幻想俯瞰飛行

生存記録を兼ねて長文を書くためのブログ。文章読んだり書いたりします。 

アジカン聖地巡礼部 ソラニンMV編

 前の記事で書くって言っときながら忘れてました。GWなので……。

 前記事での行程を13時までに完遂できたので、帰路で東横線を使うのもあり、午後は「ソラニン」MV聖地巡礼に時間を充てることにしました。
 一応MVのスクショを撮り、先人の方々の聖地巡礼ブログやSNS書き込みなどを参考にしつつ回ったのですが、こちらに関しては完全に無策でした。反省点……

 八景から京急で横浜まで、そこから東横線に乗り換えて大倉山へ。菊名から各停に乗り換えるのを忘れずに(忘れた)。
 大倉山駅に着いたら、改札を出て右手に曲がり、坂を上ります。坂きっっっつ。

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 坂の上からのアングルで撮るとMVで山田さんがいた場所になります。

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 さすがに8年経ってるのでだいぶ様変わりしてますが、柵と標識、そして横を通る東横線は面影がありますね。

 楽々一か所回収できてしまったので調子に乗り、電車を使わずに全部徒歩で回ろうと思い立ってしまったのですが、判断ミスでした。土地勘がないのにここから北へ太尾見晴らしの丘公園を目指してしまったんですけど、土地勘がなさすぎて普通にキツかった。
 ゆず「夏色」の「この長い長い下り坂を……」という歌詞は有名ですね。我らがアジカンの「君という花」にも「丘の上から見える街」という歌詞があります。関東平野の中でも坂の少ない埼玉に住んでいる人間からすると、地元で丘の上から街を見る機会はそうそうないです。何が言いたいかというと、横浜はむちゃくちゃ坂が多いヤバイTシャツ屋さんが横浜出身バンドだったら多分「横浜むちゃくちゃ坂多い」みたいな曲作ってると思う。
 大倉山近辺も、山と名がつくだけあり、アップダウンが激しく、たいりょくゲージがガリガリと削れていきました。しかも暑い。見晴らしの丘公園に着くまでペットボトル二本消費した。
 私はアホなので大倉山公園を突っ切って行きましたが、たぶんもっといいルートがあるんじゃないかなと思います。
 公園を出て坂を下り、ひたすら歩きまくると見晴らしの丘公園に辿り着くわけですが、入り口がわかんなさすぎて周囲をぐるぐる歩くハメになりました。こんなときにシャッフルでループ&ループ流すな。めっちゃ住宅街のマンションの最中の坂みたいなところを上ってようやく辿り着いた記憶がある。
 割と普通の公園でしたが、高台にあるだけあって眺めはめっちゃ良かったです。来るまでがキツイのもあるのか、GWにしては人も少なく、穴場感。
 案内図をもとに眺めの広場なる場所に向かう。

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 おーいいですね。鶴見川が良く見える。川崎とかのほうまで見えるっぽい。
 これはMVで喜多さんが煙草ふかしてたところ。

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 ここもだいぶ景色変わってますねー。山田さんのシーンに続いて難易度低めの場所(辿り着くまでがめんどくさいが)。歩いてるシーンも公園内らしいんですけど、それっぽい場所が見つからず。探し方が悪いのか景色が変わりすぎているのかはわかりません。

 見晴らしの丘公園を出て、鶴見川沿いに新羽橋を目指します。
 橋自体は割と簡単に見つかりますが、アングルどこから撮ったのかわかりにくいショットだったのでかなり迷いました。当時と建物がかなり変わってるのが痛い。感覚で受け取ってください。

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 伊地知さんポイント。方向はたぶんこっちで合ってると思う。

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 後藤さんのシーンと最後の四人のシーンは土手に降りたところ。それっぽい絵面が撮れまくるのでかなり楽しい地点です。

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 この写真だと近すぎるのでもっと下がって撮ったほうがよかった。

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 反対を向いて撮ると後姿のシーンに。

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 ここすき

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 自転車に乗った種田的な人と後藤さんがすれ違うあの名カットも

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 こんな感じに。

 これで聖地巡礼ほぼ完遂。そのまま新羽駅(にっぱって読むんだ……)から帰りました。当初は大倉山まで戻って東横線で帰るつもりだったんですが、脚が限界でした。距離的にも経路的にも後藤伊地知→喜多→山田ルートが一番良さそう。徒歩だと割と気合いが必要とも思うので、私のように午前歩き回ってから来る場合は素直に電車使ったほうがいい気がしました。電車は便利。電車最高。
 あと当たり前ですが歩きやすい服装のほうがいいです。スニーカーで来るべきでした。黄色の服で公園に来るのはよくない。虫が寄ってくるので……(デカい蜂がいて怖かった)。 
 君という花のロケ地のようにgoogleマップ使えば割と簡単に行けるかつわかりやすい建造物が目印になってくれる場所はやりやすいんですけど、ソラニンはちょっと難易度高い気がしました。ロケ地記事あげてくれてる皆さまがいなければ死んでいた。youtubeのスクショは画質悪い+スマホ画面は明るい場所だと見えにくいで参考にならなさがすごかった。


 次行くとしたら
ムスタングロケ地(駒沢公園
・マーチングバンドロケ地(大島小松川公園
ローリングストーンロケ地(南千住の喫茶店)
 あたりですかね。ムスタングは割といけそうなんだけどモチベ上がんねえな……。ローリングストーンの喫茶店は適当にググったら出てきたんで誰か連行して行こうかなと思ってます。ロケ地の喫茶店っていいよね。火村英生の推理とか相棒で使われてた大森の珈琲亭ルアンはまた行きたいっす。

