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幻想俯瞰飛行

生存記録を兼ねて長文を書くためのブログ。文章読んだり書いたりします。 

音楽文.comに投稿してみた

ASIAN KUNG-FU GENERATIONの新譜「荒野を歩け」についての文章です。音楽関連の投稿は雑誌も含め初めてなので、諸々の意味で緊張しております。。。
よかったら目を通してやってください。まさかアジカンについてこういう文章を書く日が来るとは思ってなかった(そもそも再燃すると思ってなかった)。

ongakubun.com

ASIAN KUNG-FU GENERATION作曲クレジット別まとめ

毎回この始まりな気がしますが、ご無沙汰しております。
唐突ですが、アジカン関連の書きものをする際やプレイリスト作りのときに欲しいなと思ったので、アジカンの楽曲の作曲クレジット分類をメモしておきます。

補記しておくと、後藤さんの日記にあるように、アジカンにおける作曲クレジットは元ネタを持ってきたメンバーが名前に入る方式のようで、必ずしもそれイコールそのメンバーのカラーというわけではないのかなと思いますが、まあなんかの参考にはなるかな~という感じです。インタビューや日記と突き合わせて聴くといいかもしれないしよくわかんないかもしれない。
発表年は再録とかセルフカバーのことは考えずに機械的に入れてます(例えば『粉雪』とかは原曲はもっと前っぽいですね)。

CD歌詞カードとJASRACのデータベースを使って確認していますが、抜けや誤りがありましたら一報いただけると嬉しいです。

(2017.3.31)ニューシングル『荒野を歩け』より二曲分加筆。


後藤正文
基本形。一発録りでおなじみの『サーフ ブンガク カマクラ』は全曲、後藤さんがデモ音源を録ってからバンドアレンジを行った『マジックディスク』は『双子葉』以外全部後藤さんオンリークレジット。『ランドマーク』と見比べるとそれだけで面白い。

曲名 アルバム 発表年
遥か彼方 崩壊アンプリファー 2002(インディーズ)
粉雪 崩壊アンプリファー 2002(インディーズ)
青の歌 崩壊アンプリファー 2002(インディーズ)
サンデイ 崩壊アンプリファー 2002(インディーズ)
12 崩壊アンプリファー 2002(インディーズ)
未来の破片 君繋ファイブエム 2003
エントランス フィードバックファイル 2003
その訳を 君繋ファイブエム 2003
君という花 君繋ファイブエム 2003
ロケットNo.4 フィードバックファイル 2003
フラッシュバック 君繋ファイブエム 2003
電波塔 君繋ファイブエム 2003
アンダースタンド 君繋ファイブエム 2003
夏の日、残像 君繋ファイブエム 2003
無限グライダー 君繋ファイブエム 2003
N.G.S 君繋ファイブエム 2003
自閉探索 君繋ファイブエム 2003
E 君繋ファイブエム 2003
ループ&ループ ソルファ 2004
リライト ソルファ 2004
夕暮れの紅 フィードバックファイル 2004
君の街まで ソルファ 2004
Hold me tight フィードバックファイル 2004
振動覚 ソルファ 2004
マイワールド ソルファ 2004
夜の向こう ソルファ 2004
ラストシーン ソルファ 2004
24時 ソルファ 2004
真夜中と真昼の夢 ソルファ 2004
海岸通り ソルファ 2004
ブラックアウト ファンクラブ 2005
ロードムービー フィードバックファイル 2005
飛べない魚 フィードバックファイル 2005
月光 ファンクラブ 2005
ワールドアパート ファンクラブ 2006
永遠に フィードバックファイル 2006
十二進法の夕景 フィードバックファイル2 2006
暗号のワルツ ファンクラブ 2006
桜草 ファンクラブ 2006
路地裏のうさぎ ファンクラブ 2006
真冬のダンス ファンクラブ 2006
バタフライ ファンクラブ 2006
センスレス ファンクラブ 2006
タイトロープ ファンクラブ 2006
絵画教室 フィードバックファイル 2006
堂々巡りの夜 フィードバックファイル 2006
或る街の群青 ワールド ワールド ワールド 2006
鵠沼サーフ サーフ ブンガク カマクラ 2006
由比ヶ浜カイト サーフ ブンガク カマクラ 2007
転がる岩、君に朝が降る ワールド ワールド ワールド 2008
江ノ島エスカー サーフ ブンガク カマクラ 2008
旅立つ君へ ワールド ワールド ワールド 2008
トラベログ ワールド ワールド ワールド 2008
No.9 ワールド ワールド ワールド 2008
ナイトダイビング ワールド ワールド ワールド 2008
ライカ ワールド ワールド ワールド 2008
惑星 ワールド ワールド ワールド 2008
ワールド ワールド ワールド ワールド ワールド 2008
新しい世界 ワールド ワールド ワールド 2008
脈打つ生命 未だ見ぬ明日に 2008
深呼吸 未だ見ぬ明日に 2008
未だ見ぬ明日に 未だ見ぬ明日に 2008
夏蝉 フィードバックファイル2 2008
藤沢ルーザー サーフ ブンガク カマクラ 2008
腰越クライベイビー サーフ ブンガク カマクラ 2008
七里ヶ浜スカイウォーク サーフ ブンガク カマクラ 2008
稲村ヶ崎ジェーン サーフ ブンガク カマクラ 2008
極楽寺ハートブレイク サーフ ブンガク カマクラ 2008
長谷サンズ サーフ ブンガク カマクラ 2008
鎌倉グッドバイ サーフ ブンガク カマクラ 2008
新世紀のラブソング マジックディスク 2009
ソラニン マジックディスク 2010
迷子犬と雨のビート マジックディスク 2010
マジックディスク マジックディスク 2010
さよならロストジェネレイション マジックディスク 2010
青空と黒い猫 マジックディスク 2010
架空生物のブルース マジックディスク 2010
ラストダンスは悲しみを乗せて マジックディスク 2010
マイクロフォン マジックディスク 2010
ライジングサン マジックディスク 2010
イエス マジックディスク 2010
マジックディスク 2010
ひかり フィードバックファイル2 2011
N2 ランドマーク 2011
夜を越えて フィードバックファイル2 2012
大洋航路 ランドマーク 2012
バイシクルレース ランドマーク 2012
マシンガンと形容詞 ランドマーク 2012
アネモネの咲く春に ランドマーク 2012
スローダウン フィードバックファイル2 2014
Easter/復活祭 Wonder Future 2015
Caterpillar/芋虫 Wonder Future 2015
Eternal Sunshine/永遠の陽光 Wonder Future 2015
Planet of the Apes/猿の惑星 Wonder Future 2015
Wonder Future/ワンダーフューチャー Wonder Future 2015
Prisoner in a Frame/額の中の囚人 Wonder Future 2015
Signal on the Street/街頭のシグナル Wonder Future 2015
ブラッドサーキュレーター 未収録 2016
荒野を歩け 未収録 2017


