わる――ちなみにこの「喪失と獲得の両義性」も、アジカンの重要テーマのひとつだ――。
 「だれか」と繋がれない絶望すらはじまりと見做して、「心の奥の闇に灯を」(「センスレス」)灯す。その覚悟を決めて前に進んだアジカンの行く先が、「ワールド ワールド ワールド」という色彩豊かなアルバムだったことは、僕は救いだと思う。そして、彼らが選んだ「だれか」に繋がるための手法も。

 「君と僕の半径5メートルのリアリティ」を取り戻した僕たちが向かう先は、「だれか」であり社会だ。

 「ワールド ワールド ワールド」にみられる現実社会の混迷や諸問題、その最中にあって社会に存在する僕らとして「だれか」にコミットするのを選び取ること。その手法としてのロックンロールがあるということを、「新しい世界」は歌っていた。その為ならば、音楽としてどう位置づけられるかなんてたいした問題じゃない、ってこと。月並みな言葉だけど、ロックだよね。「出来れば世界を僕は塗り変えたい 戦争をなくすような大逸れたことじゃない だけどちょっと それもあるよな」(「転がる岩、君に朝が振る」)の結論としての「目の前の景色を全部塗り替えるのさ」「新しい世界」(「新しい世界」)。きみも僕も、世界を変えられるほど大仰な存在ではないけれど、手近なところから良くしていくことはきっとできるんだ。世界を変えるんじゃなくて、新しい世界を。
 続く「マジックディスク」は、いろいろな意味で問題児みたいなアルバムなんだけど、きみには是非ゆっくり時間をかけて聴いてもらいたい。かつて「繋いでいたいよ」(「未来の破片」)と歌った彼らが、その姿を「屍」と形容し、「『繋いで』いるような素振りに掴まって浮かんでも 死ぬまで細胞は個の壁を乗り越えないだろう」(「イエス」)とまで斬り捨てるその様は、もしかしたら酷く衝撃的かもしれない。ゼロ年代という内省の時代への決着ともいえる、自意識の葛藤を終わらせようとするこのアルバムは、日本のロックシーンにおいて非常に意義のあるものだとは思うけれども、同時に捨て身の痛々しさのようなものも感じる、中々に複雑なアルバムだ――そして、彼らの「自意識の檻からの脱出」はここでは完結していない、と僕は感じる。

 アジカンの表現が必ず「だれか」に接続していること。社会への視座。そういうテーマだと、ここから先はどうしても避けては通れない話になる。
 2011年、この国を大災害が襲った。東日本大震災
 マグニチュード9.0を記録したこの大地震の余波は、いまだにこの国の各所に残っているほどだ。君は関東で生まれ育っているから、おそらく生まれてきて遭遇した中でいちばん大きい地震がこれになるだろうね。ちょっと教えてしまうと、アルバイト先の会社で遭遇して、帰宅難民になって、携帯の充電が切れて、大変な思いをするんだよ。そうなりたくなかったら、携帯の充電、常日頃からちゃんとしておいてほしい。
 そんな経験なんて些細なものになるくらい、この大災害の被害は大きかった。きみにも東北出身の友人ができるから、より身近なものとして感じることになるだろう。当たり前だけど、災害は社会と密に関係している。政治や福祉、国際関係、経済、教育……なんでもいいけど、切り口は本当にいろいろあるし、そんな切り口をこの国の傷口として晒すことになるのがあの災害だった。もちろん、芸術やエンターテイメントがその影響を受けないはずもない。色々な動きがあったよ。「シン・ゴジラ」って映画はとても良かったから、公開されたらすぐ観に行くといい。
 アジカンの話に戻ろう。「マジックディスク」リリース後のツアーで険悪な状態に陥るほど、彼らは緊迫していた。きみもうすうす感じているだろうけれど、アジカンってずっと仲良しでいられるようなバンドじゃない。四人が四人、音楽に対して真摯で譲れないものを抱えているがゆえ、ときにぶつかり合うことも多かったはずだ。いつだったか、きみは「五年後、アジカンが解散していないといいな」なんて言っていたね。そういう雰囲気を、ちょっとは感じ取っていたのだと思う。
 ツアーの最中で、あの災害が訪れた。65ヶ所75公演を予定していたそのロングツアーは、70公演を終えたところで中止に見舞われる。そういった事実の羅列だけじゃなくて、アジカンは震災を「契機に」動く。離れかけていた四人の心が、ふたたびアジカンというバンドに集まることになるんだ。例えば震災前からゴッチが原発問題に関心を抱いていたことは当時の日記を見ればわかるし、その延長線上ともいえるのだけれど。
 2012年の「ランドマーク」は、「マジックディスク」に続き、また異なる意味でも時代の反映といえるアルバムだ。チャットモンチーのえっちゃんをゲストに迎えた「All right part2」にみられる「オールライト」概念=ロックンロールのもつ無限の肯定と赦し、またある面では「N2」「1980」のような鋭い現実社会や己への懐疑、その混沌とした同居はまさしく震災後のアジカンらしいそれだったように思う――そして、アジカンの、僕たちの現実への困惑そのものでもある。最後のトラック、「アネモネの咲く春に」で歌われる深い喪失と絶望は、例えば過去の「暗号のワルツ」とはまた違った悲しさに満ちていて、これまた名曲。じっくり味わってほしい。

 そして、このこともきみに伝えなくてはならない。
 きみはこの時、アジカンを熱心には聴かなくなっている。

 それが何の為だったのか、今となってはよく思い出せない。
 17歳のきみはよく夢想していたことだろう。「大学に入って、アジカンみたいにバンドが組みたい」。綺麗な夢だと思う。きっと、同じような夢を抱いたひとはたくさんいるはずだ。だが、詳しいことはここでは語らないけれど、それは叶わない。きみは、ゴッチみたいにはなれない。
 悲しいね。あれだけ憧れて、あれだけ焦がれたのに。中学生の頃、きみはたくさん思い悩んで、苦しんで、いつかこの痛みのぶんだけ報われるに違いないと信じて、すがるようにアジカンを聴いて生きてきたのに。それも、思考停止の肯定じゃなくて、彼らが望むような「いいリスナー」「いいロックファン」になろうと頑張って。本当に懸命に、熱心に。

 何なんだよ、「いいリスナー」「いいロックファン」って。

 そうしてきみは挫折を経験した。高校球児として挫折したゴッチと同じ、なんて聞こえのいい言い方はできなくもないけど、きみの場合、単なる夢想家であって努力の果てのそれじゃない。敢えて酷い言い方をするのなら、只の阿呆だ。
 きみは挫折から目を背けるために、他のことに熱中したり頑張ったりした。それはそれで、よかったよね。それでもまだ、アジカンを聴くと心の傷が開いた。周りからは「別の趣味ができた」とか「大学が忙しい」とか「震災以降のアジカンがあまり好きじゃないの?」なんて思われてたみたいだけど、ほんとうはただのくやしさだったのかもね。

 ほらね。アジカンは、きみを救いはしなかった。

 きみが――僕がアジカンと再会したのは、原点回帰のストレートで骨太なロックンロール・アルバムである「Wonder Future」(「オペラグラス」は名曲であり、ゴッチが笑ってしまうようなこのイントロこそが、「アジカン」である意味なのだ)を経て、再録「ソルファ」のときだ。
 12年を超えた再録がどういう意味なのかなんて深く考えずに、僕はこのアルバムを手にとった。懐かしいから、という単純な理由だ。アニメ「僕だけがいない街」の主題歌の、「Re:Re:」のセルフカバーが良かった、っていうのも大きい。
 それまでも、ライブに行ったりインタビューを読んだりこそしないものの、アルバムが出るたびに聴いてはいたんだよね。ただ、この再録「ソルファ」がメチャクチャに良かった。あの頃の、若々しさのなせる技である「ソルファ」が、こんなにきちんとアップデートされていることに驚いた。音像もくっきり立体的になって、ギターの音色には大人の色気があるし、ゴッチの声も深みを増した。
 それで、20周年ツアーの武道館公演のチケットを取った。あとはズブズブ。今に至る。
 去年末に出た「ホームタウン」ってアルバムが、また良いんだよ。多分、17歳のきみが聴くことができたら、びっくりするとは思うけどね。でも、「あ、これが未来のアジカンなんだなぁ」って納得してくれる気もするよ。
 「君と僕の半径5メートル」の敷衍である「だれか」への接続も、もちろんアジカンはずっと拡張してきている。きみには是非、足を緩めて雨を超え、「だれか」に出会う曲である「UCLA」を聴いてほしいな(ちなみに、このタイトルはレコーディング時にドラムの潔の服に書いてあった言葉をそのまま取ったらしい。おじさんになっても遊び心があるでしょう)。南北朝鮮を下敷きにラブソングに仕立て上げた「さようならソルジャー」みたいなものもあるし、「ボーイズ&ガールズ」という「喪失と獲得の両義性」テーマをやりながらも、いまのアジカンにしか歌えない未来を目指す歌もある。
 「ホームタウン」はパワーポップというジャンル的原点回帰でもあるけれど(ウィーザーリヴァース・クオモとの共作もあるんだよね、すごいでしょ)、サウンドメイキングといいテーマの咀嚼の仕方といい、新規性も十二分にあるアルバムだと思っている。すごいんだよね。結成20年超えても、アジカンってちゃんと進化してるんだよ。だから飽きない。
 ギターの建さんも禁酒したしね(きみ、もしかしたらこれが一番驚くんじゃないかな?)。

 ここまでアジカンのそれからを語ってきて、彼らの持ち味が「だれか」への接続を目的とした表現であることはわかってくれたかな。私見だけど、少なくともいまの僕が何故アジカンを好きなのかと訊かれれば、このあたりを答えとして返すだろう。17歳のきみはまだそこまで深く考えていないだろうし、言語化もできていないかもしれないけれど、少なくともアジカンが「君と僕」の関係性だけ語って終わるバンドだったのなら、ここまで人生を揺るがされてはいないだろうね。良くも悪くも。
 アジカンというバンドに、強固に、頑固に、ひとつの芯が備わっていたからこそ、きみは大きく感動し、多大に影響を受けたのだろう。
 それがたとえ、きみの世界をきみだけで閉じさせない、「だれか」とコネクトしていこうとするものだったとしても、だ。

 アジカンは、きみを救わない。
 きみの人生に結論なんて出さない。きみにこうすべきとも言わない(そんなもん、きみが勝手に内面化してるだけなんだ。僕を見ろ。ゴッチにだって従わないぞ。上司には従わされるけどな)。きみのつらさ、悲しみをピンポイントに掬い上げてなんてくれない(それに近いことを感じることはあるけど、それはアジカンが推進力になってきみがきみを掬い上げているんだろう)。無条件に肯定もしてくれないし、癒してもくれない。当たり前だけど、ロックンロールは精神性になりえても宗教じゃないんだよな。
 アジカンを好きでいると、つねに「だれか」との繋がりに巻き込まれてしまう。面倒くさいかもしれないけれど、でも、それもいいところのひとつだと僕は思っている。
 きみにだって、心当たりはあるだろう? 17歳にもなれば、社会というものがどういった実在を伴っているのか、だいたいわかってきていい頃だろうから。
 そうだ。アジカンはきみを救わないけど、きみはアジカンを経て、ほんのちょっとだけ変わった気持ちになれたじゃん。それは素晴らしいことだと、僕は思う。まだまだ狭いきみの視野に「だれか」が組み込まれていったのは、成長だ。だから僕は、きみが十代でアジカンに出会えたことを、誇らしく思う。そして、アジカンに、とりわけゴッチに、ありがとう、と思っている。

 アジカンが世界を変えなくても、きみを救わなくても、その弱い魔法によって、きみは前に進めたんだ。

 いろいろと苦しい話もしてしまったかもしれない。実のところ、きみのその後の人生は、まったくもって順風満帆とはいえない。かけがえのない友、楽しいこと、そういった宝は沢山あるけれど、それと同等どころではない、しんどいことのほうが多い。いまの僕だって、完璧に楽しい人生を送っているわけでもない。つらいよねえ、人生は。
 でも、ありがたいことに、アジカンは続いている。そしてきみは、アジカンを好きでい続けている。それって、ちょっとだけ希望にならないかな? いろんなつらさを抱えている十代を超えた先の、ご褒美みたいなもの、って考えられないかな? ま、どう捉えるかは、17歳のきみしだいだ。

 ゴッチが言ってたんだよ。ロックンロールは、例え荒野からでもオールライトと鳴らすものなんだ、みたいなことをさ。

 だから、大丈夫だ。アジカンもそう言ってるしね。
 そういうわけだ。きみは身体が弱いから、体調には気をつけて、ま、ゆっくりとやっていってほしい。
 じゃあね。

 追伸。
 五月に出た、「解放区」っていう曲が、ものすごくいい曲なんだ。アジカンの歴史の中でも、抜きんでていると思う。ただ、この曲がどうすばらしいかは、ここ数年のアジカンの「音楽と自由」ってテーマへの向き合い方の文脈の上に知って欲しいから、きみはちゃんと、この曲のリリースまで生きるんだよ。そうしたら、いいことがあるぜ。


(2019/11/29 某所掲載)

近況(寝込んでたら家に隕石が落ちてラジオにハマる)

2020年は、こちらも世界も超大変な年という感じだったと思います。自分は直接的に大打撃を受けたわけじゃないんですけど(転職市場はヤバいのでするとしたらヤバいな)、いろいろな予定がおじゃんになり、スケジュールはぶっ飛び、社会のすさみ具合に精神的打撃を受け、とあまりいいことがなかった一年でした。出だしからしてアレだもんな~。

2021年こそは、社会的状況がすぐよくなれとは言わないけどもうちょっといいことあるといいな~! とか思ってたんですけど……。

・体調が死ぬ

2020年の暮れから体調を崩しました。正月はTRPGしてる以外はほぼ寝てるみたいな状況でした。持病のオンパレード人間のため、原因はわかる半分不明半分みたいな感じで今でも怖いんですけど、一月はほんとに家にいる時は寝込んでる生活だったのでマジで悲しかったです。熱も高めだったので怖かった。昨年の年始も精神的に嫌な思いをすることが続いて最悪だったけど、肉体的に最悪なのもまた最悪。健康は大事。もうちょっと元気復活したらリングフィット再開して、積極的に運動するようにしたい。


・住宅トラブルに見舞われる

そんな感じでガチガチに寝込みながらヒーヒー言ってたら、めちゃくちゃ緊急性の高い住宅トラブルに遭遇し、ヒーヒー言ってるまま各所に連絡をとり業者さんに来てもらい……となり、割とヤバめだったので普通の生活ができるまでにかなり時間がかかった。今でも避難させておいた家具を全部元に戻せてない……その元気がないので……
具体的な状況書いてもいいけど、ネットリテラシー的にはやめたほうがいいのかなと思って「家に隕石が落ちた」と言ってるのですが、マジでだいたいそれくらいのトラブルです。本当に???