アジカン聖地巡礼部 シーサイドスリーピング編


オタクはなぜ聖地巡礼をするのでしょうか。

 というかオタクに限らず、ドラマやバラエティのロケ地巡りとかもあるわけで、なんか知りませんけど人間には「あの作品の舞台となった場所/好きなものに関わる場所に行ってみたい」という欲求が存在するようです。宇野常寛が「拡張現実的想像力がなんたら」みたいな話をしていた気がしますが、己の立つ現実を想像力で塗り替えるような力があるのかな、とは思います。
 でもまあ聖地巡礼の動機は人それぞれで、アングルがぴったり合致する写真撮って悦に浸りたいとか、推しと同じ場所に立ってキャーキャー言いたいとか、単純に絵面が好きだから生で見てみたいとか、いろいろあるんじゃないでしょうか。
 でも私には一つ言えることがある。なぜ聖地巡礼をするのか。そこに聖地があるからだ。


 というわけで、アジカン関連の聖地巡りの話をしようと思います。このブログ、本来なら硬派な話題オンリーにしたかったんだけど、書いてる人間がいかんせん軟派すぎるので年々軟派になってますね。硬軟取り揃えた楽しいブログにしていきたいです(適当)。


 ゴールデンウィークだ! しかも所用で前日横浜泊まりだ! 今日はフリーだ! 聖地巡礼の機運だ!
 今回訪れたのは、アジカンの隠れた名曲「シーサイドスリーピング」の舞台となったと思われる金沢八景周辺。シーサイド~といえば喜多建介ファンの聖歌(ほんまか?)である喜多ヴォーカル曲であり、軽快なリフとありえん喜多みの強い歌詞(いや作詞は後藤さんだけどむっちゃ喜多さんソングじゃん……)が一部のファンに爆発的人気を博している名曲です。

 アジカンの歌詞には地名の固有名詞があまりないことは割と皆さん気付いていらっしゃると思いますが(サーフ~は例外として)、シーサイド~の歌詞にも具体的な地名は出てきません。ですが、金沢八景近隣の光景であること(インタでおっしゃってたと聞き及びましたが一次資料にあたってないので適当です……)、そこから歌詞中の「モノレール」(シーサイドライン)「賑やかな遊園地」(八景島シーパラダイス)から明らかにシーサイドライン沿線であることがわかります。
 で、このあたりで「運河沿いの公園」といったらまず野島公園でしょう。シーパラも望めるし。
 「シーサイドスリーピングの舞台野島公園説」はあまり見ないし、聖地巡礼している人ももしかしていないかな? という感じ(先人の方がいらっしゃったら申し訳ない、是非お写真見せてください……)。ロケ地だけでなく作品の舞台を訪れるのも大好きなもので、ここは行きたいな八景も近いし、と思い、足を運ぶことにしました。GWだしね。


 10時に出発、京急某駅から金沢八景へ。
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 アジカン結成の場所、関東学院大学の最寄り駅であり、アジカンファンの聖地。二十周年を祝ったファンならやはりここでアニバーサリーな歌詞の「八景」を聴きたい。彼らの歩みをエモエモに描いた八景の歌詞最高。そういえばこれも喜多ヴォーカル曲ですね。
 金沢八景駅シーサイドラインの延伸工事をやってる最中なので、90年代後半そのままの景色を味わうことはできませんが、聖地巡礼をやるファンなら真っ先に寄っておきたいところですね。
 駅前の交差点を渡り、シーサイドライン乗り口へ。ここと京急が繋がるなら便利っちゃ便利だけど、工事いつ終わるんだろーなー。
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 シーサイドライン金沢八景駅からの眺め。すでに良さみが深い。海のある県はいいな……


 最寄駅である野島公園駅までは一駅で着きます。歌詞に出てくる「運河」、野島運河を渡り公園のほうへ。暑い上にGWだけあって人が多い。
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 写真が下手すぎて設定弄ったら真っ白になってしまった。


 歌詞の話に戻ります。
「運河沿いの公園で煙草ふかして」の一節から野島公園ではないかとわかったわけですが、それでは具体的にこの曲の主人公はどこにいたのでしょうか。
 作詞の際にロケハンしてるかはわからない、というか多分してない(後藤さんの八景の思い出で書いたんじゃないかなあ)と思うんですが、あくまで受け手のイメージとして「この辺かな~」と妄想するために、それっぽい場所を探してみることにします。折角なので。


 まずひとつめのヒントは「賑やかな遊園地では人々が鈴生りになって笑う」。この短文で「日曜日の平和な昼間」を演出してみせる技巧が光りますが、着目すべきは「この主人公は、遊園地(シーパラ)が見える場所にいる」と解釈可能、ということです。もちろん断言はできませんが、歌詞の光景を想像したとき、ぼんやり遊園地を眺めながらビール飲んで煙草喫ってる主人公が思い浮かぶので、聖地巡礼勢としては採用していきたいところ。
 海越しにシーパラが見えるのは野島公園の北東の部分。公園の中央だとおそらく木々が邪魔して見えないので、端っこの海沿いの場所になるのではないでしょうか。
 とあたりをつけ、その辺で見えそうな場所を探してみます。
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 ありますねー!
 時節柄家族連れが多く、海岸では潮干狩りをする人々がたくさん。ピクニックに来ている人も多い。そんな中オタクは独りでオタク聖地巡礼をしているわけですが……。
 シーパラも見えますし、ここでも良さそうとは思います。

 ですが、もうひとつ思い当たる場所があり。
 それは野島山の上の展望台です。
 野島公園からシーパラを見てもさすがにそこにいる人は見えないので、歌詞で描かれる光景はあくまでイメージであり比喩ですが、それでも「鈴生りになって笑う」人々を眺めるのは、見晴らしのいい場所でも良さそうだな……という感じがします。展望台から見ている可能性もワンチャンあるのでは……?