後藤正文山田貴洋
アジカンのヒットメイカー。初期のライブ人気曲『羅針盤』から共同クレジットになっているので、早い時期からネタを持ってきていたのでしょうか(自主制作盤時の資料がないのでその時代はわかりませんが)。

曲名 アルバム 発表年
羅針盤 崩壊アンプリファー 2002(インディーズ)
ノーネーム 君繋ファイブエム 2003
サイレン ソルファ 2004
サイレン# フィードバックファイル 2004
Re:Re: ソルファ 2004
アフターダーク ワールド ワールド ワールド 2007
サイエンスフィクション 未だ見ぬ明日に 2008
ムスタング 未だ見ぬ明日に 2008
夜のコール フィードバックファイル2 2009
白に染めろ フィードバックファイル2 2009
雨上がりの希望 フィードバックファイル2 2010
それでは、また明日 ランドマーク 2012
1980 ランドマーク 2012
ケモノノケモノ フィードバックファイル2 2013
Little Lennon/小さなレノン Wonder Future 2015
Right Now 未収録 2016


後藤正文喜多建介
アジカンのロックキッズ。『ブルートレイン』の変態和音で颯爽とクレジットに登場。単独クレジットは後述。

曲名 アルバム 発表年
ブルートレイン ファンクラブ 2005
ネオテニー ワールド ワールド ワールド 2008
融雪 未だ見ぬ明日に 2008
双子葉 マジックディスク 2010
All right part2 ランドマーク 2006
マーチングバンド BEST HIT AKG 2011
踵で愛を打ち鳴らせ ランドマーク 2012
リロードリロード フィードバックファイル2 2012
1.2.3.4.5.6.Baby ランドマーク 2012
レールロード ランドマーク 2012
Standard/スタンダード Wonder Future 2014
シーサイドスリーピング 未収録 2015


喜多建介
お ま た せ
い つ も の
『ワールドアパート』シングル発売時の「曲作った奴が歌えばいい理論」がここまでくるとは誰が予想していただろうか。

曲名 アルバム 発表年
嘘とワンダーランド フィードバックファイル 2006
タイムトラベラー 未収録 2016


後藤正文喜多建介山田貴洋伊地知潔
全員クレジット。『ワールド ワールド ワールド』で一回出ましたが、真骨頂は『今を生きて』でしょうね。クレジットだけで泣ける……泣けない?

曲名 アルバム 発表年
ワールド ワールド ワールド ワールド ワールド ワールド 2008
今を生きて フィードバックファイル2 2013
Winner and Loser/勝者と敗者 Wonder Future 2015
Opera Glasses/オペラグラス Wonder Future 2015


山田貴洋
共同クレジットかと思ってたら単独クレジットだった。この辺の表記の塩梅はどうやって決めてるんでしょうか。

曲名 アルバム 発表年
オールドスクール フィードバックファイル2 2011


後藤正文伊地知潔
アジカンのハードロック担当。『冷蔵庫のろくでもないジョーク』で初出のクレジット。この辺にバンドの変化が見てとれたりするんでしょうか。「あ、これ伊地知さんや」とわかりやすいものが多いような?

曲名 アルバム 発表年
冷蔵庫のろくでもないジョー フィードバックファイル2 2012
AとZ ランドマーク 2012
ローリングストーン フィードバックファイル2 2014
パラレルワールド 未収録 2015


喜多建介山田貴洋
変化球。次の『荒野を歩け』カップリングもこの形式になりそうな感じですね。→なりました。怪作。

曲名 アルバム 発表年
八景 未収録 2016
お祭りのあと 未収録 2017

ASIAN KUNG-FU GENERATION Tour 2016-2017「20th Anniversary Live」 at 日本武道館(1/10)、あるアジカンファンの記録

(ライブレポートというより、中高時代アジカンが好きで好きで仕方なくて愛が重すぎたクソめんどくさい20代のどうしようもない思い出話なので、そのへん覚悟して読んでもらえると有難いです)



 冷え込んだ土日よりは少し暖かくなったとはいえ、一月の寒さが沁みる十日の夕方。九段下駅を降り、日本武道館へと向かう。物販の時間を考えるともう少し早く辿り着きたかったが、平日なので仕方がない。
 武道館の前を通ったことは幾度かあるが、武道館に入るのは初めてだ。ライブの聖地と呼ばれる場所。特別な思い入れがあるわけではないものの、ライブに向かうこと自体がかなり久々であるので、いやが上にも期待と緊張を覚えてしまう。
 北の丸公園に入ると、同じ目的の人々で溢れていた。ここにきてようやく武道館へ赴いた実感が強く湧いてくる。そもそもがなんとなくの軽い気持ちで取ってしまったチケットで、年明けから前日まで体調を崩していたこともあり、来られるかどうかというところから不確定だったライブだけれど、やっぱりライブ当日というのはいいものだ、と懐かしい気持ちにかられた。

