幻想俯瞰飛行

生存記録を兼ねて長文を書くためのブログ。文章読んだり書いたりします。 

原作ファンがドラマ『臨床犯罪学者 火村英生の推理』第四話・第五話を観ました

 こんばんは。
 私的なことですが、忙しかったりインフルエンザにかかったりフリースタイルダンジョンをyoutubeで一気見したりしていたので感想を書くのが遅れてしまいました。別に誰に強制されているわけでもないけどとりあえず謝罪。あとフリースタイルダンジョンめっちゃ面白いので観ましょう。日本語即興ラップすげぇ……言葉の力すげぇ……

 というわけでドラマ感想です。相変わらずドラマと原作のネタバレに触れております。


☆4話『ダリの繭』

 原作は角川書店『ダリの繭』より。

ダリの繭 (角川文庫―角川ミステリーコンペティション)

ダリの繭 (角川文庫―角川ミステリーコンペティション)


 はやい(確信)
 原作の『ダリの繭』って、調査→事実判明→調査→事実判明の地道な繰り返しの、ドラマでいえば2サスっぽい構成で、なおかつ登場人物全員が秘密を抱えていてそれが一つ一つ紐解かれていくことで真相に近づいていくというミステリなんですよね(その「登場人物全員謎を抱えている」図式が都市小説的、みたいな話は読書メーターで300回くらいした気がする)。逆に言えば、そういう事件を複雑化させている要因さえとっぱらえばトリック・ロジック・真相は割とシンプルな話なんですよねぇ。
 そしてその根幹のミステリ部分だけやりました、というドラマだった気がする、いい意味でも悪い意味でも。いや、一時間枠でやるならこれが限界だと思います。かといって前後編に分けるほどの話でもないので、すごく微妙な扱い。個人的には満足ですが、足りない人もいるだろうなぁ。アリスのトラウマを話の筋に持ってきたのは割といいなと思いました(でもそれならスイス時計やってほしかったな~)。
 ドラマのテンポといえば、今期なんか割とサスペンスドラマを観てるんですけど作品によるテンポの差ってすごいありますよねぇ。火村英生の推理はハイテンポでズンズン話を進めていくタイプで、スペシャリストとかもそういう感じを受けます。逆に相棒とか科捜研の女みたいな定番シリーズはペース保たれてますよね(話にもよるかな?)。どっちがいい、とかではなく、対象層とかでも違うんでしょうね、面白いな、と思う。

・冒頭
 ドラマでは特に説明はありませんが、原作では火村の誕生日&アリスの新刊出版祝いでした。まあ放送時期からして誕生日ではないもんなぁ。仕方ないね。

「では」
 友人はシャンパンのグラスを目の高さまで上げた。
有栖川有栖の最新の後悔に――」
 私はよく冷えた自分のグラスを取って、彼に言い返す。
「老境にひと足早く近付いた親友に――」

(『ダリの繭』)

 ここすき(かっこいい)

・フロートカプセルは割とあんな感じらしいゾ
http://courrier.jp/news/archives/3544
 ちょっと試してみたい。

・アリスのトラウマ
 という名のサブカル文系ボンクラオタクみんなのトラウマ。
 未だに読むたびに自分のアレコレが蘇ってきてつらくなるやつです。
 引用しようと思ったけどむっちゃ長いので原作読んでという話。この場面で重要なのは「現在は言葉によって飯を食ってる有栖川有栖という人間の根幹に、言葉で相手を救えなかったどころか心を動かすこともできなかったトラウマがある」という部分でしょうね。つらい……
 ドラマでは前回の「事実は小説にしない主義」の引きからここでアリスの物語をやっておいて、視聴者に「この人は何者なのか?」を提示する意味があるんでしょうね。語り手でない分、ドラマでのアリスの人物像はわかりづらくなるわけですから。火村の物語はドラマシリーズ自体のインセンティブになるので、必然的に後半にせざるをえないですしね。

 私の小説。私の繭よ。

 お前らの繭よ……

 あと窪田正孝の演技力が如何なく発揮されているシークエンスでもありました。やっぱりすごいですねこの人!