 そうと決めたら上ります。
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 思ったより長いです。疲れる。
 ipodから大洋航路が流れてきて、なーにがもう漕ぐのかったるいだこっちはもう歩くのかったるいよ! 言う! 女々しいが言う! と思いました。
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 猫を発見し大人げなく追いかける2×歳児をしてしまう。


 山頂到着。高所恐怖症なのに頑張って展望台の階段を上る。それにしても変な形の展望台ですね。
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 ウオー! シーパラがよく見えるー! いい景色!(脚ガクガク)
 (おそらく)女の子と喧嘩して自棄を起こして野島公園にやってきた主人公が、さらに自棄を起こしてここまで上ってくる姿を想像するとかなりコミカルでいいですね。人間自棄になったらなんでもする。


 ここでひとつの問題が発生します。
 それは歌詞の「Lie down, down, down, down」「眠り込んでしまいそうだ」の部分。
 眠くなる、そして横になるということは、その前までどこかで座っていた可能性が高いんじゃないか? という懸念がわいてきます(喜多さんなら立ってても寝そうとかそういうのは置いといて……)。煙草を吸う、ビールを飲む、という行為自体は立っててもできるものですが、「煙草を吸い」「ビールを飲み」「横になり」「眠りそうになる」という流れを見ると、ベンチかどこかに座っている可能性が高そうな気がします。芝生の上でもワンチャンありますが、芝生の上にシート敷かないで座って酒飲んで寝転ぶの、割とチャレンジャーっぽいですし……。自棄だからなんでもありかもしれませんけど。

 先程の海際の芝生にも、展望台の上にも、ベンチらしきものはありませんでした。シーパラが見える場所で、ベンチが備え付けられている場所ってないのかな? あったら想像しやすいんだけど……と思いながら野島山を降りると、
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 あった。
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 旧伊藤博文金沢別邸の手前にあるスポットです。ベンチがあり、シーパラが見え、モノレールも見え、そのうえ日陰。ロケーション完璧。
 作者の想定にはないとしても、私の中ではイメージに合致するので、ここで決め打ちしようと思いました。
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「運河沿いの公演で煙草ふかして 時化た日曜日」(火曜日ですが)(ちなみに火をつけてないし、吸ってません。去年JT主催の講演会でいただいたものが余っていたので小道具に……)
 せっかくなので曲を流しながら歌っていたら、普通に人が来て恥ずかしかった。

 歌詞を読み返しつつ想像を膨らませると味わい深い。
 時系列には諸説あるかなとは思うんですが、私の読みは「夕べの諍い」を経て翌日「君」が主人公を置いてバスに乗って「走り去っ」て(二人でバスに乗れなくて「君」が徒歩で走り去った、とも読めるか? 地面を蹴飛ばしたのが「君」なのか主人公なのかによるな)、「虚しくなってしまったので」(「止め処なく どこへでも漂って」、つまりふらふらして)「運河沿いの公園で」「煙草ふかして」「昼間からビールを呷ってしまう」という感じ。彼女かその一歩手前のような相手を喧嘩で怒らせてしまい、翌日のデートがご破算になり、ひとり取り残された主人公はさびしく公園で無為な時間を過ごす、という解釈なんですが、そうなるとちょっと喧噪から離れた人通りの少ないベンチはイメージに合うよなぁと。

 遊園地の人々はさすがに遠くて見えませんが、公園でもすでに「人々が鈴生りになって笑う」感はむっちゃ出てました。平和なお昼。
 とりあえずむっちゃ喉渇くので飲み物を持ってくるべきだった(自販機は公園内にあるので買おうと思えば買えます)。


 目的を達成し、八景に戻る。
 八景ではいつもベーカリーハウスアオキの二階でごはんを食べるのですが(フレンチトーストがむちゃくちゃ美味なので、八景に来た際は是非!)、今回はクレオールに来ました。八景といえば横浜市立大学関東学院大学の最寄り駅。学生御用達の喫茶店、ときいて、かねてより気になっていたお店です。
 大学によっては今日も講義あるし、学生いたりするかなー、と思ったんですが、地元の方々が中心といった感じ。店内はレトロかつおしゃれな落ち着いた学生街の喫茶店的な趣があり、いいよな~学生街の喫茶店な~と思いました(語彙力幼稚園児)。
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 学生街のカフェで食いたいメニューランキング二位くらい(私調べ)のミートソース。甘さ控えめ、玉ねぎ大きめ、汁気多め。おいしかったです。
 アジカンメンバーが来たことあるかは知りません。三十年くらい続いてるっぽいので在学時にはやってたお店だと思いますが、男子大学生ってラーメン屋と飲み屋しか行かないんじゃないんですか?(偏見)

 アオキで家族へのお土産を買って八景を後にしました。
 アオキはいいぞ。八景にお立ち寄りの際は是非。
金沢八景駅前のパン屋さん ベーカリーハウス アオキ Bakery house Aoki



 こんな感じだったわけですが、思ったこととしては「聖地巡礼は理論と実践のフィールドワークやな」と……。今回の場合は作者から明言されていない部分を用いているので想像の部分も大きいですが、手持ちの情報から推測を行い、現場に行き、集めたデータをまとめ、って何の課題だよ、って感じがしますが楽しいですね。疲れましたが面白かったです。
 この日の午後は「ソラニン」MVロケ地巡りもしたので、そっちの記事も書きたい。

 この記事を読んでいる方はアジカンファン、特に喜多さんファンだと思うんですが、アジカンのメンバーの名前を捩った登場人物たちが出てくる(後藤・伊地知・山田・喜多という名前の女子高生が出てきます)「ぼっち・ざ・ろっく!」というバンド漫画の連載が始まりまして、是非是非読んで欲しいので最後に宣伝させてください。人見知りを拗らせた主人公のネガティブっぷりがブラックで楽しい上に楽器・バンド描写がしっかりしているという、ブレイクの予感のする怪作です! 本誌で出てきた喜多さんが特にかわいいです!
 作者のはまじあき先生はロック好きにして筋金入りのアジカンファンなのでめっちゃ信頼できます。読もう。
 まんがタイムきららMAXで連載中です。単行本化はまだですがwebで試し読みできるぞ。君も「元気いっぱいの明るいドラマー」「クールで孤高なベーシスト」というキャラ設定ににやけよう。