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 武道館を前にしたところで、自分がアジアン・カンフー・ジェネレーションのライブに足繁く通っていた頃、中高生時代のことを思い出していた。
 アジカンを好きになった正確な経緯は覚えていないが、時期としては『ソルファ』、というか『リライト』の頃だと思う。FMラジオを愛好していた中学生時代の自分は、その前からちょくちょく『君という花』なんかを耳にしていたように思うが、正確にバンド名を認識したのはアニメの主題歌としての『リライト』だったはずだ。時期にして2004年、つまり13年前のことになる。
 その後、おそらく『ソルファ』を聴きこのバンドに関心を持ったであろう自分は、2005年頃に本格的にバンドを追い始める。アニメ主題歌から入った、と言った通り、自分にはもともとロックを聴く趣味などもちろんなく、(当ブログをご覧の方には察しがついているかもしれないけれど)教室の片隅で推理小説を読んでいるタイプの人種だった。そんな自分にとって「ロックバンドにハマる」という経験は何より新しかったし、刺激的だった。日記にある当時の自分の言を借りれば、「世界が変わった」出会いだった。
 CDを集め、音楽雑誌を買い、ラジオ番組を毎週欠かさず聴いてMDに録音し、公式サイトをくまなくチェックし(当時はもちろんツイッターがまだ存在しない頃だった)、そしてライブに行く(初めて行ったのは記録を見る限り2006年のNANO-MUGENだと思う)。全く知らない世界を知り、そして音楽の楽しさを改めて覚えて、それこそ熱病に浮かされたように熱狂することになった。
 公式サイトに掲載された後藤正文の日記をくまなく読み、日記やラジオ番組で紹介されるバンドの音源を一生懸命追いかけた。アジカンだけでなく音楽自体のファンであってほしい――という彼らの願いに応えるように古今東西のロックを聴き漁り、学校では友人と音楽の話をしてCDを貸し借りし、放課後はレコード屋やツタヤに入りびたって、それなりに楽しい日々を送ったのだと思う。はてなダイアリーでブログを始めたのも2006年のことで、現在は閉じているものの、もしかしたら覚えている方もいるかもしれない(『君という花』のPVロケ地訪問記事など書いていました。当時の読者さんが見てたらすごい)。
 ライフスタイルも変わったし、趣味嗜好も変わった。着るものも変われば行く場所も変わり、音楽という趣味を媒介して付き合う友人も増えた。もともと好きなものに影響を受けやすいせいで、言動など後藤正文の真似をしてみたり、少々、いや、かなり「痛い」ファンではあったと思うけれども、それでもかなりの文化的教養の許になったとも思う。
 いまになって思えば、アジカンが自分の人生に及ぼした影響は計り知れないほど大きい。このブログは推理小説の感想を書くために始めたものだけれど、推理小説よりアジカンのほうが自分の人生におけるターニングポイントとして重要かもしれない、とすら思う。

 それだけ入れ込んでいたアジカンではあったが、大学に入学して少しすると、サークルや講義が忙しくなったこともあり、自然と遠のいてしまった。最後にライブに行ったのは2009年のNANO-MUGEN。奇しくもNANOに始まりNANOに終わるライブ趣味だ。
 あれだけ熱を上げていたのにあっけないものだと思うけれども、一因と思える出来事がある。アジカンに憧れていた高校時代の自分は、大学に入ったらアジカンのように軽音楽部に入り、バンドを組みたいと思っていた。というか、組むものなのだと思っていた。当時の自分は10代ならではの万能感にあふれていて(一方で10代ならではの憂鬱にも苛まれていて)、夢見たものはかならず実現すると思っていた。今となっては恥ずかしい妄言だけれども、音楽業界で仕事をしたいとも公言していた。
 ギターを買い練習をはじめ、大学に入り、軽音サークルの新歓コンパにも行ったけれども、とうとうそこに居場所を見つけることはできなかった。いま思えば音楽の話が通じる優しそうな先輩方もいたし、頑張ればなんとかなったのかもしれないな、と思うが、少し嫌な思いをした出来事があったのもあって、新歓コンパの途中で脱け出した。そのとき一緒に抜けてくれた同学年の人がいて、彼と「無理して馴染もうとしても仕方ないよね」とかそんな話をしたような記憶がある。もううろ覚えだけれども(とても感謝しているのだけれど、お礼を言いそびれました)。根が軽音に入るようなタイプではないのだろうな、と今は思う。
 結局軽音サークルに入ることなく、入学時に知り合った友人に誘われた文芸サークルに居つくこととなり、それはそれで自分にとって大正解だったので後悔はしていないけれども、当初の目的とは全く違う道を歩むことになったのだった。

 こうして振り返ってみると、アジカンは自分の人生を大きく輝かせてくれたと同時に、人生に大きな呪いをかけてもいったように思う。もちろんアジカンが悪いわけではなくて、思い込みが激しくすぐ他者の真似をしようとする自分の性分が100%悪いのだが。
 その呪いは「理想的なファン」であろうとする呪いであり、「理想的なファン」であることに「居場所」を求める呪いだった。 「理想的なファン」であろうとすることは、ある種アジカンと同一化しようとすることだったのだと思う。だから自分はアジカンと同じように大学でバンドを組もうと思ったし、必死こいて後藤正文と自分の考え方や感性の共通項を探し求めていたのだと思う。
 けれど、自分は自分でありアジカンアジカンだ。似通った感性はあったとしても最終的に全てが交わるわけではないし、そもそも楽しむためのファン活動において過度に理想の型に自分を当てはめようとするのは息苦しい。
 自分がアジカンから離れたのは、なんてことはない、過剰に居場所を求める行為に自分自身で疲れてしまっただけなのだ。背伸びをして洋楽ロックを聴いて、ライブの際にはマナーを過剰に気にして、自分自身がアジカンライフヒストリーを必死になぞろうとして、全ては居場所を求めるがゆえの行為だったのだろうけれども、好きなものにそれだけ必死になっていてはいつか限界が来る。楽しくなかったわけではないし、むしろその逆だけれども、なんとも言えない疎外感があった。
 軽音サークルの新歓で肩身の狭い思いをしたように、そこに、居場所はなかった。
 