・「匿名ラジオ」にハマる

他にも人間関係のこととか仕事のこととかいろいろあってマジで気持ちが落ち込んでいて、本当に何も手が付かない日々を過ごしていました。ツイッターのツイート数がマジで十分の一くらいになった期間だった。
好きな音楽もまともに聴けず(作品を鑑賞する姿勢が作れない、好きなものっていろいろネガティブな感情もついてきちゃうし)、情報も追えず(SNS見ないと情報来ないのにSNSはストレス負荷が高い)、という”虚無”の時間を過ごしていたのですが、そんなときめちゃくちゃ助かったコンテンツがありました。



匿名ラジオ/#163「ねえ、法律が存在しないサイゼリヤに行ったら何をしたい?」


それなりにインターネットをやっているボンクラどもならまず知っているであろうお笑い系webメディア「オモコロ」。その毎週更新されるネットラジオ番組のひとつ「匿名ラジオ」です。これめっちゃ面白い……面白くない!? 遅い!? すいません面白いものへのスタートダッシュが遅くて……
黒い目線がトレードマーク、身体を張ったとんでもねえ発想力の記事で人気を博す有名ブロガーARuFaさんと、眼鏡オンザ仮面の言葉巧みな知能派兼業小説家ダ・ヴィンチ・恐山さんという、アッパー系・ダウナー系オタクなお二人がパーソナリティ。ゼロ年代に青春をドブに棄ててきた”陰”のオタクの澱みをフルに発揮したサブカルチャーネタ満漢全席、存在しない話題への巧みな妄想力と丁々発止の話術を存分に見せつけてくれ、ラジオというよりひとつの作品のようにすら感じる。
匿名ラジオを説明するとき、こういう「ない話」が主軸であるということはめちゃくちゃ言われる気がします。上記リンクの回も「法律が存在しないサイゼリヤに行ったら」という、もうテーマの時点で「なんなんだよ」みたいな妄想なんですけど、この「妄想を起点とした会話」って文脈を共有した本当に仲のいいオタクとしか出来ない話題だよな……と思うと、お二人のトークにはそういう郷愁をも喚起させられます。あと仲良しの二人が暴言を吐き合ってるのが好きな人は絶対好き。
#135​『子ども100人と一緒にキッザニアに閉じ込められたらどうする!?』のような妄想起点に枝を伸ばしていく発想力の楽しい回があったり、#130​『海外のヤバい刑務所に収容されたらどうすればいいの!?』のように妄想がだんだんコントめいてくる回もあり、#233​『優しさと厳しさの「言葉の交互浴」で、落ち込んでる友達を元気にしよう!』のような話術極振り即興回もあり(恐山さんの機転・演技力・語彙がガンガンに浴びれる)、#195​『おい!!ARuFaが腹壊して救急車で運ばれちゃったじゃねーか!!!』のようなムチャクチャなセルフレポートもあり……どこから聴いても楽しい……
妄想系だと#67『自分たちがアニメ化された時のCMを考えよう!』も良かったな~~~。ちゃんと形になっている……(のか?)

同じくオモコロの先輩・永田さんがゲストで出ていた回(#73『ラジオの先輩を呼んでアドバイスもらおう!』)で、このラジオを「ラジオというより音オモロ」と形容していて、その「ラジオらしくなさ」の指摘には確かにFMラジオリスナーの自分からすると「リスナーからのおたよりもあまり読まず、時事や喋り手のパーソナルな話もせず、パーソナリティのテーマトークだけでここまで広げられるのすげぇな……」という感想があります。あんま聴かないけどAMの深夜番組とかのほうが近いのかな? と思うんですけど、それでもお笑い系の番組って結構リスナーのおたより軸になりがちだなと思うんだよな~。鬼玉とかラジアン水曜日にハマっていた頃を思い出す……。
そういうラジオに触れた経験がないので、「すげぇ!」と思うし、作品としての完成度はもちろんストレスフリーに気軽に楽しめるラジオとしてのクオリティにもつながっていると思います。一方で、永田さんの指摘は「もっとパーソナルな面を出していったほうがいいのでは?」みたいなものだったと思うんですが、それも回を進むごとにじわじわ滲み出てくるものを予言しているようで、そっちもすごいな……と……。
「ラジオという作品を不純物を排して作ってきた人たちが、それを作る過程で生成してきた物語という不純物が超いい形で滲み出る」回として、#165​『もっと仲良くなるために、お酒を飲んで腹を割って話そう!!』とか良かったです。音オモロとしての匿名ラジオを知った後に聴くとめちゃくちゃいい回。あまりにも出来すぎているのである程度演技なのかと思ってたら後日恐山さんの有料マガジンを読み「アレ、マジ酔いやったんか……」となるやつでした……。
それ以外にも完全ラジオドラマ回(台本ないらしい……すご……)のようなものもあって、本当に仕組みや構造の面で理屈で面白くする努力をしているラジオともいえる力作なんですよね毎回ね……。他の方々にからかわれるようなARuFaさんのオモロ完璧主義の賜物なのかもしれない。

最近は好きなバンド周りのもの以外は真面目な番組ばっかり聴いてたので、あらためてラジオって面白いメディアだなと思って、話芸なんだけど自己完結じゃないし、こういう形でいくらでもハックできる形態なんだという気付きがあって良かったな~~~。前述通りマジで死んでてなんもできないような期間でも、匿名ラジオはオタク男子空想与太話であってくれるので、おかゆのように食べやすかったし笑うことができた。普段意識高真面目コンテンツサブカルオタクなきらいがあるので、適度にこういうゆるいものも摂取していきたい……。

匿名ラジオについては全部聴けたらまたなんか書きたいです。おすすめ回とかそういうやつ。


・オモコロ関連コンテンツを浴びる

匿名ラジオを聴き始めたのは昨年の緊急事態宣言の時期だったと思うのですが(リモートワークの時の軽いBGM探しにいろいろなラジオを試していた)、そこからパーソナリティのお二人に興味を持ち、オモコロ周辺をいろいろ掘っています。
元々オモコロはちょくちょく見てたのですが、ここまでハマるとは思わず……ヨッピーさんとかはもともとツイッターでフォローして追ってたんですがこの機会にいろんな方をいろいろ知った。
というか私はてなダイアリーのめっちゃ人気な人としてARuFaさんも結構前から認識してたし(私も高校生の頃はてなダイアリーでブログしていたので……)恐山さんもネタツイの人として毎日スラマッパギって言ってた頃の記憶があるので、知ってたすごい人がバーグハンバーグバーグに入社していたんだなぁ……という感慨がある。最近こういう「元から知ってたし凄いと思ってたものに突然ハマる」みたいなの多いな。

Youtubeのオモコロチャンネルも同じくらい救われたコンテンツのひとつ。本当に心から笑える。



Suchmos『STAY TUNE』のイントロ、何を言っているのか判明しました

最初に観たやつ。完全にタイトルに惹かれて見て爆笑した。Suchmosちょくちょく聴いてるので……邦ロ系ネタに弱いのでもっとやってほしい。アジカンやってくれ~


【今度のマリオは○○だ!】マリオ最新作を完全予想!!!

みんなに薦めたいオモロ。長島社長は天才。


【新キャラ予想】ポケモンを全く知らない男が想像した新ポケモンがヤバすぎる

みんなに薦めたいオモロ2。恐山さんのすごくない!? そして長島社長はマジの天才。


【10分で分かる】笑顔の最終兵器 モンゴルナイフって何者?

モンゴルナイフさん本当に好きになっちゃいました、こういう方向性の強くて面白くてかわいい女性が私は大好きだしそういった人と友達になりたい。


【NOTドッキリ】完全にヤラセで抜き打ちカバンチェックをしてみた

ヤバさと癒しを同時に味わえます


動物園でウソ知識を言いまくったら、チンパンジーから逆襲にあった!!!

こんなことあるんだ

https://www.youtube.com/watch?v=c2d9YIXOW-c

言葉のプロが川柳で賞金5万円ゲットに挑戦!?

原宿さんは天才だなあ……


お昼の顔は誰だ!? いきなりニュースコメンテーターに挑戦!

一番好きな動画なのでみんな観てください。「動物園みたいですね」


【元卓球部6人】社内で卓球が一番強い奴を決めようや!!!!

アジカンのカラオケ、V6の人狼アルフィーの料理、オモコロの卓球


恐山さんの有料マガジンも登録して毎日日記を楽しく拝読しています。爆裂に言語センスがある人なので絶対面白いだろうな~と思ってたけど、読んでてむしろ物事や世界への見方、考え方がすごく魅力的な人だなぁと思っている。ツイートだけだとちょっと斜に構えてたり突き放したような感じの人なのかなと思ってたんだけど、匿名ラジオやオモコロチャンネル等を通して人間味を感じ(と同時に才能の鋭さをも再確認し)、そしてご本人のまとまった文章で真面目さや真摯さを強く受け取ったように思う。これは私の解釈なので、ご本人のパーソナリティを断言するものではないのですが……他人を容易に理解した気になるのはよくないので……。
自分を良く見せようとする人の持つような妥協とか打算とかが無くて、いろんなことに真っ向から真剣に相対している感じがすごくいいなと思った。だから突っ込んだようなこともちゃんと言えるのかな~。本質の槍。

他人の日記を楽しみにする経験、アジカンのゴッチのweb日記を読んでた高校時代以来かもしれない。あっちは今は情報発信はツイッターとインスタがメインで、日記という形をとっていないけど(noteも解説とかの意味が強そう。まあ有名な人は日常を書くわけにもいかないだろうししゃーない。アルバム制作頑張ってや)。日々にあったことと考えたことを併記する感じもかつてのゴッチを思い出すし、そういえば語り口も通ずるところがあるような。
文章、意見それ自体に賛成できるかどうかってどうでもよくて、そこに至るまでの道筋をどう選択したのかのほうに惹かれるというか、デカいことを言えば世界や他者に対してどうあるかのスタンスをちゃんと考えて表明している人の文章に魅力を感じる傾向があるのかもしれない。
いや~~~しかし知れば知るほど魅力的な方だな。同年代、というか年下の方で、文筆系でこういう才能を発揮している人がいるのを知ると、やっぱ元気が出ますね……。かつてツイッターでお見かけしていたときは社会人のある程度年上の方だろうなと思っていたのに、当時大学生とかだったんだなぁあの人……。わたしもがんばろ……。


・その他近況


プライベートで全然人に会ってない。別に人に会わないとダメになるタイプではなく、孤独も割と好きなんですけど、「会わない選択を出来る」ことと「会わないようにしたほうが世間的に良さそう」は全然違うので一緒にしないでほしい。飲み会の雰囲気が懐かしい。

通話したいな~~~。去年のアジカンの配信ライブ、アジカンファンの人たちでディスコード繋いで実況してたんだけど、めちゃくちゃ良かったし楽しかった。やっぱ語る場はあったほうがいい。語りたい人いたら語ろう。なんらかを。

SNSがどんどん他人への否定で溢れてるのがつらい。必要な否定もあるんだろうけど。めちゃくちゃ過激で狂ったこと言ってる人が自分の属性などに攻撃的だと、それ自体もしんどいし、そうなってしまったその人のことを考えてもしんどい。しんどい×しんどい。そして好きなものが不当な扱いを受けていると「理」が立ち上ってきてしまうタイプのキレ芸人なので、怒りが出てくるのもしんどいね。なので最近はオモコロの記事ばかりを読んでいます。

最近はあんまり音楽を聴けてないけど、ズーカラデルは本当に良い。沁みる。ライブ行きたい。


ぼっち・ざ・ろっく!アニメ化!!!めでたい!!!!!!最高最高最高~~~!!!!!