ぼくのかんがえたさいきょうのアジカン裏ベスト

アジカン公式+(モバイル有料会員コンテンツ)で裏ベスト作って投票してくれ~という企画が発生していたので、自作裏ベスト作りました。
名前は「出頭盤」です。由来は訊かないでください。

※公式+条件:「BEST HIT AKG」「BEST HIT AKG2」「BEST HIT AKG Official Bootleg "HONE"&"IMO"」未収録曲。
※個人的に課した条件:各アルバムから最低一曲ずつ入れる。f:id:h_shibayama:20180401103344j:plain
ちなみに公式+の条件に合致するかどうかはこんな感じです。間違ってたらごめん。



1.Hold me tight<フィードバックファイル
出落ち。出落ちではあるんですけど、英語詞時代のアジカンを冒頭に持ってくることに意味を付けようかと思ったのでここに配置。今回の15曲のテーマは「星を追うものたちの夜明け」なので……(テーマってなんだ……?)
でも純粋に若くしてこの曲を書いたのすげえなと思う。ポップネスがすごい。

2.E<君繋ファイブエム
単純に好きな曲で選ぼうとしてもエピソード補正や思い入れ補正がどうしても抜けないオタクなので、リヴ・フォーエヴァーを引用しつつ「ここから僕のスタート」と歌うこの曲がここに来てしまうんだな。曲としてもストレートにカッコ良くて好きなんですけどね。
君繋だと禁止曲以外ではその訳をと迷った。

3.サンデイ<崩壊アンプリファー
今のアジカンがやってくれなさそうな曲。アジカンにハマりたての中学生の頃、狂ったように聴いていたのでやっぱり思い出補正。ただ歌詞に関しては初期アジカン節が炸裂していてその青さが非常に好ましいんですよね。「喪った/取り戻せないものへの悔恨」をストレートに叙述した一曲。やっぱ……初期アジカンの……暗い曲を……最高やな!
テーマ的にアジカン初の日本語詞である粉雪と迷いましたが、狂ったように聴きまくった補正と、あと粉雪は私が投票しなくてもみんなが支えてくれると思うので……

4.バタフライ<ファンクラブ>
ファンクラブはもうあれ一枚で一曲みたいなところがあるので切り出すのは非常に難しいんですけど、使用禁止曲除くとバタフライ→センスレスになるんですよね。センスレスも惜しかったんですけど、ライブでやってなさそうでみんなも外しそうなほうを選びました。あとここの流れは暗くしたかったので……
「折れる」で残されたわずかな希望をへし折りにくる感じほんとすき。

5.ナイトダイビング<ワールド ワールド ワールド
真夜中の暗い空に星を見た人間は少なからずその星を追い始めますが、星が見えるということは夜にいるということで、暗澹たる世界で走り続けなければいけないということなんですよね。アジカンにもそういう時間があったのだろうな、という意味で、そういう流れの部分です。どういう……?
間奏で唸るギターのかっこよさやコーラスの掛け合い等、ファンならたまらないアジカンの魅力が炸裂する曲でもあります。アルバムではここからどんどん夜が明けていく感じになるターニングポイント。純粋にカッコいいという点で惑星入れたかったな……

6.夜のコール<フィードバックファイル2>
ナノムゲンコンピ収録曲。夜で重ねたのもありますが「ベッドルームから一歩」踏み出す過程として、プレイリストの転換点で配置しました。曲自体もコンピ曲の中では一番好きです。歌詞、このころのアジカンのテーマが集約されていて良い。言語の不可能性を知りながらそれでも言語で繋がろうとする姿勢、文学なんだよな~~~!!! そしてこれは「繋がらない、それでもその先を模索したい」アジカンの(何度も疑い自分を殺しながらも)一貫したテーマに接続可能なんですよね。手の届かない場所に手を伸ばすのがロック……
FF2ではひかりと非常に迷いました。ひかりはもうあれ単体で完成されすぎているしアジカン史として必要だけれども浮いている不思議な作品なので入れたかった。あとリロードリロード……誰か私の代わりにリロードリロードに投票してくれ……

7.振動覚<ソルファ>
新録の振動覚も好きなんですけど、この曲だけは2004年の彼らが歌ったことに意義があると思っています。「特別な才能を何ひとつ持たずとも君の閉じる闇を打ち抜く」という歌詞、何人の人間を救ったんだろうな。私も十代の頃は好きな言葉や座右の銘を訊かれるたびにこのフレーズを、ウッ、頭が……。ソルファは二枚あるからどっちでどう入れるかかなり迷った。
プレイリスト的には前曲から一歩踏み出した先、というイメージ。

8.深呼吸<未だ見ぬ明日に>
未だ見ぬの曲使用禁止曲多すぎて草、でも深呼吸最推しなのでノーダメージだった。迷うことなく選曲。アジカンのやる死生観テーマ大好きで今後もやって欲しい(でも生者のマーチ方面じゃないんだよな次アルバム……)と思ってるくらいなので、その叩き台ともいえるこのあたりの曲はマジで大好きです。アジカンのやる死生観テーマの話してぇな……
曲的にも広がりがありいい意味でアジカンらしからぬ感じで、ラストのジャジーなスキャット(っていうのか?)がいい味出してて好き。

9.長谷サンズ<サーフ ブンガク カマクラ >
稲村ヶ崎極楽寺潰されて困りました。気が合うなゴッチ。ド王道パワーポップ的で素直にサビでエモ~い!と思える曲。ある意味サーフ~の象徴っぽい。そういえばこれも夜の曲ですね。それでも掛け言葉なタイトルからわかるように重すぎず軽やかなところが良いよね。
サーフ~だとあと江ノ島七里ヶ浜あたりが悩みどころでした。