 そういった(ややトラウマめいた)経緯を素直に消化し納得できるようになった今、直感に従ってアジカンのライブに来られたのは僥倖だったのかもしれない、と思う。けっきょく音楽関連の企業に就職することはなく、それどころか就職活動自体に七転八倒して、それでもなんとかやっている、というのが現状だ。良くも悪くも、現実を知ることができた。あの日の未来に居場所がないことはもう知っている。
 あの頃、このバンドを知るきっかけとなった『ソルファ』の再録。今回のライブに来ることになったのは、それがきっかけだった。懐かしいな、と軽く手を出したこのアルバムが、予想以上に良かった。成熟した、といえばいいのか、楽器に関する詳しいことはわからないけれど、より洗練され、繊細でありながら重厚な音像が印象的だった。同じ曲をほぼ同じように(アレンジは加えてあるけれども)演奏しているのに、これほどまでに違うのか、と思わされた。
 聴いたままのテンションで、武道館公演のチケットを取った。ちょうど26歳の誕生日のことだったのを覚えている。自分への誕生日プレゼントにと、本当に軽い気持ちで取ったものだった。


  武道館前の階段を上がり、二階のスタンド席へ。ステージのほぼ正面となる座席を確認してから、物販で買ったTシャツに着替えるためにトイレに向かう。開場前BGMとして流れているスピッツの話をする若い女性たちとすれ違った。結成20周年を迎えてなお、若者にも広く聴かれているのはすごいな、と素直に思う。
 着替え終わって席へと戻り、あらためて会場を見渡してみる。8年振りのライブではあるけれども、広い会場を埋め尽くすだけの人が集まっていて、どことなく懐かしさを覚えた。未だに根強い人気があることが嬉しい。会場には老若男女多様なファンが集まっていて、8年前より年齢層が広くなっている気がした。小さな子供連れの家族に、それだけの年月をこのバンドが重ねてきたということを知る。

 客電が落ち、開演する頃には、自分のアジカンに対する屈折した感情は吹っ飛んでいて、素直にライブを楽しみにする高校生の頃の気持ちに戻っていた。
 腹に響くベースの低音が、お決まりのあのフレーズを刻む。『遥か彼方』。二十周年ライブの一曲目にこの曲を持ってくるこの選曲。周りのファン同様、自分も座席を立ち、拳を突き上げる。
 バンド自体の演奏もさることながら、舞台演出がまたいい。メンバーを覆う紗幕(後に曲の途中で降りる演出が素晴らしい)、複雑な図形を描き出す照明、そしてスクリーンに映し出される映像、そういった要素が合わさり、ひとつの舞台芸術を作り出している。これもまた「成熟」といえるのだろうか。聞けば『Wonder Future』のツアーでは建築家の光嶋裕介プロデュースの舞台演出をやっていたようで、近年はその辺りには力を入れているのだろうか。
 続く『センスレス』は大好きなアルバム『ファンクラブ』の名曲であり、まさか二曲目で! と驚かされ、そして映し出される「キミガココニツクナリハイタタメイキ……」の文面に「『the start of a new season』ツアーのときの!」と思い当たり、そのツアーに行った自分はもう、泣くしかなかった。

 あったじゃん、居場所。自分が勝手に盛り上がり、勝手に離れている間も、アジカンはずっとアジカンで、居場所はあったんだ。そう思えて、過去の迷いがアホみたいに思えて、泣けるを通り越して笑えてきた。
 自分がライブに行かず離れている8年の間に、ゴッチの髪型はモッサモサになっていたし、そもそもメンバー全員なんとなく歳を取ったように感じるし、ライブには自分と同じ仕事帰りの社会人が増えたように感じるし、あとサポートメンバーとしてthe chef cooks me下村亮介がキーボードをやっていることも知らなかったので(本当に何の下調べもせず行ったのです)驚いたけれども、それでもアジカンはやっぱりアジカンだった。

 自分のようなタイミングで戻ってきた人のためのものではないか、とすら思えてしまう、過去の名曲をふんだんに取り入れつつも、今のアジカンのモードもしっかり表明するセットリスト。大好きな『夜のコール』が聴けたのも嬉しかったし、懐かしい曲をと『粉雪』を演奏してくれたのも良かった。『今を生きて』の、現状を踏まえながらもハッピーでピースフルに昇華するモードが本当に素敵で、今のアジカンももっと聴いていきたいな、と思わせられた。あと現在公開中のoasisの映画の話からの『E』。この曲には、彼らが大学時代に演奏したという『Live Forever』のギターソロが入っていることは有名だけれど、それを踏まえてのこの流れ、本当にぐっとくる。今でもロックスターになりたい、というゴッチのMCも、本当に変わらないな、と微笑ましくなる。チクショー、こっちだってロックスターになりてーよ! そして『月光』終わりは反則だ。月の光のように黄色い光が一筋舞台に差し、曲の展開に併せて複雑な幾何学模様が天井に映し出される演出も反則。

 二部のソルファ全曲再現では、もうライブで聴く機会もないと思っていた隠れた名曲たちが、今のアジカンによって存分に鳴らされる。歴代ジャケットが映し出される『ループ&ループ』に涙腺が緩み(「君と僕で絡まって繋ぐ未来」「積み上げる弱い魔法」をうたうこの曲で過去の歴史を振り返るの最高すぎませんか)、武道館で聴く『ラストシーン』は本当に最高で、ギターリフに併せた映像演出と相俟って本当に美しかった。そして『Re:Re:』のこのアレンジは本当に良い……。ラストの『海岸通り』はストリングスアレンジが抜群に冴え、歌詞と重なる朱いライトが綺麗だった。

 MCで「若いバンドみたいな『お前らかかってこい!』というノリはもう年齢的に無理だ」と笑いを取るゴッチに時間の流れを感じ、「かかってこなくていい」という言葉に優しさを垣間見る。彼もまた、歳を経て丸くなったりしたのだろうか。喋り方にも棘がなく、暖かさを感じるようになった気がする。楽しみ方は皆の自由だ、というスタンスは変わっていないけれども、なんというか、自分のようなファンのことも許容する懐の広さのようなものがあって、それが前述の「居場所」の話にも繋がって、自分が肯定されたようで、また泣けてしまった。