小説は「紅蓮館の殺人」(そろそろ読み切りたい)と恐山さんの「止まりだしたら走らない」を読んでいます。いろいろあって精神力に欠けているこの頃なんですが、読みたい本はあるので小説を読む生活に戻りたいです。最近新書も読んでないな……。

2020 今年聴いた曲

ゆーてクソロキノン厨なのでたいして紹介するものでもないのかもですが、こういうのは忘れやすいものだと思うので備忘録もかねてメモしておこうと思います。
今年発表された曲とは限りません。


ダイアローグ/ASIAN KUNG-FU GENERATION


アジカンのシングルでは「触れたい 確かめたい」人気が高い気がしますし、ゴッチのお気に入りもそっちだと思うのですが、「対話」を冠し、即物的ではなく長いスパンでひとと向き合うことを歌うこの曲がホームタウンの延長線上の感もあり好印象でした。リードギターの泥臭い感じもいまのアジカンのらしさが機能していてライブ映えもしそう。私は建さん嗜好なのかもしれない……

18?/NICO Touches the Walls


昨年、突然の活動終了を発表したバンドの最後の名盤から。NICOを青盤で知ったくちではあっても、邦ロックブランクが長いゆえに「ファンだった」と言い張るのは躊躇うものの、さまざまに思うことがあったし、QUIZMASTERが名盤すぎてマジでブランクがあってライブに行かなかった後悔をしました。
この曲、歌詞もプラスにもマイナスにも読めるし、MVで描かれる光景もブラックコメディめいていて非常に不吉で、リアルタイムで追いかけていたファンの心境を想うだけで心臓がはち切れそうなのだけれど、いつも通り軽やかな曲でありながら情念が籠っている感じもあって、なんともいえない作品に仕上がっているように感じます。こういう読み方ができてしまうのもバンドという運命の数奇なところなのかもしれません。いやファンの気持ちになるとなんも言えんのだが……

東京/まちがいさがし


かつて閃光ライオット出場経験をもつ社会人ロックバンド。現在はネットでの作品発表がメインっぽい(ライブしてたんですけどチケット取れなかったな……!?)のですが、既に有名な方にもキャッチアップされているっぽく、今後大ブレイクの兆しがあるといっていいでしょう。
自分はROJACKのエントリーかなにかで知ったと思うのですが(そういうところをチェックして好きそうな人を探すのが趣味マン)、アルバムリリースまで漕ぎ着けてくれてありがとう…!という感じです。今っぽい話題になり方をしているバンドでもありますね。
キャッチコピーを見てもゼロ年代邦ロックの系譜の内省テーマかな?と一見思うのですが、そこに生活の実感が籠っていて地に足のついた感じがそれらの他のバンドから飛びぬけているように思え、好きです。

劇場支配人のテーマ - Acoustic Ver./THE PINBALLS


ピンズは「ブロードウェイ」「ニードルノット」という新曲リリースもありまして、そちらも大変良かったのですが、アコースティックアルバムが超超超良かったのでこちらを。
ミッシェル好きそうガレージロックバンドあるあるの幅の狭さ、このバンドには全く無い。なのでゴリゴリのナンバーをアコースティックアレンジすると、「Dress Up」の題名通りちゃんといい感じに抜け感のあるオシャレな曲になるのだ。すごい。「way of 春風」とかもめちゃくちゃ合ってますよね。統一感がありつつも幅があるバンドは強い。

春はゆく/Aimer


ヘブンズフィールめちゃめちゃめちゃめちゃ良かったね~~~~!!!!!
ゴッチがONE褒めてた時に思ったんですけど、私は割と「音楽通の人よりオタクにウケるAimer」が好きだ……(ONEみたいなのもめっちゃ好きなんですが……)。
花の唄、Black Birdポラリス、あなたに出会わなければあたりかな~~~いや~~~好きなんだよな~~~~。Fateの曲全部好きだしアニメタイアップっぽい曲が好きといわれたらそれまでなんだけど……。
でもまあこの声で情念とそれを超える希望を歌われたらその時点で優勝だね! という感じはあるので入れました。梶浦サウンド良いし……最後に花の唄に戻るところも本当に好きです

The Age(feat.BASI, Dhira Bongs & Keishi tanaka)/Gotch


ゴッチソロ曲。誕生日ゲリラリリースもあったのでアルバム曲と迷ったんだけど、最後のメッセージの強さでこの曲に軍配をあげました。小西真奈美に提供?プロデュース?した「Endless Summer」のセルフカバーと迷ったけどこっちで!
チャンスザラッパーの名前挙げたりゴスペル影響の曲のムーブメントの話とか詳しい人なら出来るんだろうけど、全然わかんないので単純に真っすぐなメッセージに真っすぐな曲であるところを評価したいなと思います。ホームタウンの記事読んでもらえるとわかるように私は後藤正文の歌詞が無条件に全部好きというわけじゃないんですけど、これは「この世は生きるに値する」という言葉に「そう言って差し支えない社会を我々が作る」という約束が付随している曲だと思っていて、ゴッチのそういったところは本当に誠実だと思うし、それが滲み出ている曲として今の時代に放たれた意義のあるものだと思う。他人に「生きろ」と言う人は多くても、生き延びた先を支えてくれる人は少ないからね……。

下北沢のギターロック/3markets[ ]


名前くらいしか聴いたことないバンドだったんだけど、たまたまこれを耳にして、そういう感じだと思ってなくてめちゃくちゃびっくりしちゃったので特に今年である意味はないけど入れました。ラップではない語りのある曲、好きがち~!!!
露悪丸出しだけどそれでもバンドマンでしかいられない人間の剥き出しの歌詞! 名前を引き合いに出したバンプ本歌取りで「天体観測」らしきリフを入れるのとか(バンプに影響を受けたバンドマンたちへのものすごい皮肉!)、最後の「ありがとうございました」がこの曲の終わり自体にかかっているのとか、自分を含めたバンドマンへの怨念を吐き出している割に技巧ですごいなと思うし、人間の怨念は最高だし、「下北系ギターロック」の生み出した希望と絶望はデカいよな~~~~~~~~~~(なんとかカンのほうを見る)

Sai no Kawara/crystal-z


これは本当に衝撃を受けたんだけど、何か言うものじゃないのでとりあえず聴いてからググってください……。
Spotifyで貼ったけどyoutube版→サブスク版で聴いてほしいです。

Me & You Together Song/The 1975


ロキノン厨でもわかる!かっこいい洋楽
英国マンチェスター出身のロックバンドの最新アルバム「Notes On A Conditional Form」より。この曲は「スピッツ!?!!?(ロキノン厨並の感想)」とか思うくらい軽やかなギターポップラブソングという趣なんだけど、アルバムにはグレタ・トゥーンベリのスピーチを乗せた曲があったり、「People」みたいな激しい曲もあったり(MV謎じゃないですか!?)、さまざまに幅が広いな~と思いました……この時代に22曲のアルバムというのもすごいですね。
私は洋楽の世界のことがわからないので(邦楽もわかりませんが……)単純にこの曲のなつかしさが好きです。The 1975にはなんか「なつかしい……」という謎のイメージがあります。偏見かも。

Stardust/アウスゲイル


これめちゃめちゃめちゃめちゃよくな~い!? 確か山ちゃんがどこかでプレイリストに入れていたのと、フジロックの配信観たのがきっかけで手を出しました。
別件で現代の北欧の文化について調べてたことがあったんですけど、アイスランドの音楽シーンってどうしてもシガーロスビョークのイメージが強いんだけど、芸術の国としてそれ以外も結構アツいらしいです。国で先入観持つのもあれなんですけど、この曲も冷え冷えとした冴えた美しさがあっていいですよね……。もっと聴きたいアーティストです。

Can I Believe You/Fleet Foxes


米シアトルのロックバンドの最新アルバム「SHORE」より。こちらのアルバムは55分とコンパクトめで、全編に映像を乗せたやつがYoutubeにあるっぽいことを今知ったので後で観ます。
デビューはニルヴァーナでおなじみサブポップからだったみたいなんですが、曲調はフォークロックっていうのかな……いろんなものが混じってる感じがして……音楽通の人が聴いてるのわかるなという感じがします(アホの感想?)
アジカンのどっかのプレイリストからかな? 忘れた いろんなバンドマンや音楽リスナーが薦めてる印象あるけど、ロットバルトバロン聴き始めてからこういうのいいなと思ったので、そこからの掘り下げといえるかもしれない。よくわかりません。音楽って何? 助けてください
奥行きのある音楽って咀嚼してて楽しいですよね。

トーチソング/ズーカラデル


ズーカラデル……良くない!?!?!?!?!?100万枚売れろ
「イエス」聴いてうわうわうわこれはめちゃくちゃ良い……と思ってたんですけど、これ本当今年の一位まであるんですよね。ズーカラデル、ちゃんとロックバンドとしてのソリッドさを維持しながらも優しい、曲も歌詞も。色んな人の想いをすくい上げるバンドになれるし、なってほしい。全然詳しくないしバンドメンバーの名前もよくわかってないけどそんな想いを抱いています。
私がロックバンドに持っていてほしい「何者にもなれない自分との葛藤」「この社会に地に足を付けて生きること」「いつか消える生命であるという憂い」あらゆる要素がちゃんと入っている……。
この曲も、いまこの時世に聴く感慨というものがデカくて、いつかなくなるものへの身体性の実感が込められていて、マジですごいな……って感じです。単純に間奏~二番のギター好き! とかいうのもあるけど。
もしかしてこのバンドは私の中でアジカンと並ぶかもしれない、という予感が胸に芽生えています。この前マジで落ち込んでる時にイエス聴いて泣いちゃったよ

マジでキリがないので以下は一言で羅列にしていいですか???

AME NI MO MAKEZ/THA BLUE HARB


これもフジロック配信きっかけ、もともと聴きたかったんだけどすごい刺さったので……自分の魂を抉り出すタイプのヒップホップに感じ入るところがある。

Now's the time/the chef cooks me


アジカンファンにはボイガル前でおなじみ。シェフは「適当な闇」がぶち抜けて好きなんですけど、広く多くの人を包み込む曲という意味でこれが迫っています。

World's end Rhapsody/Nujabes


Nujabes薦めてたフォロワーさんありがとう! てっきり海外の方かと思ってました。ローファイヒップホップのリファレンスとして手を出したけどそれ以上に良かった……もっと掘りたい

アカシア/BUMP OF CHICKEN


全人類ポケモンコラボ動画観たと思うんでことさらに取り上げはしないけど「それをやられたら優勝だろ!」が曲のほうにも詰まっていて本当にプロだなと思う……本当に「君の(個人の)物語」を大事にするバンド

Sad Song/Dr.DOWNER


配信ライブめっちゃ良かった、ロックバンドかくあるべし。生で観たい。

Cast No Shadow/Oasis


諸事情で今年はこの曲を聴き返してたけどこれいいっすね本当……。
今年は気になってたオアシスの映画のブルーレイを買いました。面白かった。

光あれ/フジファブリック


フジファブリックのファンにもバンドサウンド志向みたいなのがあるのかなと勝手に想像するけど、こういう感じもいいなと私は思いました。山内さんの声に合う。

GIVE & TAKE/夜の本気ダンス


安定して密度の高いかっこいい曲を作るなあ……といつも思ってるんだけどイントロ聴くとスマブラのドンキーのステージ思い出してしまうのは私だけですか?

毎日がラブソング/Drop's


声の重い女性Vo探してて見つけたバンド。重くてかっこいいゴリゴリのロックサウンドも映えるけどこっち系もいけるのすごい声の力が強くていいなと思う……

火ヲ灯ス/突然少年


私が今更話題に挙げる必要もないくらいこれはみんな好きなやつ~! アツい!
全裸期待すな

Fdf/cero


クロジェネで流れてフォロワーさんがいろいろおすすめしてくれたやつ、ありがとうございます。chiptuneみのある曲が好きなのでツボだったし実はceroまともに聴いてなかったんでほんとにここから聴いた……声の重なりも好きです。

叫ぶ星/ストレイテナー


タイトルからテナー節!と嬉しくなるけどちゃんと今のテナーしてるオルタナロックという感じでいい。ギターの音めちゃくちゃ良い。


曲多すぎるので後々加筆します

今年行った中で良かったライブ会場BEST5・2019年



 年の暮れです。
 土日祝お休みスケジュールの方だと27で年末年始のお休みに入る方が大半だと思われますが(そうじゃない方、経験あるので気持ちめっちゃわかります頑張りましょう……)、皆さまいかがお過ごしでしょうか。2019年の総決算、ひいてはテン年代の総決算の時期になってまいりましたが、私の部屋は未だ汚いままです。

 まぁそれはそれとして(全然それはそれとできないが……)、時節柄、様々な人が様々な形で「今年のベストテン」みたいなやつをやっています。私も昨年までは今年読んだ本ベスト5を余所でやっていたのですが、2019年はあまりに本を読んでいない、頑張ってゴッチが帯書いた「友情だねって感動してよ」読んだし今も必死にワールドトリガー読んでるのでそれで許してほしいみたいな感じなのですが、小説も音楽もベストを挙げづらい怠慢の一年、それでも何かまとめてみたい……

 せや!ライブ会場ベスト5にしたろ!

 「良かったライブベスト5」でもよかったのですが、芸がないのと、ほぼ全部アジカンになってしまいそうな気がします。あと、会場括りで挙げるといろんな人が楽しめるかな、という思いもあります。参考にしてほしいです。何の……?
 ちなみに私が今年行ったライブは、フェス・オタク系含め20本(これから行く予定のCDJ含)だった気がします。自分にしては多いけどもっと多い人は沢山いると思うので、皆さんの会場ベスト5も是非教えてください。


第五位: 恵比寿リキッドルーム(東京都渋谷区)

f:id:h_shibayama:20191226220402j:plain
恵比寿リキッドルーム(2019.3.18 アジカン
 最寄駅:JR山手線/東京メトロ日比谷線恵比寿駅 収容人数:1000人

 3月18日 ASIAN KUNG-FU GENERATION Tour 2019「ホームタウン」
 3月22日 THE PINBALLS end of the days tour
 一方はベテランロックバンドの超高倍率ライブ(なんで取れたのか自分でもよくわからん、祝福してくれた皆さまありがとうございます)、もう一方はメジャーデュー一年ちょっとの現在躍進中のロックバンドの満を持してのソールドを迎えたツアーファイナル。そんなエモい対比(勝手に)を一週間の間に味わえたのは光栄と言う他ありません。どっちもめちゃくちゃ良かった。さらに、開演時間が15分しか違わないのに、延々MCで一人喋り倒すおっさんのバンドと言葉少なにクールに短い曲を畳みかけていくバンドで終演時間が一時間以上違うのがかなり面白かった。

 会場としてのリキッドは、恵比寿駅からさほど離れておらず道程もわかりやすいところ、周辺の飲食店等施設が充実しているところ、柱にさえぶつからなければ観やすいところなど、割と好きなタイプ。初めて行ったのは十年ほど前のNICO Touches the Wallsだったと記憶しているのですが(時節柄いま思い起こすと悲しみがある)、恵比寿という立地もあいまってティーンの自分にはハイソなライブハウスに見えたものです。二階のカフェも来た経験があり、良かったです。カフェのついているライブハウス、好き。
 この辺のライブハウスの例に漏れずリキッドもロッカー盗難が話題になりましたが、ロッカーの他にクローク(500円だった気がする)があったので、私は二日ともそっちを使いました。クロークあるとこはそっちのほうが安心する。あとは恵比寿駅ですかね。