10.1.2.3.4.5.6.Baby<ランドマーク>
昨年6月のワールドツアーで生で聴いて化けた曲。言葉に対して真摯に接してきたアジカンだからこそ映える、難しい言葉を媒介せずとも世界中に伝わるであろう数え歌。ヴァース? ブリッジ? 曲構成が特殊で浅学の身ではなんつったらいいのかわかんないんですけど、数になぞらえた言葉遊びの部分はAll right part2にも共通するものがあり、ランドマークのこういう遊び心いいよね、と思う。
プレイリストの流れ的には小休止感。

11.夕暮れの紅<フィードバックファイル
好きすぎてFFから二曲入れてしまった。アジカンのゆったりめのテンポの曲ではトップクラスの名曲だと思う。ギターが歌ってる感が好き。プレイリストの流れ的には夜から夕暮れに巻き戻ってますけど、「始まりの前に『意味ない』なんて言わないでよ」、そういうことなんですよ。どういうことだ……? 新録ソルファの特典バージョンもよかったですね。

12.橙<マジックディスク>
あれっここも夕暮れだな、時間巻き戻ってるなリバイバルかよ(Re:Re:だけに?)。これも夕日が沈んだ後の新生を僅かな希望からでも望む曲だと思うので……生まれ変わるために沈むんだよな……
マジックディスクは全曲そうですが、歌詞の”圧”がすごい。重い歌詞をポップに歌えるの、本当にアジカンの特権なんだよな。でもこれ前向きなはずのサビでも「何一つ残らなくたって」が重すぎるし「そんな時を想って どうか君よ 笑って」でラスサビが終わってる(つまり実現はしていないんだよな)の本当に救いがないな。救いがないのに前を向いている感の痛々しさがこのときのバンドの状態と重なるところもあり……そういう話をしだすと無限になるのでやめますが……

13.真夜中と真昼の夢<ソルファ(2016)>
そういう日々を送りながらも星を追いつづけているよという流れです。真夜中の夢はまさしく眠りの中で見る夢ですが、真昼の夢というのは星を追うほうの夢だよね……。だからこそ「叶うこと 敵わないこと それよりも大事な何かを」求めることを知る、そういう流れでここに配置しました。あんま考えてないけど……
新録の広がりのあるアレンジめっちゃすき、イントロのシャラララーンがまさしく流星のようで。こういう曲は新録のほうが断然映える。あと何の迷いもなくリライト選ぼうとしたら普通にBHA2入ってた……

14.八景<アルバム未収録>
私だよ!!!(ポプテピピック画像略)
出落ちをやりたかったのではなく、この曲はもうアジカン史のゴールポイントのようなところがあるので、絶対後方に配置したかった。テーマ的にも音的にも真夜中と~からの流れも綺麗だと思います。あとこれ!!!夜~朝!!!朝です!!!カンカンカン!!!おはよー!!!起きてー!!!カンカンカンカン!!!
「誰かの不意なジョークで僕らはまた息を吹き返す/波のない海じゃなんだか味気ないようなそんな気持ちになるでしょう」が文脈なしでもこの文字数でクッソ感情を喚起させられてエモいんですけど文脈(バンドの背景)ありだとエモエモのエモすぎて訳わかんなくなる気持ちをアジカンファンにはわかってほしい。あとギターソロエモい。何もかもがエモい。これをゴッチが歌わないところ含めてエモい。エモいで片付けるな。
未収録曲だと荒野を歩け入れたかったんですけど、荒野はどうせ次のアルバム入るやん、名曲中の名曲すぎてもはや投票の必要がないな(?)。

15.Opera Glasses/オペラグラス<Wonder Future>
ここまできたからにはしっとりで終わらせるより元気に終わりたいので大団円的な曲を持ってきました。WFで好きな曲だいたい人質に取られてるんですけどオペラグラスは無事だった。しかもこれ「探せネクスト・ドア」で俺達の戦いはこれからだ感もあり、テーマに合致していて何気にめっちゃいい流れを作ってしまったのでは?と思います。曲調もころころ変わって楽しい割に終わりはちゃんと締めてるし。
ところで投票の際は曲名正式名称でって書いてあるんだけど、WFの曲はこの形式で書かなきゃダメなのかな……

アジカンになりたかった17歳の私へ、誕生日によせて

 今から1年前、2016年の12月12日。私の26歳の誕生日。アジカンの再録『ソルファ』を聴き、思い出したようにライブの予定を調べてみたら、1月の武道館のチケットが申し込めたので、軽い気持ちで申し込んでしまったことは、昨日のことのように思い出せる。
 その武道館公演を観て、改めて深く感動し、アジカンに捧げた10代を思い出して、もう一度ファンに舞い戻ってしまった。そうして始まった2017年にはいろいろな出来事があって、いろいろな出会いがあった。音楽文.comに掲載していただいた文章で賞を頂いたり、後藤さんにサインを貰ったり、高校時代アジカンの話題を共有した友人とライブを観たり、ライブ後に大学のサークルの先輩とみっちり音楽の話をしたり、後藤さんのラジオでメールを読まれたり、トチ狂って岐阜まで遠征したり、映像作品集13巻の先行上映会に当選したり、アジカン×FEEDERツアー東京二日連チャンで足腰が死んだり、こうして並べてみると本当にアジカンに埋め尽くされた一年だったなぁと思う。去年の誕生日に直感に従ってライブのチケットを取らなければ、多分こうはなっていなかった。
 今年の前半は特に持病のキツかった時期で、精神的にもかなり参っていたときだった。我慢できないほどつらいことがあって、帰りがけに逃げ込むように浦和のタワーレコードに飛び込み、映像作品集12巻を買って帰ったことを思い出す。10代の頃の精神的支柱となったバンドに、私はまた戻ってきてしまった。それでも、そのおかげで現在は持ち直し、まあまあ安定した日々を送れているんだけど。