・謎の少年
 シャングリラ関連人物に恨みのある快楽殺人犯?
「この犯罪は美しくない」模倣といい、物語構造上火村と対になる存在のようですが、それがどう物語に影響してくるか。少年は殺人に悦びを感じているようですが、それがずっと続くのか。火村もまた殺人に際して薄暗い悦びを感じてしまう人物なのか、はたまた対にはなるがその一点で決定的に違うという形で物語を運んでいくのか。今後に期待ですね。
 
・うなされてたら起こしてやろうか
 原作より突っ込んだ話をしますね……
 やっぱりドラマ版は原作とはまた違った場所を目指して走っているのかな、という感触。というか、そうであって欲しい。ドラマはドラマならではの地平が見たい。

・新婚ごっこ
 ノーコメント!ノーコメントです! サイファ祭のサイン会待機列での話はやめろ!
 それより「知っとるか、俺な……」の続きとは……ここがブツ切りなのは意図的なのかミスなのか。

・推理シーン
 今回の火村は煽りよる。
 原作の占い師カチコミシーンを意識した戦術の一つ+優子からのあの一言を引き出すための物語上の演出、更に次回で火村の異常性というか狂気を描く必要があるのでそのための前準備、という意図でしょう。映像で観ると破壊力が高い。

・「楽しいですか?」「こうするしかないんです」
 ブ、ブラジル蝶ーッ!
「こうするしかないんだ」のくだり大好きなんですけど、原作では決定的な矛盾を突かれどこか追い詰められての一言だったのに比べて、ドラマでは自嘲の笑み混じりの自虐的な一言で、ニュアンスは違うんだけど探偵としてのスタンスを表す一言としては共通していて、斎藤工の演技力も含めてここはすごいなあと思った。

「あんたがハンター気取りの名探偵だってことだよ。犯罪者を蝶々みたいにコレクションして喜んでる正義の味方か。刑事でもないのにおせっかいな男だ。権力に飢えた下衆じゃないか。私の知り合いの男はな、あんたのことを化け物だと言ってたよ。天才の譬えじゃない。ただの化け物だ。当事者でもない、警察官でもないのに、犯罪の中に飛び込んできて、犯人を狩り立てて喜ぶなんてこと、まともな神経ではないものな」
 にらみつけられたまま、火村はしばらく黙っていた。が、やがて――
「こうするしかないんだ」

(『ブラジル蝶の謎』収録『ブラジル蝶の謎』)

 優子に「楽しいですか?」と訊かせるくだりは、『モロッコ水晶の謎』を思い出した。

「犯罪学者って、犯罪のことばかり考えているんですか? 研究ですから、そうですね。それはその……暗いというか、気が滅入って、つらくないですか?」
(中略)「世の中にはもっと楽しそうな研究がいくらでもあるだろうに、何故そんな嫌なものばかり見つめるのか、と思うかもしれないね。でも、仕方がないんだ。人は、楽しいことを選ぶんじゃない。選ばれる場合もある」

(『モロッコ水晶の謎』収録『モロッコ水晶の謎』)

 火村が「そういうやり方でしか生きることが出来ない」探偵役、ということを端的に表しているシーンなので、ドラマ版のこの場面とも共通点はあるかな、と。余談ですが犯罪学は楽しいです(実際に犯罪の現場に踏み込んだら楽しくないかもしれない)。

 ドラマ版でいいなあと思ったのが、ラストでアリスが優子にかけたこの台詞。

「鷺尾さん。自分のことを、自分の過去を、否定しないでください。……この間、俺に言ってくれた言葉です。本当に、ほんまに救われました。でも、今のあなたに、かけるべき言葉が見つかりません。また、ずっと考えます」

 これはもちろん自分自身の過去にもかかっている台詞で、だからこそ原作と同等に、もしかしたらそれ以上に重い台詞だな、と思いました。この「ずっと考えます」というのは、つまり自分の過去とも逃げずに向き合い続けるという意味だし、アリスにとって「書き続けます」と同じ意味なんですよね。原作における『スイス時計の謎』での解決を、よりわかりやすい形で表に出した台詞だなあ、と思います。火村にしろアリスにしろ、決して答えの出ない問題を考え続けて、戦い続けなきゃいけない物語なんだよな……


☆5話『ショーウィンドウを砕く』

 原作は角川書店『怪しい店』収録『ショーウィンドウを砕く』より。

怪しい店

怪しい店


 原作からして結構複雑かつハイコンテクストで好きな回なんですけど、ドラマ版も割と好きな内容に仕上がっていて、観ていて楽しかったです。コロンボや古畑を例示するまでもなく、ドラマにおける倒叙はやっぱり臨場感が段違いでエキサイティングですね!