 ピンボールズは昨年のアコースティックが初見だったため、バンドセットでは初。とにかく圧があり、とにかくクール。「アダムの肋骨」という名盤のスタイリッシュさを余すところなく体現し、凝縮した一時間半(くらいだったと思う、短かった)でした。その立ち振る舞いに反してアツく初々しい古川さんのMCにも感慨が籠っていて良かった。昨今の邦ロックシーンで稀有な泥臭いガレージロック、是非とも頑張って欲しい。
 アジカンはゴッチが「俺も再結成でちやほやされたいな~、アジカンは無理だからGotch解散して再結成しよっかな♪」みたいなことを言っていたのでこいつ……と思いました。そもそもソロの解散ってなんだよ。ホームタウンツアー初参加の日だったので、様々な衝撃がありました。
 会場の良さもさることながら、「リキッドで演ること」に意味があった2バンドのライブでした(ゴッチの新宿リキッド時代の思い出も含め)。

 思い出
 ピンズ:トリプルアンコでうれしかった、フォロワーさんに教えてもらったトーチカフェが良かった
 アジカン:ミシマ社営業さん見かけてツイートしたら捕捉された


第四位: ウェスタ川越大ホール(埼玉県川越市

f:id:h_shibayama:20191226222136j:plain
ウェスタ川越(2019.3.9)
 最寄駅:JR川越線東武東上線川越駅西武新宿線本川越駅 収容人数:1700人

 3月9日 川越春一番コンサート2019 ACIDMAN&IMO楽団
 ACIDMAN好きの友人に誘われ、会場も我らが埼玉ということで参加。
 あまりコンセプトなどについても調べないで行ったのだけど、「川越いもの子作業所」という知的障害者の自立支援施設の利用者と職員の方によって結成された「IMO楽団」というバンドとのコラボライブということで、福祉に強い関心があった私にとってはかなり衝撃的というか、いろんな思いを抱いたライブになりました。
 母が介護の仕事をしていた経験があったり、私も病弱な身のため学生時代から社会福祉に関心があっていろいろ勉強したり当事者の方とも関わったりしている身分なのですが、まずACIDMANがこういう活動してる(しかもツアー真っ最中だよ)のってすごい意義があるし、当日見られたファンの方も積極的にそれを応援している感じがあって、なんか……音楽っていいなあって……。(語彙力幼稚園児)
 ライブのテーマ性とウェスタという土地柄か、地元の方っぽいお客さんも多く、地元の名産品の出店みたいなものもあって、川越っていいな……という感情も抱きました。ライブやフェスと土地性というのは分離しがたいし、むしろ今後重視されていくところになると思うので、町おこしやアピールにどんどん使われて欲しい。「障害者が安心して働き暮らせる街は、災害に強い街」というテーマも良かったです。ライブに障害者割引があるのも良かった(というか、そもそもなんでロックバンドのライブやフェスには障害者割引がないんだろう)。
 ACIDMANの一貫した「宇宙(マクロ)と生命(ミクロ)」という世界観もすごく合致していて良いライブだったし大木さんのよく響くロングトーンええなとか思ったのだけれど、私は作業所の方々が音楽に合わせて自然に身体を揺らしていたことに本当に感銘を受けました。自由だった。我田引水だけれど、ゴッチの言う音楽における自由って、あれじゃん、って思った。帰りがけに友人と、「なんで私たちってわざわざあんな同じ動きをしてるんだろう」って話し込んでしまいました。笑。でも本当に、決まりきった動きを誰からともなくしてる我々のほうが何かおかしいんじゃないの? とすら思った。
 言葉を選ばずに言うなら、アジカンも社会のことを考えるバンドとして、3ミリくらいでも障害者福祉に関心をもってくれたら、私はとてもうれしいな、と思いました。自分でやれやと言われそうだけど。
 ACIDMAN、そして大木さんからは、本当の地元愛というものを感じます。埼玉の誇りや!!!

 ウェスタは交通の便もいい(都内から電車一本、30分ちょっとで駅からも近い)し、新しい施設だし、周囲も充実していて利用した感想も良かった(音も良いと感じた)ので、埼玉県民として今後もロックバンドがバンバン来てくれると嬉しいなと思う。これもまた、この会場であることに非常に意味のあるライブでした。

 思い出:車椅子の観客の方をスタッフさんが即座に見やすい位置に案内していて、ああこれだな、と思った。


第三位:多摩六都科学館プラネタリウムドーム(東京都西東京市

f:id:h_shibayama:20191226224647j:plain
多摩六都科学館(2019.9.14)
 最寄駅:西武新宿線花小金井駅 収容人数:234人

 9月14日 ROTH BART BARON The PLANETARIUM
 ロット好きの友人(前述のACIDMAN好きの人)と。
 WWWでこの企画の発表を聞いたとき、「優勝!!!!!!!!!!!」と思ったのですが、プラネタリウムでライブするという時点で優勝!!!!!!!!!!!!!じゃないですか!?!?!? しかもそんじょそこらのバンドではない、ロットバルトバロンですよ。世界観合致しすぎなんですよね。クラウドファンディング参加メンバーのプロデュースというのも非常に良い。ロットリスナー、センス良すぎ……教会とかの案もあったらしくてそっちも観てみたかった……。音楽性といい活動内容といい、ロットは本当に新時代のバンドという感じがして、売れて欲しいというわけではないが(売れて欲しくないわけではない)どちらかというともっと評価されてほしいというバンドです。「けものたちの名前」もめちゃくちゃ良かったよ~~~
 ロットもなかなか曲調の広いバンドだと思うのですが、この日のライブはアコースティックで構成されており、それでも「しっとり」という感じだけでは語りつくせない繊細さと壮大さの両極を演出することに成功していて、本当に陶酔できたライブとなりました。映像演出も良かった。会場としても、プラネタリウムだけあってリラックスして観れるシートで、丁度体調崩してた時期だったんで非常に助かりました。プラネタリウムでライブ、もっと流行って欲しい。

 思い出:物販で友達が「ヤバい」を連呼してたら三船さんに「YABAI」ってサインを書かれてた。私はアジカンからであることを伝えると「またゴッチのこと弄っとくから☆」って言われた。


第二位:メットライフドーム(埼玉県所沢市

f:id:h_shibayama:20191226230606j:plain
メットライフドーム(2019.7.13)
 最寄駅:西武狭山線西武山口線西武球場前駅 収容人数:33556人

 7月13日 BUMP OF CHICKEN TOUR 2019 aurora ark
 前述のACIDMANとロットが好きな友人と行きました。今年この人とばっか行ってますね。アジカンZeppも彼女+もう一人で行ったし……
 メットライフドーム、オタクライブから人気アーティストライブまで様々なファンの人から「超過酷」「人間のいていい環境じゃない」「終わった後一生出れない」「夏に行くな」「雨が降ると死ぬ」などの脅しをかけられておりまして、非常に恐れていました。やきうのお兄ちゃんはメラドって略すの?
 実際その通りで、当日そこまで雨が酷くはなかったため(屋根はあるけど横ががら空き)横から吹き付ける雨にもそこまで悩まされず、トイレがめっちゃ混むくらいでそこまで困りはしなかったです。帰りまでは。
 もともと都内から行こうとするとそれなりに乗車時間の長い会場なのですが、問題は帰り。なんせ三万人を収容する会場、最短距離では大したことないはずなのにドームから西武球場前駅まで30分経ってもたどり着けないという試練の終演後でした。けっきょく電車に乗るまで一時間以上かかった気がする……駅まで着けても満員すぎて乗れないので……これがメットライフの難関たる所以……と身をもって知りました。

 ライブ自体は最高でした。ゼロ年代邦ロックのオタクなら一度はバンプを生で観たいという欲望があると思うのですが、その欲望をようやく叶えられた日でした。福利厚生が良すぎた。銀テは舞うし演出はすごいし、メンバーは何度もあっちこっちを行ったり来たりしてくれるし、Tシャツ投げるし、あとあのLEDリストバンド初体験だったんですけど何あれマジでヤバすぎる曲に合わせて勝手に色変わって光るって何あれ???ハイテク???ここは近未来???SFの世界????原始人みたいな環境にしかいないのでよくわからない……でもすごかった……
 エンターテインメントとしてのロックバンド、というものを強く感じました。めちゃくちゃ無粋な言い方をすると、お金がかかっている、になるのだろうけれど、本当にいいものは金をかければよりいいものになる、ということだし、何より金をかけてもらえる価値が彼らにはあるんだなとも。ここまでの規模の国民的ロックバンドになっても、ファンの一人一人に寄り添い、想い、真摯に演奏をするバンプというバンドの熱にやられた一日になった気がします。個人的に超好きな「真っ赤な空を見ただろうか」、そしてアンコールでゴッチも好きなことでお馴染み(そうか?)「ランプ」を聴けたのも感動しました。
 彼らの進化にも賛否両論ある(マジで!? と思ったんだけど、バンプレベルでも言われるんだね……)みたいなんですけど、こういうロックバンドが国民的な立ち位置まで来られるっていうのはこの国の音楽シーンへの希望のひとつでもあると思う。ていうかメンタルが強すぎる。観てて思ったんだけど、メンバーの立ち振る舞いとかもその要因のひとつなのかな。チャマがスポークスマンになっているおかげで藤くんのクリエイターとしての繊細さが守られていて……とか勝手に妄想を繰り広げてしまった……

 メットライフドーム、会場として好きではないんですけど、この規模の会場でこのバンドを観られた、というところ、あと埼玉加点で二位になりました。今度は狭い場所で観てみたいけど、倍率が無理ですね……

思い出:終演後人波にもまれていると、隣の女性が連れの人に「藤原基央の歌詞にみる哲学」みたいな話を熱弁していて非常に興味深かった。オタク語りというよりはそっちの専攻の人感があった。音楽文書いてほしい


第一位:パシフィコ横浜国立大ホール(神奈川県横浜市

f:id:h_shibayama:20191226233432j:plain
パシフィコ横浜(2019.7.25)
f:id:h_shibayama:20191226233451j:plain
パシフィコ横浜国立大ホール 終演後(2019.7.25)
 最寄駅:みなとみらい線みなとみらい駅 収容人数:4538人

 7月24日・25日 ASIAN KUNG-FU GENERATION Tour 2019「ホームタウン」

 ここまで良かった会場を挙げてみると、条件は二つに絞れます。「会場自体の利便性・快適性」と「アーティストがその会場で演奏する意味・物語性」。その二つの観点、また単純なライブ自体の良さも鑑みると、やっぱりこのライブがナンバーワン。

 今のアジカンが最高であることは古事記にも書いてある常識なのですが、その原因は「この四人であることに多大な意味がある」アジカンというバンドで、「バンド内の雰囲気や風通しが過去最高に良い」ことに尽きるというのが持論です。アジカンはゴッチのワンマンバンドと認識されがちなのですが、その実、他の三人の役割がかなり大きいところはファンであるほど周知の事実なのではないでしょうか(例えば、喜多建介のリフやソロがないアジカンアジカンではないでしょう)。そんな四人が苦難の時期を乗り越え、ゴッチをして「生きていて良かった」とすら言わしめるシーズンに突入したこと、成長という意味も含め、バンドにとっては喜ばしいことだし、単純にエモい。

 昨年12月にリリースされたアルバム「ホームタウン」のツアー、ライブハウスとホール含めて計35本の最後の2本。別に休みでもなんでもないので本当は25だけに行くつもりだったんだけど、ぴあの抽選に当たってしまったので時空を歪めて参加し、25日の午前中を中華街などの観光に当てました。パシフィコ、その辺もかなり立地が良く、みなとみらい周辺だけでも海を見るなり船に乗るなり観覧車に乗るなりこれからライブ行く推しアーティストイメージ痛カップヌードル作ったりと様々な選択肢がありますね。これは会場の良さとしては重要です。ちなみに私は中華街で某番組のロケ地だった同發別館行ってファルコン・ランチしたんですけど、ロケ地とか関係なく凄まじくおいしかったです。同行者のおかゆみたいなやつ食わしてもらったらおいしすぎておかゆの概念が破壊されました。
 会場評でいうと、パシフィコはシートが心地いいだけでなく、座席が斜めに配置されているのでどこでも観やすいのが強いと思います。二日目はもともと神席でしたが、一日目はほぼ最後方という感じで、しかし特に困ることなく観られました。この辺が様々なジャンルにおいて支持の強い会場たる所以なのかなと。

 アジカンとパシフィコ、といえば、ライブ中のMCでも触れられたように、彼らの母校にして結成の場である関東学院大学の卒業式会場がパシフィコですね。まぁゴッチは出なかったとか建さんは一年遅れだったなどの問題児エピソードに事欠かない問題児バンドなので素直に思い出~! という感じではないのかもしれませんが、横浜に強い縁を持つバンドとして、また彼らの改めての「卒業式」としても、非常にいい会場チョイスだったと思います。惜しむらくは週のど真ん中だったことで、次やるなら是非土日にして欲しい……様々な意味で……穴を空けるのが非常に大変だったので……(あと「興味ある」と言ってくれた友達何人かが日程を見て悲しい顔をしたので……)(越谷とか土日だし立地も良かったけどさっさと売れちゃったじゃん……)。

 ツアーの内容については語るところがありすぎるのでまた別の機会にということで、25日の公演が映像化された最新DVDをお薦めしておきます(レギュレーション遵守)。

映像作品集15巻 〜Tour 2019「ホームタウン」〜(Blu-ray)(特典なし)

映像作品集15巻 〜Tour 2019「ホームタウン」〜(Blu-ray)(特典なし)

  • 出版社/メーカー: KMU
  • 発売日: 2019/12/04
  • メディア: Blu-ray
 簡潔な感想としては「山田貴洋最高」「解放区最高」です。

 思い出:フラワースタンド企画に参加させてもらい、調子こいてイラストパネルまで描かせていただいた。いろんな方に写真を撮ってもらい、SNSでもたくさんの方にアップしていただいたので、感慨もひとしお。ただし己の絵なので非常に恥ずかしい。