 前述の音楽文.comに掲載された文章は「『アジカンという呪い』を超えて」という題名だった。この「呪い」とは、アジカン自身にとっての「アジカンという固定観念」の呪いのことだけれども、私もまた、別の意味で「アジカンという呪い」の渦中にいた人間なのだと思う。
 先日、長い付き合いの地元の友人たちと飲んだとき、ふと高校から大学の頃のことを回顧して、「私はずっと後藤正文になりたかったんだ」という旨の言葉を口にしてしまった。ものすごく恥ずかしいフレーズではあるけれど、それは10代の私のまぎれもない本心だった。
 私はずっと、アジカンになりたかった。
 オタクで、陰キャで、非リアで、形容はなんでもいいけれど、学校という小さな社会にすらまともに馴染めずにフィクションばかりを愛していた中学生の私にとって、アジカンという存在は衝撃だった。
 Tシャツにジーンズでギターを掻き鳴らす、冴えない眼鏡の男。普通のお兄さん四人が集まって作り上げられる、ロックンロールという音楽。電撃が走るような運命的な出会いではなかったけれども、アジカンは私の生活を一変させた。ロックという未知の世界へ、私を誘ってくれた。自分たちだけでなく色々な音楽を聴いてほしいという、あくまでいち愛好家としての視点を失わない姿勢のかっこよさ。ナノムゲンフェス等の行動に移す決断力。現在に至るまで貫かれている、自己利益だけを目的としない広い視野。それでいて嫌味のない、「ひとのいいお兄さんたち」といったメンバーの人柄。それと対比するかのような、長い下積み時代の苦悩。言葉にすれば陳腐になってしまうけれど、惹かれた部分はたくさんある。
 音楽も、スタイルも、精神性も、何もかもが魅力的に見えた。ラジオ番組を毎週欠かさずMDに録音して聴き、後藤さんのweb日記をくまなくチェックし、新譜が出ればなけなしのお小遣いをはたいて買い、学校生活の合間を縫って年に何回かだけライブに参加した。オタク少女はアジカンに出会い、外面も内面も変わったし、付き合う友人も増えて、すっかり生まれ変わったかのように思えた。
 これはもう何度も口にしているし自虐的にネタにすらしている話だけれど、大学に入学したら軽音楽部に入ってバンドを組む、それが私の高校生活の最大のモチベーションだった。つまりは、アジカンと同等のルートを歩みたかった。私は自分がアジカンに、後藤正文になれるものなのだと確信していたし、そこに疑いはなかった。10代の稚拙な全能感だ。同い年のアジカン仲間と、大学に入って軽音に入部したら一緒に企画やろうね、みたいな話とかしてみたりして。懐かしいなぁ。
 でも、大学に入ってみて、私は自分が何も努力してこなかったことを知った。まず人間と会話できない(冗談みたいな言い方だけど、マジでコミュ障だったんですよ……)し、周りの学生の雰囲気にもついていけない。自分がメチャクチャ浮いてることを突き付けられる、地獄のような時間。軽音サークルの合同新歓ライブを観に行っても、同級生と話が進まない。それでもとあるサークルの新歓花見か何かに参加するところまでは頑張ったけれど、そこでとある人に冷たくあしらわれて、完全に心が折れて、私は軽音に入ることを諦めた(なんかこのくだり1月のライブレポでも書いた気がするので読んでる人いたら二度手間ですいません)。その帰りに会った人に救われたり、別のサークルに拾われて居着いたら天国だったり、いい事もいろいろあったんだけど。
 いま思えば甘えもいいところで、本気でバンドがやりたいなら他にいくらでもやりようはあった。そもそも気の合う人を見つけてきてバンドを組めばいいだけの話だし、学内にも学外にも様々なサークルは存在していた。それでも当時の私には限界だった。
 だって私は、後藤正文になれるって思ってたんだ。
 大学に入ったら、軽音の新歓に行ったら、私にとっての喜多建介に出会えるって思ってたんだ。
 誰しもが持ちえる10代の稚拙な全能感。私の場合は、その時に音を立てて壊れた、のだと思う。

 「私はアジカンによって変わることができた」。そう躊躇いなく口にできたのなら、どんなに幸せだっただろう。確かに表面的な部分は変わっただろうけど、本質は何も変わっていなかった。今の自分から目を逸らして、光り輝く人の外殻だけを真似ようとして、真似できると勘違いして、結局どうにもならなかった。後藤正文になりたいと願った10代の私は、しかし彼を何も理解していなかった。『ソルファ』が売れたことによる苦悩と疑心暗鬼も、『ファンクラブ』の葛藤も、その時期を身近に過ごしながらも、たぶん欠片も理解できていなかった。それだけじゃない。彼の目指すところも、その信念も、分かっていなかった(し、今も完全に理解は出来ていないんだろうな……)(他人のことを完全に理解できる人間なんて存在しないっちゃそうなんですが)(でもそんな相手に憧れてたなんて茶番じゃないですか)。
 結局、私はその挫折とちゃんと向き合わないまま、大学生活を過ごしてしまった。バンドを組むことも、企画を運営することも、音楽関係の企業に就職することもできなかった。それならそれで、新しい目標を見つければよかったけれど、それも出来なかったと思う。軽音の代わりに居着いたサークルはとても良いサークルで、生涯の友人と経験を得たと思っているけれど、私はその素晴らしい居場所を何も生かしていなかったんじゃないか、と未だに思っている。
 バンドどころか、ギターだって続かなかった。音楽を聴き続けるのもつらくて、ライブからも足が遠のいた。それが原因なのか、はたまた別の何かだったのかは思い出せないけれど、震災の後あたりにツイッターで後藤さんのフォローも外してしまった。
 時間軸は前後するけれど、軽音入部を諦め、なんとか出身サークルに居場所を見つけられるようになって、音楽からもちょっと離れかけていたときに、佐野元春のザ・ソングライターズで後藤さんがゲスト出演している回を観た(ググったら2010年7月らしい。二年生の夏ですね)。某大学を会場に講義形式で進められていたその番組で、後藤さんに歌詞についての質問を投げかけたのは、私と同じ大学の(もしかしたら同い年だったかもしれない)学生だった。それを見た瞬間、悔しくてめちゃくちゃに泣いてしまった。なんで私じゃないんだろう、なんであの人なんだろう、と。
 思い上がりも甚だしいし、滑稽だし、どうしようもない感情なんだけど、それでも私はひどく絶望して、文章を書く意味なんてないと思った。私はアジカンではないし、アジカンになれないし、アジカンに選ばれることすらできない。そんな当たり前に飲み込むべき現実を飲み込みたくなくて、自分が夢と呼ぶのも烏滸がましい傲慢な欲求に縋りついていたことに直面させられて、泣くしかなかった。今も書いてるだけで失笑がこみ上げてくるくらいどうしようもない人間だな。