 アンコールではゴッチの弾き語り二曲(『転がる岩~』は元から大好きだったのだけれど、『Wonder future』がメチャクチャ良くて大好きになってしまった。この曲、無性に切ない)からキタケンボーカル二曲というファンサービス(?)めいた一幕。『タイムトラベラー』は初めて聴いたが、優しい歌声がよく合う鮮やかな曲だ。
 最後の二曲ではスマホによる写真撮影が許可され(これも最近のライブで恒例になっているらしい)、自分も何枚か撮らせてもらったのだが、スマホを出してもいい曲であることを利用し、スマホのライトを点けてサイリウムのように振っている人が多く、客席に星が輝くような光景に少し感動してしまった。誰から言い出すともなくこういった光景が見られるライブは素敵だな、と思う。ストリングス入りの『さよなら~』も『新世紀~』も最高だった。この二曲、どちらも『マジックディスク』収録だけれども、歌詞が本当に沁みる。「いまこの時代に生きている僕ら」のために書かれた曲だと思うし、だからこそ普遍的に響くのだと思う。

 三時間にわたるライブを終え、武道館を出たとき、心の中は興奮と感動で一杯だったし、なにより「居場所はここにあった」と思えるライブだった。時間が流れた分、自分自身も変わったし、アジカンも変わったけれど、それでもここに帰る場所があったんだな、と思えてしまうほどに。
 一生懸命すぎて、周りが見えなくて、自分で自分に呪いをかけて、沢山遠回りをしてきたけれども、アジカンのロックンロールは再び自分の許へと届いた。紆余曲折を経てきたのはおそらく自分だけじゃなく、他のファンだってそうかもしれないし、アジカンだってきっとそうだろう(後に『マジックディスク』期の葛藤を知り、改めて二十年続けてくれたことに感謝したくなった)。帰ってきた、と思えるようになったのは、その回り道を経たがゆえだろうし、そう思うと、このタイミングで二十周年ライブを観ることができたのは、ある種運命的だったと言えるのかもしれない。
 演奏自体もとても良いものだったけれども、自分の過去の葛藤に決着をつけられた、という意味でも良いライブだった。なにかひとつ自分の軸になるものが欲しくて、傍から見ると恥ずかしいほどに必死になってアジカンを追いかけて失敗し続けた10代の自分が、なんとなく救われたような気分にもなった。フラットに聴けるようになった20代の自分のお蔭なのだろうか。そういうことを考えていること自体、面倒臭いファンであることの証左なのかもしれないけれども。

 ともかく、アジカン二十周年、本当におめでとうございます。いろいろと聴いてきて、いろいろと好きなものは増えたけれど、ここまで好きになれるバンドは、後にも先にもアジカンだけです。
 そして願わくば、これからも共に!

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【一部】
遥か彼方
センスレス
アンダースタンド
アフターダーク
夜のコール
粉雪
マーチングバン
踵で愛を打ち鳴らせ
今を生きて
君という花
E
スタンダード
ブラッドサーキュレーター
月光
【二部】
振動覚
リライト
ループ&ループ
君の街まで
マイワールド
夜の向こう
ラストシーン
サイレン
Re:Re:
24時
真夜中と真昼の夢
海岸通り
【EN】
転がる岩、君に朝が降る(弾き語り)
Wonder Future(弾き語り)
タイムトラベラー
嘘とワンダーランド
さよならロストジェネレイション
新世紀のラブソング

2017.4 他の方のレポートやドキュメンタリーブックを下敷きに、事実関係と文の乱れている個所を訂正。勢い余って途中からゴッチ呼びになっているのは面白いので残しておきます。

近況

 遅ればせながらあけましておめでとうございます。
 誰に見られるともなくやっているこのブログですが(もし見てくださっている方がいたらありがとうございます)、なんだかんだで長文をかける場所があるのはありがたいことです。惜しむらくはモチベーションがないことですね……

・前記事でアジアンカンフージェネレーション『ソルファ』再録の話をしましたが、CDを買って良さのあまり勢いで武道館ライブを予約し、勢いで行ってまいりました。後で個人的にレポートでもまとめようと思うのですが、すさまじく良かったので、最近はアジカンと周辺の音楽ばっか聴いてます。なんだかんだ言って自分にとっては「青春の音楽」になってしまったんだなあ、と(加齢を感じる)。

・シャーロックホームズを真面目に読み始めた(いま『四つの署名』を読んでいます)。漫画『憂国のモリアーティ』も面白いのでおすすめです。グラナダ版もちゃんと履修したい。

有栖川有栖『狩人の悪夢』、もうすぐ発売ですね。リアルタイムに連載で全部読んでいるのですが、個人的に(ミステリでない部分で)どんでん返しともいえる構造の妙があり、ちょっと解釈に時間がかかったのですが、そろそろまとまってきた感があるので、書籍化しだい読み返して感想を文章にしたいです。『鍵の掛かった男』以降の「もうディスコミュニケーションに引き返してはいられない」感は一体どこからくるのか、東日本大震災なのか、ドラマ化なのか、それとも作者の内面の話なのか、もうちょっと考えていかないとダメだと思う。

・震災以降の「ディスコミュニケーションからの脱却」テーマという面でアジカン『夜を越えて』と有栖川有栖『鍵の掛かった男』を論じる自分しか面白くないやつやりたい。

・あとそろそろ火村シリーズ入門的な記事を書きたい。意外とググっても出ないんですよね~

ASIAN KUNG-FU GENERATION『リライト』、10年の時を超えて語り直されるロックンロール

 いつも本の話(というかミステリの話)ばかりですが、今回は趣向を変えて音楽の話をします。
 といっても前に書いた通り、もともと高校時代にはてなで音楽ブログをやっていたので、個人的にはとても久々に音楽の話をするぞ、という感覚です。当時は批評の言葉も知らず、それどころか音楽批評を目の仇にしてきたところもあるので、今また別の言葉で語れるものがあるといいなあ、と思いつつ。


 結成20周年を契機にアジカンの名盤『ソルファ』が10年ぶりに再録されるとのことで、まさしく『ソルファ』を聴きまくった世代のアジカンファンとしては心待ちにしているのですが、再録版『リライト』のMVが発表され、さらにこんな企画まで。
natalie.mu
www.asiankung-fu.com