番外編
千葉市蘇我スポーツ公園(JAPAN JAM):遠いけどフェスとしての環境整備が完璧だった。同行者の方と一緒に潔さんにめしをよそってもらった(語弊)。とてもいいお話ができて楽しかった。潔さんありがとうございます。
サンシティ越谷大ホール(アジカン):埼玉ポイント。開場前に近くのステージで謎のフラダンスグループが新宝島で踊っていた。喉が痛かったので隣のスーパーでのど飴を買った。
・下北沢CLUB251(伊知地潔260°):ポルノグラフィティの「VS」の聖地。(アジカン関係ない)

ポルノグラフィティ 『VS(short ver.)』 / Porno Graffitti 『VS(short ver.)』

「音楽について書く」こと、音楽ライターとファンダムのことばの違い

 寒いですね。室内は暖房で暑かったりするので着るものに困ります。コートの下一枚だと外出たとき寒いけど、カーディガンとかちょっと厚手の羽織っちゃうと室内で暑いんですよね。

 ここ最近、それぞれは全く相関のない場所で同時多発的に「職業(音楽)ライターはどうあるべきか?」みたいな話題が出たので、それについての自分の考えをなんとなくまとめておきたいと思います。

ライターの文章とファンの文章

 とても雑な言い方ですが、SNSによってあらゆる人が容易に文章を世界中に向けて発表できる時代になりました。いまこうして書いているブログの流行もかなり壁を崩したものだと思いますが、ツイッターやインスタグラム(は画像が主だけど)はより多くの人に「書いて、発信すること」を普及したな、と思います。
 それに付随して、「職業で書く人」はより目的意識を明確化しなくてはならない時代になったな、とも思います。めっちゃ巧い素人がゴロゴロ無料で文章を公開しているわけで、パイの奪い合いになりかねない状況ではあるんじゃないでしょうか。

 私は元々ツイッター自体は9年(9年…)続けているのですが、その中でもここ三年、音楽関連のアカウントを開設してからは、意識的に「好きなものについて」の文章を書くようにしています。コンスタントに更新されている方々に比べたらペースは全然遅いのですが、音楽文で賞を頂いたり、他の方のブログに書かせて頂いたりなど、お蔭さまで刺激的な体験をさせて頂いております。
 そうして書いていると、「プロの文章とアマの文章って、何が違うんだろうな」ということはよく考えます。

 自虐風自慢っぽいなと思ってあまり表立っては口にしなかったのですが、そろそろ時効だから言っちゃうと、ここ何年かで「お金出すんで文章書きませんか」「ライター興味ない?」みたいなことを何度か言われました。それぞれ相手方がどこまで本気だったのかはわかりませんが、一応全部お断りしています。分野はいろいろですが、そのどれに対しても、私はお金になる文章を書ける自信がありませんでした。自分で思う本業は小説だし
 例えば音楽について。私はSNSやブログでASIAN KUNG-FU GENERATIONについて書いていますが、アジカン以外のバンドについてクリティカルな記事を書ける自信がありません。単純に知識と聴き込みが足りないからです。アジカンについてはオタク的な執着を発揮しているので、ある程度のバンド史やインタビューでの言及等について追ってはいますが、それだけです。音楽史の知識がないと、アジカンがどの位置にいて、その作品と活動には文化的にどういう意義があるかについて完璧には語れないでしょう。また、楽器についての知識が薄いので、ライブでの演奏についても語りにくいです。「このイントロの静謐なアルペジオから優しく語りかけるようなヴォーカルが入り…」とか精一杯書いてます。ちなみにこれは「クロックワーク」の話です(この補足いる?)。

 そう考えると、私が職業音楽ライターについて求めるものは、
・自分にない音楽知識
・上記に裏打ちされた、自分にはできない洞察
・楽曲、アーティスト、シーンへの深い観察力

 の三つなのかな、と思います。
 逆に言えば、この三つがない文章なら、アマチュアのファンにも書けるのでは、とも。

 自分が今まで感銘を受けた音楽ライターの文章を思うと、やっぱり自分には思い至らなかった考察とか、現語化できない感慨を言語化してもらったりその理屈をしっかり論理的に説明してもらったりとか、そういうものになるんですよね。そして、それをやるにはやっぱり勉強が必要なので、そこは専門技能になると思います。アマチュアでもめっちゃ知識エグい人ももちろんいますが(音楽文とかでも、そういう人をどんどん青田買いしてほしいよね)。

 で、逆にファンダムの人間にしか書けない文章もあります。これは2パターン存在すると思っていて、
・一つの対象への熱意が深い文章
・一つの対象への深い知識

 で分類できるかなと。
 前者はもちろん、オタクの熱いキモ・語りは最高!!! という思いです。プロの文章を楽しく読んでいる人にとっては、別にその辺のオタクの語りとか読まんでよくない? と思うこともあると思うんですが、これには最大の武器があって、共感です。共感は、客観的なプロの批評が取り落とす部分だと思います。
 世にある文章の源泉が共感だけだったら確かにクソですけど、批評だけでもクソだと私は思います。世の中には和食ばっか食べる人も洋食ばっか食べる人もいるんでしょうが、私は美味しいものなら関係なく食べたいです。共感は正しく用いるなら悪いものではないと個人的には思います(俺は共感なんていらねえ! はひとつの嗜好の在り方ですが、完全に共感なしで生きていくことも不可能なんじゃないの? と思ってます)。
 あのライブのこの曲の間奏のアレンジが超絶カッコよかった! MCに感動した! コーラスみんなで歌ってテンション上がった! そういう素朴な感慨、スノッブぶって敵視するのもなんか違和感あるし、それはそれで尊いものだと思いますよ私は。
 後者に関しては、ある程度ひとつのアーティストを追ってるライターさんとかだとそれなりに掘って書いてくれることも多いですが、なんか数はすごい聴いてるけどこのアーティストについてはさほど詳しくねえせいでなんか違うこと言ってんな、みたいな人もちょくちょくいるので……。アジカンセカイ系って言っちゃう人とか……。
 そうなってくると、ファンダムの膨大な知識を蓄えた人の発言とか文章はめっちゃ有難いです。資料的価値も大きい。一つのツアー何度も行ってる人にしか書けない文章ありますもんね。過去の超細かい雑誌のインタビューでの発言を引っ張ってきて楽曲やライブの話をするオタク、好きなんだよな……。
 建さん禁酒してからすげえギター良くなった! とかそういう話もしたいよね。

 また、ライブレポの早さに関しては、現在圧倒的にSNS集合知が上回っている状況だと思います。ライブ後即セットリストやMCレポがガンガン上がる状況、時代の経過を感じて割と好きなんですよ。もちろん、こういったデータの流通速度が上がり、多くの人から情報があがってくる今、音楽メディアはどうすべきか? みたいな問題は立ち上がってくると思います。
 ロッキングオン関連のフェスのクイックレポートがセットリストだけになった時、結構「それはどうなの?」みたいなことが騒がれていたのも、その辺に繋がりますね。ま~~~最速感想なんてその辺の観客がすげえ早さでアップしますもんね。どっちがいいか悪いかはわからないけど、少なくとも音楽メディアが岐路に立たされているなあというのは感じます。

 そして、音楽メディア側の人間が、知識と洞察に欠けた文章を出していくことに対しても、疑問があります。
 ロッキンオンの文章、なんやねんこのポエムみたいなスノッブな批判をされることもありますし、自分も疑問を持つこともあります。でも「アーティストの文脈わかってるだけマシだな」と思うこともあります。好きなバンドのメディア露出追ってると、マジでこの取材いる??? バンド名の由来から訊く??? ググれば出るぞ??? みたいなことあるし……。
 それとは逆に、それなりに熱心にアーティストを追っているであろう音楽雑誌での記事が、ファンの感想じゃんみたいなこともあります。すごい意地の悪い言い方をすると「オタクが推しを有難がって尊いごっこしてるだけ」みたいなやつ。私はファンダムに寄って書くことに意義を見出しているので、そういう言及もするんですが(楽しいので)、プロのやることじゃなくないか? と思ってしまうときがあります。それこそポエムじゃん、別に音楽知識なくても書けるじゃん、みたいなのは、少なくとも私は求めてないなぁ…と。
 たとえ好きなアーティストへの批判だったとしても、知識と洞察に優れた人の文章を読みたい。

 あと、プロにせよアマにせよ、バズと大衆に迎合した何の独創性もない言及は読みたくないです。音楽じゃねえけど、「実写化=クソ」ネタとかあまりに芸がなくて本当にウンザリしている……悪質バイラルメディアとやってること変わらんやん。という私怨が非常にたくさんあります。音楽で言うとなんだろ……政治発言するアーティスト批判とかかな……政治発言を浅いって糾弾する割にお前も理解が浅いよね悪質なネットメディアと同類やんかみたいなやつ……もっとさあ……そこじゃなくて別にやり玉挙げるべきところあるだろあっすみませんアジカンファンの愚痴が漏れましたね
 「雑」な語り、是非プロの側のほうから正していってほしいです。

 その辺のつながりで、プロとアマが良い感じに距離感を保ちつつ交流してお互いにしか書けない文章を発表し、相互作用で研鑽していくような界隈は理想かもしれません。プロからしたらアマの文章なんて玉石混交だとは思うけど(逆も言えます)。

好きなライター

 そういう私が好きなライターさんって誰だろう? と考えると、好きな記事よかった記事はいろいろ浮かびますが、この人の書くものに全幅の信頼を置いている! となると、やっぱり本間夕子さんだなぁ、と。
 アジカンファンには「夏、無限。」他アドキュメンタリーブックのシリーズでお馴染み。元々はラルク西川貴教あたりを書かれてたのかな? 邦ロックでも色々担当されているお方です。
 私が本間さんの文章好きや! となったのは、例に漏れず「夏、無限。」なのですが、それこそ知識・洞察・観察力・アーティスト愛のすべてを満たしている上に文章も巧いという、およそ無敵なお方です。「夏、無限。」を読んでいらっしゃるアジカンファンはわかると思うんですが、私がこれまで読んだことのあるアジカンについての文章で、ここまで的確に彼らの本質を抉り出しているものはないと思います。音楽史的立ち位置からライブレポートのみずみずしく鮮やかな描写まで、アジカンというバンドの魅力がこのシリーズの四冊には詰まっていると思います。読んでな!!!
 また、メンバーへのインタビューに際しても、とにかく質問が的確。ドキュメンタリー本四冊目「未来、繋ぐ。」での建さんのインタビューは、彼の返答も含めて本当に白眉。別冊カドカワのGotch特集号に載っている他メンバー三人へのインタビューも、掘り下げが巧くて好きです。バンドへのインタビューってフロントマンに偏りがちだし、フロントマンの思想性や目的性が核としてフィーチャーされがちだけれど、本間さんのゴッチ以外のメンバーへの的確な把握は、アジカンというバンドの構造を誰よりも鮮明に浮き彫りにしているのだと思います。当たり前だけど、メンバー全員に必要性があってこそのバンドなので(そうじゃないバンドもあるかもしれないけど、少なくともアジカンに関しては完全にそれです)。

 あと、これは文章に関わる人間すべてに必要なものだと思うんですけど、「書くことの暴力性を知る」「書くことに責任と誠意を持つ」ことは、とりわけプロには絶対に必要なものだと思っていまして、その点でも本間さんを尊敬しているところがあります。
 ドキュメンタリー本第二弾の「春か、遥か。」、2006年の「count 4 my 8 beat」ツアーの密着レポート。この頃既にファンだった方はご存じだと思いますが、岐阜公演がゴッチの急性咽頭炎により延期になった因縁のツアーでもあります。因縁の岐阜。本間さんのレポートでももちろん岐阜公演の日付でこのことについて記されているのですが、実直に事実を記した短い文章で、ツアーのまとめ的な文章でもゴッチ本人の言葉を引用しつつ補足する形にとどめていて、それがすごく心に残っています。
 結成以来一回も公演を飛ばしたことのなかったバンドの、初めての体調不良による公演延期。web日記ではゴッチの困惑と苦悩が生々しく見られたし、いくらでもドラマチックに、悲劇的に書けたところだと思います。本間さんの文章はエモーショナルかつカッコいい言い回しがバンバン出てくるので、ここだっていくらでも飾り立てられたと思う。事実、私たちファンはそういう目線を向け、そういう消費をしてしまいがちな箇所です。
 それでも、事実と本人たちの言及を軸に据え、さらに公演延期の悲劇ではなくそこから前を見据えた彼らの視線にフォーカスを当てた描写、本当に恐れ入りました。文章に対して、誠実であるからこそ書けた/書かなかったことなんだと思います(何を書くかと同じくらい、何を書かないかは重要なことです)。あとここの建さんのコメントがかっこいいです。
 何かについて書くとき、私はいつも本間さんの文章を思い浮かべます。正確に、愛を持って、誠実に、を心かけたい人生だった……。

そもそも、何故音楽について書くのか?