 結局、そんな怨念を消化することもできずに大学を卒業し、社会に出て、出てというか全く社会人を全うできていないけれど、今に至る。私はずっと、そのことから逃げていた。自分自身と向き合わないまま他人の影ばかり追いかけて、ようやく他人が自分でないことに気付いて、自分の姿を改めて見直して、そのあまりの虚ろさに恐れおののいて、対峙することから逃げたまま生きてきた。
 体調不良から自分自身の身体、ひいてはそれと連なる精神に向き合わざるを得なくなった26歳の私が、アジカンと再会を果たしたのは、ある種運命だったというか、天啓のようなものだったのだと思う。アジカンを聴くことは、アジカンと向き合うことは、私が自分から逃げ続けてきた10代と向き合うことに他ならなかった。
 音楽文.comの「『アジカンという呪い』を超えて」を書いたときも、6月にとあるイベントで後藤さんにサインを頂いたときも、私はそれらの過去を過ぎ去ったものだと思っていた。だからこそ、このブログの1月のライブ記録でも、「『アジカンという呪い』を超えて」でも、私は過去を完全に俯瞰した視点で記述している。けれど、よく考えて、向き合ってみて、私はずっと過去に縛り付けられているのだと知った。
 アジカンに、後藤正文になれなかったどころか、それに挑むことすらできなかった。
 別の軽音サークルに入れていたら? 他所でバンドを組めていたら? 一人でも楽器を続けていられたら? 音楽関係の仕事に就けていたら? 何か踏み出せていたら、こんなに引きずられることはなかっただろうか?
 人生にifはない。今更過去を省みたところで、何かが変わるわけでもない。それでも私は、朽ちた夢の残骸から先に進めない。
 この1年は、再びアジカンと出会い、彼らのいまを知り、私が過去の自分と向き合うためのものだったように思う。私自身の「アジカンという呪い」と向き合い、決着をつけるために、私は再録『ソルファ』を手に取り、武道館へ赴いたのだろう。

 この1年、再び10代の頃のような熱量をもってアジカンを追いかけて、何か決着がついたのかと問われれば、何も変わっていない。それどころか、むしろ「10代の頃の夢に決着をつけることなんて無理だ」ということをすんなりと受け入れられるようになってしまった。
 私は未だにアジカンの新譜を心待ちに生き、ライブに赴いては涙し、後藤さんに憧れ、2010年に彼から貰ったリプライをお守りのように見返しながら(キモいな!)過ごしている。10代の頃と何も変わっちゃいない。アジカンは悩み苦しみ間違いながらも前に進んできたというのに。
 10代の頃に思い描いていたような大人にはなれなかった。バンドもやっていない、音楽関連の仕事もしていない、結婚もしていないし身の回りのことも一人でこなせない、知識も教養もない、音楽を沢山聴くこともできない、仕事帰りにライブハウスにふらっと立ち寄れたりしない、今後ブレイクするバンドマンの友人もいない(そもそもバンドやってる友達いねえな……)、見た目は垢抜けない、精神も幼いまま、こんな文章を書いているくらいみっともない、そんな大人になってしまった。10代の頃の自分が今の自分を見たら、たぶん生きていく気力を失うだろう。
 でも。それでも、今、割と楽しいよ。
 アジカンにはなれなかったし、今後も一生ああはなれないけれど、それがとても悔しくて、未だに受け入れられていないけれど、でも、人生は案外楽しい。あの頃思い描いていたようにすらすらと音楽を語れる文化人としてではなく、アホなミーハーとしてアジカンを追いかけているのも、それはそれで面白い生活だよ。
 だって、アジカンはそんな私も許してくれるバンドでしょ。アジカンを好きでいることは、それだけで楽しいことでしょ。決して手の届かない遠い星を見つめるのも、それなりに悪くない人生だよ。

 多分この怨念は一生引き摺って行くしかないもので、今までは恥ずかしくて口にできていなかったけれど、もう隠すのもやめた。ベラベラ喋ろうと思った(なので余所でも書いたりしている)。
 体系的な音楽史に明るいわけでもなく、豊富な教養に基づく的確な批評ができるわけでもなく、楽器経験や理論知識から楽曲を解明できるわけでもなく、文学方面から歌詞を分析できるわけでもなく、ファンとしてバンドに関する知識を蓄積してきたわけでもない私がアジカンを語るには、こうやって自分の怨念を切り売りするしか、もう方法はない。別にそんなもん聞きたくねえと言われるかもしれない(特に豊富な知見をお持ちの音楽好きの方々には)。
 知るか。語らないと私が死ぬんだよ。語らせてくれよ。私はこうやって書くことでしか、自分をなんとかできないんだよ。
 私にだってアジカンを語る方法はあるって、そう思わせてくれよ。
 だって私はアジカンになれなかったんだからさあ。