 フリースタイルダンジョンを観ていた身としては「すごい……R-指定がアジカンをトラックにフリースタイルラップしてるのが見られるなんて……」という感激もあるのですが(ACEともコラボしていましたし、後藤さん前々から結構ヒップホップも好んで取り入れられてるんですよね)、この企画自体がすごいな、と強く思いました。
 前述のCreepy Nutsはストレートに『リライト』のビートに乗せたフリースタイルで魅せていてカッコいいし、入江早耶さんの作品は初めて拝見したのですが消しカスでここまで創れるのか、という驚きと感嘆がありました。千原ジュニアの落語『死神』ネタは地味にうまい語り口にキレッキレのネタが合わさり、生ハムと焼うどんに至ってはもう何がなんだかわからないけど何故か謎の感動があります。
 ジャンルも表現方法も全く異なる四つの動画において再解釈された『リライト』。これは10年前にこの曲をリアルタイムで聴いていた身としては、また違った感慨があります。


 そもそも『リライト』とはどんな曲か。この時期のアジカンを追っていた人はわかると思いますが、いわゆるコピーコントロールCD問題についてのスタンスが色濃く出ている歌詞です。
 CCCD問題に関してはデビュー時から後藤さんは結構言及しており、まだ新人だった彼らは地位あるアーティストのようにNOを突き付けることも難しく、かなりの苦悩を強いられた部分も大きかったと思いますが、そうした葛藤や無力感がこの曲に結実しているのだと思います。だから「腐った心を/薄汚い嘘を/消してリライトして」なのですね。
 後藤さんのCCCD問題についての見解はこういう記事もあるので一読してみることをお薦め。
コピー・コントロール・ディスクを巡る回想記|Gotch / 後藤正文 / ASIAN KUNG-FU GENERATION / ゴッチ

 そういった政治的な言及を孕むプロテスティックなロックンロールであると同時に、この曲はアジカンの代表曲、ヒットナンバーでもありました。人気を博したアニメ『鋼の錬金術師』の主題歌に採用され、シングルは累計10万枚以上の売り上げを記録した(アジカンはアルバムが売れるタイプのバンドなのでこの数字は少なく見えますが)この曲は、よくも悪くも有名になりました。前述したサビの「消して、リライトして」というフレーズは独り歩きし、ある種ネタとしての消費も盛んに行われた(というか、現在も行われている)と把握しています。アップテンポな曲であることもあり、ライブではイントロが流れれば歓声が上がり、観客が拳を突き上げ盛り上がる場面が見られるまごうことなきアンセムといえるでしょう。


 作り手の意図から離れた個所で作品が独り歩きするのは珍しいことではなく、また否定すべきことでもないと思います。それはある種仕方のないことでもあるし、ヒットというのはそういうものでしょう。もちろんそういった作り手と受け手のズレにアジカンが悩まなかったわけではないし、それどころかものすごく考えてモノ作りをしていた人たちだと思います。『ソルファ』の次のアルバム『ファンクラブ』の一曲目を飾る『暗号のワルツ』が「君に伝うかな/君に伝うわけはないよな」という衝撃的なフレーズで終わるように。


 そういった苦悩をもどかしく見ていたひとりのファンとしては、この10年目の『リライト』は本当に感慨深いものでした。
 再録版のMVは旧版のMVの明確なパロディであり、『リライトのリライト』で再構築された『リライト』は、まさしく前述の「拡散していく中で多様な解釈が加えられさまざまな手法で消費されてきた『リライト』」じゃないですか。
 作り手の意志を汲んでCCCD問題について考え意見を表明してもいい。ただ純粋に音楽として楽しんでもいい。大好きなアニメのOPとして毎週楽しみにしていてもいい。カラオケで熱唱してストレスを発散するナンバーでもいい。ライブでみんなと盛り上がる曲でもいい。「けしてええええええええええ」とネタにされるのでもいい。そうやって書き換えられリライトされ、語り直されていくことで、この曲は人々の心に留まり、歴史に残り、永遠になっていく。
 もしかしたらこれは、自身の作品が戸惑うほどに広く消費されてきたこの10年間への、アジカンの一つの回答でもあるのかもしれない、というのは邪推がすぎるでしょうか。自分は勝手にそんな解釈をしてしまい、10年という時とその中での自分自身とアジカン双方の変化を思い、思わずうるっときてしまいました。

 
 と、ここまでファンの立場として書いてはきたものの、自分がアジカンを一番よく聴いていた時期は中高時代で(あの頃はロック聴くかミステリを読むかだったのです)、それ以降はライブに行く回数も減り、音源をぼちぼち聴くくらいには落ち着いた程度のファンです。飽きたとか好きではなくなったということでは全くなく、未だに「ああ、やっぱアジカンはいいなあ」と思うことがちらほらありますが、中高時代の自分のような熱量でいまアジカンを追っているファンの方の『リライト』への向き合い方ってどうなんだろうなあ。その辺はちょっと気になります。

僕らは「ゲームでしか味わえない感動」を知っている。――詠坂雄二『インサート・コイン(ズ)』

インサート・コイン(ズ) (光文社文庫)

インサート・コイン(ズ) (光文社文庫)


 大仰なタイトルになってしまった。
 ご存じの方も多いと思うが、「ゲームでしか味わえない感動がある」とは、NINTENDO64版『ゼルダの伝説 時のオカリナ』発売時のキャッチコピーである。テレビゲームの王様たるマリオシリーズもろくにクリアできない、いわゆる「ヌルゲーマー」としてゲーマーの末席を汚してきた自分も、このコピーは大好きだ(でも、『時のオカリナ』は未だクリアできていない。ゼルダシリーズは難しいのだ)。
 でも、果たして「ゲームでしか味わえない感動」ってなんなんだろう。そうやって改めて振り返ったとき、テレビゲームというメディアが映画や小説といった他の媒体と異なる大きな要素として、インタラクティブ性、つまり自分で操作できることが挙がると思う。

 近年、ゲーム批評界隈のバズワードとして「ナラティブ」という概念がクローズアップされている。
[CEDEC 2013]海外で盛り上がる「ナラティブ」とは何だ? 明確に定義されてこなかった“ナラティブなゲーム”の正体を探るセッションをレポート - 4Gamer.net