 自分はそれこそ小学生の頃から文章を書いてネットに発表していたので、なんで書くんだろうな、という問いに明確な答えは出ません。なんかずっとやってるから今もやってる、という感はかなり強いです。笑。
 それでも、何故ネットに書くのか、という問いに、最近ようやく明確な答えが出てきました。

 私は、好きなものを好きと胸を張って言える社会を作りたいです。

 大きく出たな。
 好きなものを好きと言うことは、社会的な行為です。政治的とも言い換えられます(社会的と政治的をいっしょくたにするとゴッチに怒られそうや…ニュアンスの違い察してください!!!)。何かを好きでいて、どこを支持するかというのは、自分自身の問題ではありません。何を選ぶのか、から、社会へのつながりは始まっています。

 「君がどんな音楽を選んで聴くのかということは、どこかで社会に関わっている。どのような方法で聴くのかについても、聴いた後でどんな気分になるのかということも、どこかで社会に関わっている」
後藤正文『何度でもオールライトと歌え』)

 社会的行為である以上、ある一定の磁場では疎外されます。世の中のどこかには、ロックバンドが好きだと言いづらい、ロックバンドが好きであることでマイナスの影響を被る人がいる場所が存在するはずです。ただ単に相手がバンド嫌いだった、とかから、なんかSNSで叩かれやすくてキツい、メディアの報道が偏見ばかり、クソアフィに槍玉に挙げられる、ファンの中のヤバい人たちやアンチに叩かれる、政治的あれそれ、みたいなそれなりに大きい規模まで。ロックバンドに限らず、あらゆる好きなものについて言えることだと思います。
 私は、マイナスの壁を取っ払いたい。好きなものについて、ちゃんと客観的な目線や倫理観を保ちつつ、偏見や誤解や悪質な印象操作をぶち破って、ファンダムの人間として戦いたい。とか言うと死ぬほど大袈裟だし、別にバンド好きだからって殴られたり殺されたりもしないですが、それでもみんなが楽しく好きでいられるような場に貢献したい。オタクやってて嫌な思い沢山してきたもんね。
 好きなものについて語ることだって、十分政治だと思います。力は弱くとも、言葉には誰かの心を動かす力が(良くも悪くも)あります。言葉を武器にする人間には、それを適切に行使する使命があるのではないでしょうか。
 だから、私はわざわざ全世界の人間が見られる場所で、好きなものについて書き続けています。リスクはあっても、そういうことをやっていたほうが自分も楽しい。楽しい場は自分で作るものだと思っているので。

 プロのライターはそれだけではやっていけないとも思いますが、文章を世の中に出すことは社会に関わることである、というのは、万人に共通だと思います。書きたいだけなら、パソコンの中に置いておけばいいだけです。ネットにアップする、という時点で、多かれ少なかれ社会と接点を見出す目的が(意図的にせよ無自覚にせよ)あるのだと私は考えています。

 なんか散漫になったけど、結局のところ誠意と覚悟を求めてんのかな、ってところに行きついて来ました。気が向いたら加筆します。

メモ:セカイ系、アジカン、伊藤計劃

今後書きたいと思っている文章について、叩き台が欲しいなと思ったのでメモ。クソ乱雑なので何らかの意味がある記事ではありません。ホワイトボード。
アジカンセカイ系」というテーマ、まぁ昔から雑言及が多いなと思うんだけど、ちょっとここでまとめておきたい気がする。
アンチセカイ系、とまとめてしまうのは簡単なんですけど、私は別にセカイ系が嫌いではないので(もちろんセカイ系に対して批評性のある作品も好きです)、そこで落としたくない、という思いがあります。

1.セカイ系とは

2000年代前半に流行した漫画・アニメ・ライトノベル美少女ゲームといった、いわゆるオタク系文化の諸作品に現れた作品傾向のこと。発端はインターネット上で流布した言説であり、後年になって東浩紀が批評の文脈で取り上げたことにより浸透した。
物語の主人公(「ぼく」)とヒロイン(「きみ」)の二者関係が、一切の具体的(社会的)な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」といった抽象的な大問題(「セカイ」)に直結する作品の物語構造のことを指す。
代表作としては、秋山瑞人イリヤの空、UFOの夏』(2001)高橋しん最終兵器彼女』(2000)新海誠ほしのこえ』(2002)などが挙げられる。
宇野常寛は、これらの「セカイ系」的作品を90年代後半のポスト・「エヴァンゲリオン」の文脈上にあると述べ、2000年代に追いついていないと批判を加えた。

この文章が何かというと、ただの学生時代の提出物の脚注でミリ触れた部分なので、稚拙でも許して下さい!!!
確か名前出てる東や宇野や笠井とかを参照したようなしてないような。
付け加えるとすれば、たぶんネットで出てきた頃はもっと雑な概念というか、若い男女のイチャコラが雑に世界の命運を揺るがすの自意識過剰よねー、みたいな批判の文脈っぽい。

2.ASIAN KUNG-FU GENERATIONセカイ系

セカイ系ゼロ年代は結びつけて語られがちですが、ゼロ年代といえばいわゆる「ロキノン系」「下北系」国内ロックバンドシーンの盛況な時代でした。この辺はクソ雑理解なのでアレですが、
・~90年代洋楽ロックからの影響が色濃い
・ストレートなギターロックを軸とする
・メンバーが着飾らない、Tシャツにスニーカー等ラフな格好、ちょっとナードな雰囲気
・「君と僕」のクローズドな関係性とか内省的な歌詞
みたいな印象を持ってたんじゃないかな。ケトルのゼロ年代特集の号買ってたはずなんで後で読み返します。
時期とテーマ性から、ゼロ年代邦ロックとセカイ系はしばしば重ねて語られます。多分一番槍玉に挙げられるのがBUMPで、アジカンはその次くらいの感覚。BUMPは
・物語調
・「君と僕」の世界
・内省
・オタク好み
あたりで言われてるんかな。たまに「BUMPの作品には社会が想定されてないやん、アジカンはされてるのに」みたいなツッコミする人いるけど、社会が想定されてないっていうより個を大事にしているという感覚を私は受けるので個人的にはあまり否定的に捉えてません。
アジカンセカイ系扱いされる/されていた所以としては、アニメタイアップ等のオタク層への訴求もあるだろうけど、やっぱり「君と僕」の主題を取り上げられてる面が強そう。

一方でゴッチはその辺の文脈とそこに対する反感をかなり色濃く抱いているっぽいことはファンの定説になりつつある。

君繋ファイブエム』というアルバムをリリースしてから随分たったけれども、このところ、このアルバムで掲げた「半径5メートル」について考えている。まあ、当時考えていたことは、例えばインターネットの登場が代表するような情報化社会の中で、それぞれの「半径5メートル」が無茶苦茶になってしまうんではなかろうか、ということだった。ひとまずはその「半径5メートル」をしっかりと知覚したり把握したり整理しないとどうにかなってしまうんじゃないか、っていう危機感を反映させてのタイトルだった。コンフリクトして固まらずに現実と接続するための「半径5メートル」についてのアルバムだとも言える。で、まあ、そうして「半径5メートル」のことをチクチクと歌てみたらば存外にグズグズとモヤモヤの塊みたいな歌ばかりになってしまって、丸ごと焦燥感の膜で包んだようなアルバムに出来上がった。どこか青くて切ない、デビュー時にしかできないだろうフィーリングのアルバムだと思う。結成から1stアルバムまでの、7年もの不遇時代がそうさせたのかもしれない。

 そして、まあ、この「半径5メートル」というキーワードが誤解されて、同時に「君」とか「僕」とかいう二人称が当時のサブカルチャーのブームにひっくるめられて、「セカイ系」みたいな誤読をされて当時は心底気持ちが悪かった。軽く精神が溶解するくらいに今でも嫌なのだけど、俺の曲には「僕ら」っていう主語も出てくるように、「君と僕」というのが文字通りの特定されたオレとオマエ、そういう閉じた関係性を表しているんではなくて、読み手や聴き手に呼びかけるような広い意味での「君」なのだけれども、そこのところを誤読されて、「半径5メートル」の中にはオレとオマエ的な「君と僕」だけ、醸造エタノールの廉価な焼酎を友人と飲む余裕もないくらいに閉じた、オレとオマエと大五郎よりも狭い「セカイ」であるみたいな解釈をされてしまった。「ループ&ループ」のどこがセカイ系なのよと俺は思うのだけれども、「リライト」だって著作権の歌ではないか、と思うのだけれども...。まあ、随分と俺が分かりづらい書き方をしたのかもしれない。

(引用はweb日記から)

骨芋のときの解説。



後藤正文というクリエイターは、基本的に自意識の閉塞を嫌う人だと思っている。「マジックディスク」では、まさに自意識に過剰に拘泥したゼロ年代というディケイドからの脱却を徹底的に追及しているわけだし。
いわゆる「セカイ系」への反感は、彼の詩人としての根源的なテーマからくるものだと私は認識している。まぁ、自分が頑張って作ったものがあらぬ方向に誤読されてたらムカつく、というのはクリエイターの普遍的な感情かもしれんけど。
セカイ系」が侮蔑としてのタームたる所以は、狭い二人の関係性がそのまま大文字のセカイへと拡張される、身も蓋もない言い方をするなら「オタクの自意識過剰キモ!」みたいなところがあるんだと思ってるんだけど、なんでキモいかというとまぁ他の人がいないからなんだろうな。
これはマジでパブリックイメージからくる誤解の大きなところなんだろうけど、アジカンって肯定的でも否定的でも「オタクの俺らと似てる!」みたいな扱いをされてたところがあったと思う。アニメ主題歌でオタクのファンが一定数ついたこととか、見た目とか(ルッキズムをやめろ~~~!!!)、言葉遣いがオタク受けするとか、まぁその辺なんだろうけど。
未だにアジカン好きな人が思い入れを語る時、8割は「見た目が親近感わく、俺たちのような人間でもロックができるという希望を持たせてくれた」みたいな語り口になりがちだと思う。
でもぶっちゃけて言うと後藤正文にオタク性って殆どない。サブカルとオタクのクッソ安易な二項対立には持ち込みたくないけど、少なくともあの人はアニメ漫画ゲームといったオタクカルチャーに親和性は無い気がする。私はこれを説明するときに「ナードではあるがオタクではない」と言ってます。
他のメンバーもだいたい「ナードだけどオタクといえるかは疑問」みたいな立ち位置の人たちで、90年代に青春を過ごしたボンクラUKロックファン的な色は強い。潔はルーツ別だし陽キャみが強いけど、08年?の個人インタだと割かしナードにも親和性があるような感触を受けた。建さんは絵に描いたようはサブカル自意識閉塞青年だった感じ。ハルキスト……。山ちゃんは最近攻殻とかガンダムとか仮面ライダーが好き的な話がよく出てくるので、実は一番オタクでは……? と疑ってます。
でもなんかオタクに勘違いされ、俺たち! みたいな扱いをされ、オタクが嫌いな政治の話をして叩かれ、みたいな流れはあるよね。オタクが政治ネタ嫌いというのもなんかこう、意味がありそうだよね(右傾化しやすい、逆に一周廻って左傾化しやすい、結論として過激化しやすい、みたいなのはあると思うんですけど、アジカンへの反応を見てると正直かなりオタクの政治アレルギーはあると思う。まぁ個人主義だもんね)。

話が逸れたけど、ゴッチのセカイ系解釈が「君と僕の閉じた関係性」なところからして、そういう言い方をされてきたんだろうな、と推測できる。原義(というほど原義があるか?)のセカイ系から、世界変えちゃう系の大仰さとか、あとは細かいオタクギミックを除いた感じの用法。これはゼロ年代邦ロックがそういう目で見られてたってことに繋げて語れるかもしれない。
アジカンのテーマとしての「君と僕の半径五メートルの関係性を社会に敷衍していく」は、実は「君繋」から「ホームタウン」まで変わってない(と思う)。確かに君繋の時点ではフワフワしていてわかりにくいし、どんどん洗練されてはいるけど。なんなら最新シングルの「解放区」だってそういうことじゃんな。自由というお題目の裏で取りこぼされたものを拾いながら、個から社会へと想像を拡げ(ポエトリーのところがまさにこれ)、音楽によって少しずつ解放区を作って拡散してこうね、という感じの。ここ二年ほどの「音楽と自由」のテーマを模索してきた文脈はあるとはいえ、テーマ自体は分解すると普遍的じゃない? という気がする。
ゴッチの言いたいこととしては、「閉塞した君と僕の関係性をそのまま無根拠に(ファンタジーに)セカイに繋げてるんじゃなくて、個から社会への普遍的な影響力の話をしてんねん」という感じだと把握している。元からそういうテーマでやってる人間なので、そら社会の話にも興味が向く。なので、「なんかいきなり政治の話しだしたな」みたいなのは、正直あまり正確な現実認識とはいえないと思う。私も「ワールド~」あたりでちょっとビビった節はあるんですけどね。
で、それって「アンチセカイ系」なのかなあ? というか、その文脈でだけ語っていいのかな? と考えている。
「君と僕」が拡大されていく、というフォーマット自体は、アジカンセカイ系も同じだし、その手法や結論を違えているがゆえにセカイ系に対して批評性を持っていたとしても、アンチって感じ? なのか? という疑問。だって、ゴッチだって「アジカンセカイ系やん」って言われて「は? マジか?」となったってことは、肯定にせよ否定にせよ既存のセカイ系を意識はしてなかったし(そもそも当時オタクカルチャーと無縁だった人が意識はしなさそうだし)、彼ら独自の結論だったわけだと思う。なんかその辺を、こう、上手く語りたいですね。

3.伊藤計劃セカイ系

で、ここまで考えて思い出したのは伊藤計劃だった。
ゴッチが1976年生まれ、伊藤さんが1974年生まれ。伊藤さんが存命なら二歳上で、ほぼ同年代。
セカイ系への距離感と自意識至上主義からの脱却、というあたりにちょっと共通点を感じたりする。あとはナードなボンクラと社会や時代への視座を行き来できること(これマジで好きだしこういうクリエイターばっか好きになる)。
web.archive.org
ファイト・クラブ』評でエヴァをボロクソ言ってたな~と思って探してきたんだけど、まさしく自意識の閉塞への抵抗感と、「外界と『私』との関係性」というワードが出てくる。実質さよロスじゃん(?)
ゴッチがエヴァに言及してたのはこれ
cookiescene.jp
やっぱり自意識の閉塞もうやめん? みたいなニュアンスな感じ。ここでもインタビュアーの言及があるし、別の方も指摘されてることなんですけど、旧劇エヴァはむしろそれを打ちきっとらんか? セカイに繋がらない、人間と人間の関係性の「気持ち悪さ」(にこそ意味があるよね)で終わってないか? という感じはあるのですが、でも伊藤さんの言を見るとそういうことではないんだろうな……