・諸星沙奈江
 原作では、この話は「サイコパス診断でそれっぽい結果を出してしまう(ニアサイコパスっぽい)犯人/その上を行く異常者の探偵」という構図がキモになっている部分がありましたが、ドラマではさらにレクター博士のような存在であるっぽい諸星が加わることによって、その辺に説明が付加されている感じはありましたね。

「あなたはこっち側の人間だ。何故まだそっちにいる?」
「俺は犯罪者が憎い。そこにどんな理由があろうと、理性の淵から落ち、そっち側に行ってしまう犯罪者が」
「それが、少年や理性を持たぬサイコパスでも?」

「こっち側」「そっち側」という概念、というか犯罪者とそれ以外の人間への線引きは原作でも出てくる話で、「彼岸へと飛び立った犯罪者を撃ち落とす」のが火村の信念。だとしたら、そもそもその線引きすらなく、理性の境界など用を為さず殺人を犯すサイコパスに対して、火村英生はどう戦うのか?というのは割と突っ込んだ話をするなぁ、という感想。原作でもその辺はそこまで突っ込まれていない話なので。
 サイコパスって良心や罪悪感、共感能力の欠如したタイプの人間であって、理性がないかどうかっていうのは微妙っすかね……とは思ったけど、まあここでは「己の意のままに殺人を犯すことを是とし、それに対して理性の歯止めを持たない」という定義なんでしょうなぁ。
 ドラマ版の火村のキャラ造型は、その辺の理性/欲望の葛藤がキモになってくるのかな、というのがここに来てようやくつかめるようになってきた気がします。原作でもその要素はありますが、ドラマ版はより強く、はっきりと打ち出されているイメージ。そして、欲望の部分を引き出すのが諸星の存在なんでしょうね。となると、火村はクライマックスで諸星を殺そうとするのかなぁ(PSYCHO-PASS一期かな?)。
 原作の時点で、「火村はもし過去と同様の殺したいと思うような相手に出会ったとき、果たして同様に殺意を抱くか」という疑問は持っていたんで(そして答えは出ていない)、ドラマでその思考実験が見れるなら面白そうだなと思う。

 この話の犯人の動機に対するちゃんとした解釈は原作でもドラマでも出来ていないので(原作の感想で「持てるももへの持たぬものの複雑な感情」的なことは言及した気がしますが、それだけじゃないよね)、言及は控えますが、ことドラマ版に至っては「動機なき殺人」と解釈するのもありかな、と思う。火村とアリスの「人が人を殺す心理はいつの世も変わらない」→「明白な動機だけが殺害理由ではない」という会話のくだりがあったね。
 うーん、ドラマ版だけでなく原作の感想もちゃんと文章にまとめたくなってきたぞ……。

「今日の昼、何を食べましたか?」という火村の問いがこの話の根幹になっており、この質問一つで犯人の行動範囲や金遣い等を割り出し、犯人にかける罠を割り出す……という構成なのですが、ドラマ版では移動方法等わかりやすく他の要素で補足も入ってましたね。

 ドラマ版演出としては、宝くじ=将来への希望の象徴というモチーフが冒頭からうまく使われていて、それゆえにそれを何のためらいもなく破く犯人、というところがゾッとする演出でよかったです。原作からして死ぬほど自分のことしか考えてねぇ犯人だったけど、ドラマ版は狂気が付加されていてよかった。あと、犯人が過去を回想するときの演出が、火村が推理するときの演出に似ていたのは意図したものだったらすごいなぁ、しっかり異常者の論理で対比してあるのかなぁ、と思いました。
 それにしても斎藤工、随分探偵役が板についてきたなぁ。この話はいうなれば異常者VS異常者をやらなくてはいけないわけで、宅麻伸演じる犯人に相対するにふさわしい底知れぬ闇の深さが巧く出ていたように感じます。「クサい芝居要りませんから」以降とか鳥肌立ちました。原作でも犯人に対する火村とアリスの正反対の反応が対になってましたが、ドラマ版でもはっきり差異が描かれていてよかった。なまじアリスが正論で啖呵切った分、原作より虚無感が増す……。
 あと愉良役の人がメチャクチャ可愛くていい感じで世間知らずの美人感出ていてよかった。



 次回は朱色の研究!
 火村シリーズで一番好きな作品なので楽しみです。原作に関するレビューも書きたい。