 物語論に多少の親しみがある自分にとってはすんなり受け入れやすい概念だが、ストーリーとナラティブを混合して語る向きは未だ多い。ゲームというメディアが(例外はあれど)インタラクティブ性によって独自性を確立している以上、用意されたリニアなストーリーより、プレイヤーが独自に獲得するナラティブが重要視されるのもしかるべき結果だろう(個人的に興味のある分野でいえば『ファイアーエムブレム』シリーズに途中からマイユニット要素が搭載されたことなど、このへんの流れで語れることがあると思う)。
 ひとはゲームから、個人に固有の「物語」を受け取る。
 だからこそゲームは思い出と密接に結び付き、プレイヤーの汗と涙、喜びや悲しみと切に関係を深めることができるのであろう。
 

 本作『インサート・コイン(ズ)』を手に取った直接のきっかけは、米澤穂信の寄せた帯文だった。

「世界なら何千回も救ってきたのに、自分一人を救いきれず、もがきながら『たたかう』を選び続ける、これは痣だらけの物語だ」

 これだけでも読みたくなるには十分なキャッチコピーだ。

 『インサート・コイン(ズ)』はゲーム誌ライターの柵馬を語り手に据え、往年の名作ゲーム(ファミコンスーパーファミコン期あたり)を題材にした短編が五作収録された短編集である。『マリオ』や『ぷよぷよ』『ゼビウス』、『ストリートファイター』に『ドラゴンクエスト』といったラインナップを挙げるだけでも十二分に訴求力はあるが、単なる「ゲームあるあるネタミステリ」に留まらない力が本作には存在する。
 その魅力とはなんだろう? 昔遊んだゲームたちを大人になったいま郷愁と共に思い出す、そういったノスタルジーだけでは前述の「あるあるネタ」の域を出ない。この作品はそこに留まらず、過去を懐かしみながらもうだつのあがらない現実と戦っていく力強さを持っているのだ。
 本作はゲームを題材にした小説ではあるが、それ以上に「書くこと」「語ること」「創ること」を描いた、普遍的な側面を持つ小説でもある。

「ほら、シューティングのハイスコアと同じでしょう。ルールを設定した者の想定を超えること。先人たちの誰もが想像していなかった文章を書けば、それは問答無用に読者を圧倒するものになるんですよ」
「でもそれは、簡単じゃありませんよね」
「不可能でもありませんよ。何も物理法則を超えろと言っているんじゃありません。無謬の神ならぬ誤る人が作ったもの、いくらでも超えようはありますよ」
(『インサート・コイン(ズ)』より)


 ミステリとは、「問いかけても答えない死者=謎にそれでも答え=解決を求めようとする人間」の物語である。つまり、本質的にディスコミュニケーションの文学たりえるのだ――というのが自論だ。言葉は言葉として発せられた以上、発信者の意図そのままに在ることは100%不可能であり、ひととひとが受け取り合う上で必ず大なり小なり摩擦を生む。
 それでも、ひとはコミュニケーションを志していくほかない。ひとは独りでは生きられないし、必然的にだれかを求めてしまうからだ。そんな不完全なコミュニケーションの中にそれでもさらなる活路を生もうとする意思、それこそが「シューティングのハイスコア」であり、謎という断裂を復元しようとする推理であるのだろう。伝わらないのなら、伝わらないままに受け取ればいいのだ。
 他者の「物語」を読み解こうとする意思、それが個々の「物語」を生成するためのゲームという媒体と、謎を解こうとするミステリというフォーマットの橋渡しとなっている怪作である、と強く思う。


 個人的なフェイバリットはまず『ぷよぷよ』を題材とした『残響ばよえ~ん』。初恋の人である中学時代のクラスメイトが抱えた秘密を十年越しに解き明かす、過去を懐かしむ日常の謎ミステリの体裁をとっているが、設問と解答の明確さ、また解答に至るまでのヒントの回収の美しさが純粋にミステリとしてポイントの高い作品になっている。有栖川有栖『ハードロック・ラバーズ・オンリー』のゲーム版、といったらわかる人にはわかるだろうか。
 また、ゲームを題材にしたミステリというだけあり、ただゲームの話が出て終わりというわけではなく、テーマとなっている『ぷよぷよ』の持つとある特性が謎解きのヒントになっているところも良い。ゲーム論と併せて「なるほど」と唸らされた箇所である。アーケードゲームの描写もその筋のゲーマーにとっては嬉しい部分だろう(自分はあまりアーケードやらないんですよね)。

 あとは最後に収録されている『そしてまわりこまれなかった』。自殺した友人からの最期の年賀状に込められた『ドラゴンクエストⅢ』の謎を解く、つまりは「ディスコミュニケーションに終わった死者の言葉を復元する」ミステリらしい話である。世代であれば(自分は実は世代より下なのですが、GB版をめちゃくちゃプレイしました)かなりの割合の人間がプレイしたであろう超名作を題材に、ゲーム自体にも新たな解釈を付け加えつつ、それが死者の意志を読み解く最大のヒントになりうるという構成も見事な作品だ。読み終わってタイトルの意図がわかった瞬間、鳥肌が立つこと間違いなし、といえる。
 幼少期にゲームに親しみそのまま成長し、社会人になってプレイのためのまとまった時間もなくなり、それでもゲームを辞められないまま愛し続けている、そんな大人たちに是非読んで欲しい作品。



 というわけで、『ドラクエⅢ』を再プレイしようかと思ったんですが、手許にあるはずのGB版が見つからず、なぜか『ドラクエⅠ』をやっています。竜王強い……強くない?