アジカンは「ゼロ年代邦ロックが背負った自意識の閉塞からの脱却」として社会を希求する、という手法だと解釈してるんですけど、伊藤さんはそれをSF的なモチーフでやっている感じ。科学のわからんオタクなのでうまく説明できないのですが、たとえば『ハーモニー』で語られるのは、人間の本質は全然意識じゃない、たまたまなんか必要になったから進化の過程で獲得した機能のひとつであって今後もそうであるとは限らない、じゃあ意識消し飛ばしたら社会はどうなんの?みたいなディストピアSF世界だと把握してるんですけど、その辺もなんか……自意識の限界とか、社会と個の関係性とかで語れそうな気はする。掘り下げないとなんとも言えんけど。メタルギアソリッド2評の「現実は既に仮想現実である」というのもその辺かな。
伊藤さんが一人称視点に拘ってそこにギミック(信頼できない語り手など)をぶっ込んでいることとか、「物語」とそれを遺すことをテーマにしていることとか、後で考えてなんか文章にしたい。メタルギア的に言うとミーム
伊藤さんのセカイ系言及
www.sf-fantasy.com

そうですね。それと、社会全体が悲惨に対して「無関心」になっている、それを可能にしているライフスタイルも含みます。社会状況が先鋭化した針先に、感情調整などのテクノロジーが表象として現出している、ということです。社会そのものが、テクノロジーを経由して、個に投影される、という。
 だから、「虐殺」をセカイ系だという方もいらっしゃたんですけど、それはちょっと待て、違う、流入経路が逆方向だ、と(笑)
 個がセカイに直結しているんじゃなくて、セカイが個に直結している。逆セカイ系なんです。

社会と個の関係性!! これはSF的手法感がある(てきとう)。そしてやっぱり、アンチセカイ系の文脈で語るのも違和感があるなと。アンチをやろうとしてそうなってるという感じもないかな……でも自意識の閉塞テーマの否定をやるならそれはアンチセカイ系になるのかな……浅学すぎてようわからん。

4.あと気になること

・ミステリとゼロ年代(95年問題→「論理で全てが説明できる世界ではない、世界には不条理が必ず存在する」という本格ミステリの敗北→西尾維新とか佐藤友哉とか舞城王太郎とかのゼロ年代メフィスト系というかファウスト系? の流れ→絶対的真実は存在しない的なテーマの本格がいろいろでてくる→今ってどうなんだ)
RADWIMPSって新海作品の主題歌のイメージも強いし君と僕のパワーでなんでもできるぜ! できなきゃ死ぬぜ! みたいな印象強いからセカイ系かなと思うんだけど(HINOMARU問題でも指摘されてた気がする)、なんかそれも雑かな……というところがあり、なんらかの評を読みたい。ゼロ年代邦ロックの流れで出てきた意味がありそうな気がする。でも政治風刺とかもやってたよな……うーん……
・ミステリとRADといえば有栖川有栖『インド倶楽部の謎』なのですが、前世なんて必要ねぇんだよ! テーマの作品で井上陽水『人生が二度あれば』とRADWIMPS前前前世』が対比的に取り上げられるの、なんか書きたいとずっと思ってます。これゼロ年代邦ロックの自意識の閉塞と繋がるのかな~~~でもRADとセカイ系を否定的な文脈で書きたくないな~~~でも有栖川もわりとアンチ自意識の閉塞なとこあるからな~~~~アジカン要素ある? これ……
・別に伊藤計劃の話しなくても語れないかという気持ちになってきたけどアジカン伊藤計劃の話がしたかったところはあるな ゴッチよ……ハヤカワの仕事とかやってたはずだけど虐殺器官とハーモニーは読みましたか……?

自分用まとめ
ゼロ年代における自意識の閉塞(ニアリーイコールセカイ系)もうやめようテーマとしてアジカン伊藤計劃は共通項があるなーと思うし、両者の手法はセカイ系に対する批評性を持ち合わせてはいるけど、アンチセカイ系という言葉では表現できない気がするので掘り下げて考えたい。
過剰にボンクラ面をフィーチャーされてしまったアジカンと、過剰にボンクラ面を軽視されてしまった伊藤さんという対比はなんかおもろい。

ASIAN KUNG-FU GENERATION「ホームタウン」最(じゃないけどそれなりに)速雑感

買いました。聴きました。感想書きます。
楽器や音作りの話は全くわからないんでそういうのは雑誌とか読んでください。歌詞の話が多めです。オタクなので……

Disc.1 ホームタウン

1.クロックワーク

リヴァース・クオモブッチ・ウォーカーとの共作(というか、インタビュー読む限りリヴァースに頼んだらなんかいつの間にかブッチも協力してもらってた、みたいな感じなんですかね)。
街の雑踏の音からギターのアルペジオで静かに始まり、サビで一気に展開する。アジカンの一曲目にしてはスローに広がりを持たせる曲という感じ。最近のアジカンの曲は往々にしてそうなんですが、間奏・アウトロのギターがエモーショナルで非常に良い。この辺までくると確かにウィーザーっぽいなあと思うんだけど、アジカン色にもなっていると思う。
歌詞はタイトル通りシンプルな時計モチーフで一貫させているんだけど、アルバム通してのテーマ性(私はおそらく「歩みを緩めること」だと思ってます)の宣言にもなっていて良い。
アウトロ、エモいギターで終わるのではなく、ゴッチの述懐のような「忘れられないよね」で終わるのがアジカン~!という感じでいいですね……

2.ホームタウン

本アルバムのリードタイトルにして白眉。アジカン一番の持ち味ともいえる「サーフ ブンガク カマクラ」的なカラッとしたパワーポップ
やっぱりアジカンの強みはキャッチーなギターリフとシンプルなメロディだと思うので、ここ最近でも指折りの名曲と言えるのではないでしょうか。こういう曲にタイアップ持ってこれないんですかね……
ツイッターやインタビューでゴッチが口癖のように繰り返していた低音の話に「お、おう……」って感じになる自分のような耳の悪いリスナーでも、明らかにこれまでと違うように聴こえるスネアの「パァン!」という軽快さと重みを持ち合わせた音。確かに楽器と楽器の分離がいいというのか、ちゃんとくっきりそれぞれの楽器が何の音を鳴らしているのかはっきりわかる。低音をきっちり作ると上のギターがきっちり聴こえるってことなのかな。よくわからんけど。
歌詞はRCサクセション「雨あがりの夜空に」の本歌取りっぽいことをやりつつ、アジカンにしてはあっさりと言っていいほどストレートなメッセージソングに仕上がっている。サビの「俯いていては将来なんて見えない」は定型句に見えるけれども、冒頭の「ナッシング 実は何にもない」からの連に象徴される「喪失と獲得の両義性」というアジカンの一貫したテーマ(「ボーイズ&ガールズ」もこれで、恐らく意図的に繋げてますね)の文脈の上に乗せることによって、重さの全く違う言葉になっているのが面白い。でもこの歌詞のパンチラインはどう考えても「『こんなことして何のためになるんだ』 そんな問いで埋め尽くされてたまるかよ」でしょう。強い。
サボテンするときにわざわざ丁寧に靴を脱いでるMVが面白いことも含め好きです。

3. レインボーフラッグ

いい感じに泥臭いイントロから始まり、こういう感じの曲にアジカン節乗せていくのかな~と思い聴いていると「いつだって悲しくなって~」からガラッと曲調が変化してオッとなる。ここの歌い方、コーラスの重ね方がまた肩の力が入りすぎていなくて良い感じ。あとこの曲調でこの歌詞というのがアジカンらしくて良い。ラストは展開を戻しつつも余韻を残して終わる。
歌詞に関してはLGBTの象徴であるレインボーフラッグを題名に冠する通り、多様性を許容する自由を求める人々へのエールなのかと思うんだけど、もうちょっとレンジを広くとった歌詞のほうが個人的には好きだな、と思った(象徴として使っているだけで、LGBTの人々だけに向けた曲ではないと思うんですが、歌詞の広がりや読みの余地がもっとあったほうが好みだなという意味で)。万人に刺さる可能性があるテーマだけに。
あともうちょっとうまいこと言ってくれたほうが楽しいかなという個人的な欲望。やっぱりアジカンにおけるゴッチの比喩やワードチョイスが好きという面はでかいので。歌詞に「七色のアーチと自由なフラッグを掲げよう」とまで出しているので、自分ならタイトルはレインボーフラッグにしないかなぁ……。
リンドウの花言葉ネタを持ってくるの本当にオタクに刺さる

4.サーカス

ローファイな……と言うのかな? ゆるい感じのビートはGotchソロ色かなとも思うんだけど、特にサビのメロのくっきりした感じははっきりアジカン色という印象を受けた。曲として好きかと言われると微妙なところだけど、「愛なき日々のハーフタイムショウ」の部分がメロといい歌詞といい(この言い回しのセンス好き)すごく良い。
「滑舌の悪い~」のところ、前情報として雑誌で読んだときは「ウーーーン!!!」って感じで、実際に曲として通して聴いてみても「ウーーーーーーン!!!」って感じでした、正直に言うと……。
思想どうこうとか、風刺的な歌詞がイヤとかそういうわけではなく(はっきり言って積極的に好きにもなりませんが)、皮肉というのはピンポイントでクリティカルヒットさせないと意味がないしダサいと思ってるので、正直ここは「もっとダメージ入れる言い方があるのでは!?」と。別にダメージ入れようとして言ってないとは思うけど、だって滑舌の悪いのが問題だと思ってるわけじゃなくない……?それは表層的なdisすぎない……?もっと根本的な問題を抉り出すような物言いがゴッチなら出来るんじゃない……?いや知らんけど……私の意見じゃないので……。
ただ、音楽と人のインタビュー読む限り、これってゴッチ自身のことにもかかってるダブルミーニングっぽいんですよね(気付かなかった……「ゆーて君も滑舌悪ない!?」って普通に思ってた……まぁ意識するよねゴッチなら)。プロテストソングがやりたいわけじゃないみたいなことも(聴き手に考える余地を与えたかったのかな)。1980で「出鱈目 プライム・ミニスター」をdisりながら「猿真似 フェイク・ロックスター」と自虐もする、みたいなバランス感覚は好ましいし(この歌詞も別に好きじゃないけど)、そういう「俺自身はどうなんだ」みたいな問いを常に内包させる意識はずっとあって欲しいんだけど、それはそれとして滑舌の悪いって表現を使うのは個人的に好きじゃないかな、と思います。対象と自分を同時に刺す高度なテクニックとしてはぴったりの表現なんですけどね。そもそもそこを槍玉に挙げるのはポリティカリーインコレクトじゃないかなとも思うし、あとは仮想敵よりもその背後にある構造そのものを刺してほしいなというのもある。
アジカンにおける風刺の完成系は「それでは、また明日」だと思っていて、この曲は震災という背景を代入してもしなくてもちゃんとテーマがはっきり浮かび上がってくる読みの強度もあるし、何よりCメロの「緩慢な輪になって 単純なことになって 賛成か 反対か それは何やってるの?」のくだりに妥協が無いというか、いずれか一方に与して他方を叩きのめすのではない、陣営ゲームに甘んじない強さがあると思うんですよ。聴いた人全員、この社会に属する全員がハッと我が身を振り返って身を正すような、そういう一方的ではない風刺こそが理想と自分は勝手に思ってます。で、「それでは、また明日」がメチャクチャメチャクチャ好きすぎてハードルが上がってしまうんですよね……。だからアジカンの風刺系にはちょっと辛辣な感想を持ちがち。「惑星」とか「祝日」も実は歌詞がそこまで好きではない……。
基本的に後藤正文の歌詞についてはサイコー!!!300万点!!!みたいなスタンスなんですけど、こういうあたりのバランス感覚は課題かなと偉そうなことを思ってます。やっぱり「何度でもオールライトと歌え」で述べられていた二項対立の先の理想を信じたいので。
アフィブログとかに捕捉されたくないしギャーギャー騒ぎ立てられたくもないのでフワフワした言及で失礼しました……あの辺の輩は早々に滅びてくれ……。文句長すぎ

5.荒野を歩け

音楽文でいろいろ書いたので割愛。
「アジカンという呪い」を超えて – ASIAN KUNG-FU GENERATION『荒野を歩け』が拓いた地平 (柴山ヒロタカ) – 2017年5月・月間賞入賞 | 音楽文 powered by rockinon.com
アルバムの流れで聴くといい感じのゆるさがマッチしていていいですね。荒野が軸のアルバムって感じする。
音楽文では書かなかったけど、なんだかんだ言って「夜は短し~」を読み込んで作ったんだろうなってところが好きです。主題歌制作うま太郎か?