雑記 『狩人の悪夢』と『ダークナイト』とか 

※『狩人の悪夢』連載最新話の話題に触れています。トリック、推理等に関する言及はありませんが、文中の引用がありますのでご注意ください。



ご無沙汰しております。最近話題のハイローを視聴し始めました(次の映画までにはドラマ完走したい)。あとダンガンロンパ3の展開がつらいです。
10月は観たいドラマも欲しい本も増えるし個人的にも忙しいのでヤバそうです。

有栖川有栖『狩人の悪夢』、相変わらず熱冷めやらず文芸カドカワで連載を追ってます。
事件の新展開と解くべき謎が明確化してくるに伴って、ここにきて明確に「探偵は何故探偵なのか」=「火村英生は何故探偵行為を行うのか」を問い糺すお膳立てが整ってきたな、という感じですね。火村にとって探偵行為は目的か結果か、というテーマ性の話は前記事でしましたが、段々その答えに至る過程が理解できてきました。
火村の内面には探偵行為を手段とする思想(=研究者としての火村英生=人間性)と、目的とする思想(=狩猟者/名探偵としての火村英生=怪物性)の両極が存在し、それらの拮抗こそが『狩人の悪夢』で語られる物語になるのか、と感じます。そしてこれはドラマ版の「自身の怪物性と共存していく話」に接続可能ですよね。原作がどんな回答を打ち出すのか非常に楽しみ。


今回のこの部分。

「火村先生の出る幕はないどころか、お前に打ってつけの事件になってきたみたいやないか」
 彼は、能役者のごとくゆっくり面を上げた。写真班が焚くフラッシュのせいで、一瞬、その顔が人間離れしたものになる。
「そうだな。この現場は、とても面白い。犯人の呻き声や悲鳴がこだましている」

直後の描写(この台詞を口にしながら火村は笑っている)から明確に作者が意図しているのがわかりますが、前述の「人間性と怪物性の相克」における「怪物性」に振れた描写の最たるものがここではないでしょうか。火村の笑み、といえば、『妃は船を沈める』で高柳にそれを指摘されるシーンがありましたね。彼の笑みは火村シリーズにおける怪物性の象徴ともいえるでしょう。
今作の『狩人の悪夢』においては、とにかく目まぐるしくこの両極に振れるシーンが連続する印象があります(全部拾って例示するのはちょっとめんどくさいので、読んでいる方がいたら意識してみてください)。敢えて火村の印象がブレるように描かれている気がするんですよね。このジェットコースター感が意図的だとしたらものすごい挑戦的。


このシーンでなんとなく思い出したのは、バットマンに出てくるヴィランの一人・トゥーフェイスでした。
元は正義を是とするゴッサムの検事で、ある事件をきっかけに顔面の左半分が焼け爛れる怪我を負い、狂気の人格に目覚める男。
自分は寡聞にしてアメコミに疎く、クリストファー・ノーランの三部作で初めてちゃんとバットマンに触れたのですが、『ダークナイト』のトゥーフェイスがめちゃくちゃ印象的だったんですよねぇ。高潔だが悪を憎む気持ちが強すぎてジョーカーに魅入られる処刑人。一人の人間に共存する善性と悪性を象徴するかのような強烈なルックスですよね。
で、なんで思い出したのかなぁと考えてみると、勝手に頭の中で思い描いているイメージもあるんでしょうけれど、そうかこれは「火村英生という人間の人間性と怪物性の両極」が「光と影」でそのまま見た目に投影されているからか、と気づきました。効果としては半分焼け爛れた顔面と同じ。一人の人間の顔(というのは心情とか思想の象徴なわけだよね)に非人間性が上乗せされている。火村がああいった信念を持っている名探偵である以上、人間性と怪物性はコインの裏表でしかない。

ただ、『狩人の悪夢』におけるこのシーンが皮肉なのは、「殺人事件を面白がる」火村の怪物性を露わにするのは闇でなく光、というところなんだよなぁ。
写真のフラッシュというのも意味深で、『狩人の悪夢』はいつになく火村に関する情報がどう流れどう堰き止められているかの話が盛り込んであるので、本当に報道陣にフラッシュ焚かれるような自体になるんじゃないかとヒヤヒヤします。「名探偵と権力」の話は法月綸太郎作品(そういえば実写化ですね!)を読んで「政治的やり取りにちゃんとコミットして戦略をやる探偵すげー!」みたいな気持ちになったので、ちょっと火村シリーズで見てみたい気もします。



余談を重ねます。『ダークナイト』のトゥーフェイスに関する話で、とても興味深いと思った伊藤計劃氏の評。
d.hatena.ne.jp


ハービー・デントという人間の両極を背景美術によって表すサブテクストの力。伊藤さんの『ダークナイト』評といえばこっち(ダークナイトの奇跡 - 伊藤計劃:第弐位相)が有名で、自分自身「世界精神型悪役」の話など結構引用させていただいているのですが、こちらの記事もなるほどなと思わされた記憶があります。
多分この記事のことが念頭にあって、例のシーンを読んだときにダークナイトのことを思い出したんじゃないかな、と思うので、紹介しておきます。


ここまで書いていると、いろいろ特に関係ない考えが出てきました。
・能とか狂言みたいな芸能って遡ると神降ろしに行き着くもので(幻影異聞録の話か???)、「能役者のごとく」という比喩は単純に動きを表したものでもあると思うんですけど、「人間離れ」する先は怪物であり神なのでは、シン・ゴジラだ……(シン・ゴジラ面白かったですね……)
・というかもう割と捻りなく『ダークナイト』のトゥーフェイスと火村共通点ありますね
・でも『ロジカル・デスゲーム』の火村は『ダークナイト』のバットマンと同じ決断を下したんだよなぁ
・背景美術を利用したサブテクストといえば、何を隠そう(?)『臨床犯罪学者 火村英生の推理』に思い当たる場面がある。7話のラストシーン、鍋島の背中を映すカメラが左にパンし、鍋島を境界として故人である緒方が画面左に現れる演出。ちゃんと確認してないんだけど、多分左にしか姿が現れない。
これは人間の立ち姿を境界として画面左が過去、右が現在の領域を表してるんだと思うんだけど、この回『朱色の研究』自体が過去の事件と現在の事件が相関しあうつくりになっていて、ここで過去の因縁との決別として現在と過去の境界が描かれていたんだなあと先の伊藤氏の記事を読みつつ今更ながら思った。



また書きたいことだけ書いてしまったのでそろそろ『切り裂きジャックを待ちながら』の原作・ドラマ比較とか書きたいです。『ペルシャ猫の謎』は割と評判芳しくないせいか、批評的に未開拓の土地すぎて踏み入るのがめちゃくちゃ楽しい。


一方その頃MIGHTY WARRIORSは湾岸地区で着実に勢力を伸ばし続けていた…