6.UCLA

スロウテンポな入り方に女声パートがあったりしつつもじわじわサビへ向けて熱を上げていき爆発するタイプの曲(今回結構これ系ですよね)。
「呼び声が君に届くように 出会うべき人と出会うように」でリズムパターンが変わって開放的にギターが鳴るの本当に気持ちいい! しかもここ、歌詞も最高なんですよ。現状を「君はまだ雨宿り」と置きながらも「君に届く」ときがくる、としているのは、前述の「歩みを緩めること」まさしくそのものだよね。Aメロの描写とか「わたしはわたしを抱きしめたいだけ」というパンチラインがここで生きるんだよな~!
テーマ的にも曲的にもなんとなくランドマーク期の好きな曲を思い出しました。バイシクルレース大洋航路あたりの……
Talking Rockで歌詞が「迷子犬と雨のビート」の引用だと触れられていて、読んでみると確かにな~と思った。迷子犬も「いつか君と出会おう」なんですよね。

7.モータープール

てっきりこれがリヴァース曲なのかと思うくらいにのっけからウィーザーリスペクトって感じだし、サビのギターフレーズとボーカル&コーラスの乗っかり方とか本当にめちゃくちゃ好きですね。パワーポップアジカン流に消化・昇華するとこうなるよ、という好例というか。ちょっと翳りのある歌詞だけど(好き)、言葉の乗っかり方もこのアルバムトップクラスに気持ちいい!
「鼻歌 歌った 好きな曲じゃないのに」とかサラッと出てくるところが本当にゴッチ作詞ぢからメチャクチャレベルアップしてるな~!と思う(言い方がえらそう)。
三分半程度でちょっと物足りないと思うくらいで終わるのも憎い。特異なことをしていなくても強いというかなんというか、そういうアジカンらしさという面でもこれをリードにしてもいいくらいに思うんだけど、なんでシングルならんのかな~あっゴッチが「ボーイズ&ガールズ」ゴリ押ししたからだ……(察し)。

8.ダンシングガール

こっちが二つ目のリヴァース曲。不穏なイントロ~Aメロからポップなサビに開けると「なるほど……ウィーザー……」となりますね。でもこれも結構アジカンナイズされているよな……と思うと謎のハードな間奏が始まってンンッwwwとなる(ゴッチが「笑っちゃうやつ」って言いそうなやつ……)。でもこの間奏から「あの娘が笑ったんだ」でラスサビの流れがすごくかっこいいんですよー!!!サビのコーラスも好き!
これも音から歌詞起こしてると思うんですけど、言葉の流れが気持ちいい歌詞ですね。「闇も夢も連れ出して」は後藤節だな~!好き!
「辿れば疲れる言葉たちを~」のところが「歩みを緩める」テーマかな、と思う。

9.さようならソルジャー

これめちゃくちゃいい……イントロAメロBメロサビで結構曲調がコロコロ変わりつつもサビでちゃんと回収して着地してくれる感が頼もしい……。
歌詞の中にオールライトを据えるだけあってここまでの流れとか結構盛り込まれてるのかなーなどと思いました。歌詞に「時計塔」が出てきて「クロックワーク」に戻る感じもそれっぽい。「南の島へと辿り着くまで」の後からオリエンタルというかアジアンというかな曲調になるやつは笑うが……。
これ、タイトルからして「ああ、そういう歌なのかな」とも思うし、Talking Rockかなんかのインタビューで南北朝鮮のイメージって語られてたので思いっきりそういう文脈を意図して書かれたとは思うんですけど(「境界線の向こう」だしね)、私は勝手に(広義の)ラブソングと解釈してるし、もっと言うなら「アジカンと我々=リスナー」のラブソングとして超勝手に受け取ってしまっています。「これからは君が会いに来て」「僕たちはまだオールライト」「遂に君と出会った もう 離れないでよ」なんだよな~~~!
いやもう完全なる勘違い読解なんですけど、ゴッチもその辺は受け手の自由だと思ってくれるだろう……。意図通りの意味でも(広義の)ラブソングだとは思うし、好きなのですが。

10.ボーイズ&ガールズ

歌詞、優勝!!!!!!!!100億点!!!!!!!!!!!
「生者のマーチ」からの流れであり、源流を辿れば「マジックディスク」各曲、いやもっと遡って「タイトロープ」にも行けるしいっそ「遥か彼方」でもある(あとソロだけど「Can't Be Forever Young」も)アジカンというバンド、そして後藤正文という詩人の根源的テーマである「喪失と獲得の両義性」の最も優れた形での表出ではないかと思います。このテーマとアジカンについてはそれだけで記事一個分語れるしいつか語りたいところなんですけど、その辺の流れが全て「はじまったばかり We've got nothing」にすべて集約されているの、満を持してという感じですね!
冒頭の連からもう本当に歌詞が完璧すぎて歌詞が完璧しか言うことがないな……。
「ホームタウン」で「ナッシング 実は何にもない それに先立って夢も希望もない」で、「ボーイズ&ガールズ」で「教えてよ そっと 夢と希望 まだはじまったばかり We've got nothing」に着地するの本当に完璧すぎるんですよね。何もないからこそここから始まる。このナラティブの読み変えというか、ドミナント・ストーリーからオルタナティブ・ストーリーへの転換というか、その辺はソロの「Lost」でちょっと触れられてる部分なんですけど、それをアジカンとしての形でアップデートしてきたのがこのアルバムでの流れなのかなと思います。さらに「ここからが始まり」っていうニュアンスが強くなってますね。
曲構成は特殊だしテンポのいい曲ではないけど特徴的なフレーズの繰り返しがあるので、訴求力自体は強い曲なんじゃないかなぁ。主題歌っぽい。何らかの主題歌にして欲しかった……。
総じてリードギターのエモいアルバムがリードギターがエモく終わるところもいいですね。ラストナンバーらしいラストナンバーに落ち着いた曲。

Disc2. Can't Sleep EP

1.スリープ

フィーダーのグラント・ニコラスとの共作。昨年のスプリットツアーで曲自体は聴いていて、「おお……めちゃくちゃフィーダーだな……」と頭の悪い感想を抱いた記憶があるのですが、Aメロ・Bメロのコード進行やメロディの上下は確かにフィーダーっぽい(クソにわかの偏見)し、サビもアジカンっぽくはないなとは思うんだけど、なんかアジカンなんですよね……Cメロがそれっぽいからかな……でもCメロもアジカンらしさではない気はするんだよな……曲構成に自信ニキの解説を求む。
コーラスの重ね方もアジカンっぽいようなUKっぽいようなという感じに思える。
これもとにかく歌詞がムチャクチャいいんですけど、こういうおっさんバンドがAメロのこういう歌詞歌ってんのそれだけで感極まるな、「破れたシャツ ズタズタのプライド 引きずって もう」「干からびてカラカラの才能 携えて もう」とか本当にヤバいですよ。
それで「『繋がっていたいよ』古びた破片が光った」でしょ……。これは「未来の破片」のセルフパロディなんですけど、「繋がっていたいよ」って初期アジカンの根本のテーマのひとつで、それがパブリックイメージと強く結びつきすぎたり、テーマとしてもそこが強くなりすぎて自家撞着になったりしていたところがあって(「君」と「僕」の結びつきだけを見られてセカイ系と誤解されたように)(でもどうやったらアジカンの歌詞からセカイ系を感じ取れるのか未だによくわかんないな)、それゆえに「マジックディスク」の「イエス」ではそこがぶった切られたんですよね。

「『繋いで』それだけを頼りに意気込んだ彼らの 屍 掻き集めるなら新しい何かを」
「『繋いで』いるような素振りに掴まって浮かんでも 死ぬまで細胞は個の壁を乗り越えないだろう」

バンドのキャリアとしても時代としても、「繋いでいたいよ」と無邪気に歌っていられる時期はとっくに逸していただろうし、言語表現やってる人間はどこかしらでディスコミュニケーションという課題にブチ当たるものだと思うので、作家としては至極当然な帰結だと思います。それにしても自分たちが過去歌っていた希望を真っ向から斬り捨てるこのフレーズは衝撃的だし、もう完全にアジカンという存在を殺しにかかっていて、その勢いはメチャクチャ好きだけどそれはそれとして悲しいよなぁ、みたいな思いはあって。「マジックディスク」って全体的に「このご時世になってロックが自意識にばっかかかずらってる場合じゃねぇ!」みたいな勢いがあるじゃないですか、その勢いは強いし正しいけど同時にものすごく自滅的だなとも思ってしまうんですよ。事実、相関性があるかはともかく、この後のツアーでアレがアレしてアア~ッてなって震災前は解散寸前だったわけだし……。
そういう「マジックディスク」への「めっちゃ好きだけどめっちゃつらい」みたいな思いが、「スリープ」のここでちょっと成仏したんですよね……。
「未来の破片」の「繋いでいたいよ」は時を経て「イエス」で棄却されて、その先を模索してたけど(「Easter」は「イエス」で殺したアジカンを「復活」させる曲説もあったね)、ここにきてそれでもその時の想いは「古びた破片」だけど「光っ」ているものなんだな、って……。無駄ではなかったんだな、って……。過去の自分への赦しでもある。
「新時代の胎動 古びた破片が光った 繋がっていたいよ」で終わるんですよこの曲は。「繋がっていたい」というテーゼは古びてはいるけど、輝きを失ってはいないし、新たな時代をゆくアジカンの中にもちゃんと存在しているものなんですよ。あ~~~エモ~~~~~い。。。
あとCメロももしかして引用なのかな。「何もできずに毛布をかぶったり」は「桜草」、「燃え尽きるまで」は「ロケットNo.4」、「弱く光ったり」は「路地裏のうさぎ」を思い出したんですけど、深読みしすぎですかね……。
曲300点歌詞5万点偏差値3億みたいな曲(インフレ)。

2.廃墟の記憶

ストレイテナーホリエアツシ曲。JAPANインタで「ホリエの曲だけはどう聴いてもホリエだわ」みたいに言われてたの笑ったけどまあホリエ節でしたよね……
メロディの記名性も強いし、リズム的にもアジカンによくある感じではないし、何よりホリエも歌ってるしな……
「照準を背中に~」のところとかもアジカンらしくなくて新鮮で楽しい。
てっきり歌詞も共作なのかなと思ってたんですけど、なんとゴッチがホリエっぽい言葉遣いを意識して全部書いてるっぽくてヒエ~ッ文体模写うま太郎~!?と思いました。ワードチョイスもだし、「書類の改竄に~」「手向けられた~」のとこの皮肉っぽさもいい感じにホリエ節とゴッチ節が混じってて好きです。
テナーファン的には「君は残って ここに残って後を担うのか」「長いばかりで中身のない話をしながら」あたりでニヤッとなるのもいいですね。私はファンだけどすごい聴きこんでいるわけではないので、テナーガチ勢の人が探せばもっと元ネタ沢山ありそうな気がします。誰かよろしく!!!

3.イエロー

全山ちゃんファンが死んだやつ(ライブ楽しみですね……)。
山ちゃんって実はゴッチよりも「世間で言うアジカンらしいアジカン」的なフレーズ・曲構成を作るのが巧いんじゃなかろうかと思っているんですけど、これのイントロとかもあ~めっちゃみんな好きそうなやつ~!ってなる感じが山ちゃんだな~と思いました。ただ自分としては「アジカンらしさを度外視して120点のいい曲を作れる」のがゴッチ、「アジカンらしさを巧く具現化しつつ平均点は超えてきてくれる」のが山ちゃん、というイメージがあって、「イエロー」もそういう感じ。そういう意味でこの二人の共作が一番のヒットへの道だと勝手に思ってるんですけどどうなんすかね……。
シリアスなイントロからヴォコーダー通した無機質なボーカル(山ちゃんです)が不穏なAメロ、サビはポップに開けるけど二回目の「誰も知らないまま」でコード進行変わる?っぽいとことかは山ちゃん節かな~と思った。なんかそういういい感じのテクニック使ってくるのはアジカンきっての理論派の山ちゃんかなと思っているので……(偏見)
歌詞は完全に皮肉とか風刺に振ってる感じ。テーマは割と明確で、悪くないけど好きでも嫌いでもないかな……。「闇雲な愛から浮き上がった悪夢」「君らしさの果て」とかの要所要所のワードチョイスは好きなんですよね。イエローは肌の色のことなのかな。

4.はじまりの季節

THE CHARM PARK兄貴、bioに「ゴッチさんじゃないです」って書いてるのムチャクチャ笑うんだよな
インタビュー等でゴッチも似たようなこと言ってるけど、理屈で「アジカンらしさ」を詰めて曲にしてて、これ嫌いなアジカンファンいねえだろうなって感じになってて本当にすごい。バークリー卒の圧倒的”パワー”。明るい曲だけど翳りがあるとことか本当にそれっぽい~! アウトロもWonder Future期の大団円アウトロって感じがして美しい。
題は「終わりの季節」からなんだっけ……その辺履修不足なので識者の感想を待ちますが……。
この後の「生者のマーチ」に続くような「生と身体」みたいなテーマ性を孕みつつ(どちらも「輪郭」という言葉使ってますね)、「もう余命だって何十年とはないから」という今のゴッチにしか書けないよなーという部分もあり。死と終わりを見据えた上での生、失うことがあるからこその得るもの、まさしく「喪失と獲得の両義性」に繋がるテーマ性はすごくいいし、ていうかこのテーマでアルバム一枚作ってくれよって「生者のマーチ」からずっと思ってたんですけどもうワンチャンないんですかね……。今の年齢ならめちゃくちゃいいもの出来ると思うんだけどな。

5.生者のマーチ

発売当初に「神!?!?!?!?!?!??!?!?!」みたいなこと喚きすぎて、あまりにも好きすぎて、マジでこの路線のアルバムが欲しかったみたいな思いを未だに喚起してしまうレベルに好きだし、好きすぎて何回も聴けない(泣くので)。
的確に使うべき個所にだけ比喩を配置して、限界まで言葉を削ぎ落とし、サビではいい意味でアジカンらしくないドストレートな言葉を乗せ、アウトロでは詞より饒舌なギターに語らせる、もう何もかもが最高。これは本当に今のアジカンにしか作れない曲(そして今の建さんにしか演奏できないギター!!!)。
喪失を前提に置くからこそ尊く愛おしく立ちのぼるわれわれの生を、ここまでみずみずしく描いた歌詞があったでしょうか。
このテーマはここが最高峰だと思ったけど、この後に「ボーイズ&ガールズ」が出てきたので本当にゴッチは無敵だなと思いました。

総評

めっちゃ良かった。減点20加点2189461294812794128478197みたいな感じだった。
単なる「サーフブンガクカマクラ的パワーポップ回帰」で語られたらもったいないと思う。自分のよくわからないサウンドメイキング的な進化を除いても、(特にギターが)やっぱ今のアジカンですよね、という感じなので。サーフブンガクは二枚いらないし、ホームタウンはサーフブンガクの二枚目ではないし、サーフブンガク完全版の話がどうなったのかそろそろ教えて欲しい。
ホームタウンのほうは「歩みを緩めること」がテーマなのでは、と書いてきたので、それに関してちょっと付け加え。メディアを通じた情報の速度がとにかく速くなり、身近な人間関係から世界での出来事全部ノータイムで懐に入ってそのまま出ていくようなファストな世の中で、別にそこについていかなくてもいいんじゃないか、自分の速さで歩いていても割と大丈夫だよ、と言ってくれる感じのアルバムなのではないかと思う。それはかつて自分たちも時流に乗って周りに負けじとガツガツ戦ってたアジカンが歳を重ねて自分たちを肯定できるようになってきたからこそのテーマでもあるし、世代問わず響くテーマになりえるんじゃないかな。
アジカンのそういうリアルタイムで感じたことをテーマにしてくれるのに軸はブレてないところ、本当に愛せますね。好きです。
サーカスのことも愛せよ