 それにしても、こんな重いもの(自分で言うか?)を背負わされているアジカンって、本当にすごいバンドなんだなと思えてしまう。いや、別にそれはアジカンに限った話ではないのだけれど、というか音楽に限った話ですらないけれど、アジカンの、というか後藤さんのすごいところは、あくまで人間としてそれらを受け止めているところだと思う。いや、他の人が人間じゃないとかそういう意味じゃなくて、比喩です。
 先日ツイッターで流れてきたライブのレポートで、かつて一番売れていた時期はファンの気持ちに応えようとするのがつらかった、といった旨の(元の発言を聞いたわけではないので、正確なニュアンスを理解していなかったらすみません)MCを後藤さんがされていた、という話を見た。そりゃそうだよなぁ、と思った。私自身、アジカンがなかったらどんな10代を送っていたのかわからないし、それを想像しようとすると恐ろしくなる。
 私の感情や人生は私一人が背負えばいいけれど、それを何百人、何千人、何万人分託されるミュージシャンは、いかなる重圧をその身に背負っているのだろうか。それを完璧に背負いこなせてしまう人もいるんだろうし、そういう人こそが人前に出る仕事を天職とするんだろうけれど、アジカンは、後藤さんは多分そうじゃない。『何度でもオールライトと歌え』を読んでいても、彼は迷い、狼狽え、苦しみ、それでもなんとか足掻こうとする、特別に強いわけではない一介の人間でしかないように思える。
 それもまた、「アジカンという呪い」なんだろうな(我田引水)。彼らはそれを背負うことを決めた。そう思うと、私も自分の人生くらいは自分で背負っていかなきゃな、という気持ちにさせられる。

 誕生日ということで、この1年を総括する文章を書こうと思ったんだけれど、この1年を語るにあたってアジカンはどうしても外すことができず、そうなると「アジカンという呪い」の話になってしまうので、こういう風になるしかなかったのでした。
 でも、嬉しいのは、こういうことをちゃんと言語化することで、理解してもらえる部分が生まれてきたということ。そして、案外私のような人間が(対象がアジカンであるかどうかは差し置いて)この世の中には存在するんだな、ということがわかったこと。そりゃそうだよな。夢が叶う人間のほうが少ないもん。
 あと、ナラティブセラピーとかの話に繋がるんだけど、こうして自分の認識しているライフストーリーを語り直すということは、自分の人生に新しい発見を見つけ、さらにそこに新しい意味を付加することなんですよね。私はアジカンを語る中で、自分の人生を語り直してるんだな、と思う。
 私の人生は私のもので、私の挫折も私のもので、だからこそ「アジカン? 昔流行ってたよね」「最近聴いてないな~」「まだ解散してなかったの?」「ボーカルがなんか政治の話してるでしょ?」「ソルファ、昔のほうがよかったね」みたいな輩に軽々しく私を再解釈されたくない。そこに抵抗するには、こうやって言葉にして、伝わる人に伝わってくれることを祈るしかない。まあ、書いた時点で割と満足はしてるんですけどね。なんか書いててちょっと泣きそうになって自分でもキモいな。キモいオタクすぎるな。

 そんなこんなで27歳になりました。カート・コバーンが自ら命を絶った年齢ですね。他にもジミ・ヘンドリクスとかジャニス・ジョプリンとかジム・モリソンなんかも27歳で亡くなったそうで、ロックミュージシャンの鬼門とか言われてるらしいんですけど、まあ私はロックミュージシャンではないので多分関係はないし、27歳を過ぎても普通に生きていくんだろうな。
 でも、それでいいじゃん。
 こうやって自分をどんどん客観視できるようになってくるし、年齢重ねるごとにレベルアップしてる感じがするので、歳を重ねるのは割と嫌じゃないです。歳で失われる美貌なんてもとからないしー? もともと病弱だから体力もないしー?
 27歳を過ぎたロックミュージシャンは「ああ、俺は天才やなかったんやな」と思うものなんでしょうか。私もまた、27歳になってみて自分が特別だと思っていた頃を振り返っているわけで、なんか運命的なものを感じるような感じないような、そんな感じです。
 特別じゃなくてもいいじゃん。所詮ただ凡庸知って泣いて。そういうものが人生じゃん。七転八倒しながら暗中模索していくしかないじゃん。
 悲しくなったり、切なくなったり、ため息吐いたり、惨めになったり、いつかは失ういのちを思ったり、それでも僕らは息をするんだよ。キモいオタクなので引用しました。
 生きます。

ASIAN KUNG-FU GENERATION × FEEDER Tour 2017 12月7日/8日(豊洲PIT)

アジカン×FEEDERスプリットツアー、豊洲PIT二日間行ってきました。
一応ライブに行った記録だけは残したいんだけど、セトリとかMCとか自分で覚えてるわけじゃないし、他の方のをそのまま持ってくるのもどうかという感じなので、もう箇条書き的に断片的に書いていこうかなみたいな感じで自分用のメモです。そんな感じのゆるさなので、事実誤認等ありましたら申し訳ない。

・一日目

テナー→アジカンFEEDER
テナーは自身のトリビュートでアジカンが演奏した曲ということでセンスレスストーリー~、本当はこれをやってほしかったとTENDERをやったのがおおーと思いました。曲選自体もいいけど、こういうことを言える信頼関係が垣間見えて素敵ですよね。しかしセンスレス~はノリにくいな……周りで結構戸惑ってる人がいてちょっと笑った。全然関係ないんですけどFrom noon till dawnを聴くと手が勝手にjubeatの譜面を叩きはじめるようになってしまった。ワンマン行こうと思ってて行けなくなったので観れてよかったです。
アジカンはSAIに続きサイレン始まりだったり無限グライダーやったりぶっ飛ばしてて楽しかったです。リライトの間奏のコール&レスポンスでは後藤さんが延々「芽生えてた感情切って泣いて」を繰り返したかと思うとだんだん声を潜めはじめ、会場もそれに倣い、極力ボリューム絞った応酬に笑いが漏れ、しびれを切らした山田さんがベースのフレーズをブチ込む一幕もあって楽しかった。あと新曲も良いぞ……(後述)。
FEEDERはこの日初見。自分が離れてた頃のナノムゲンに来てたんですよねー。以前から聴いたことある曲はあったんだけど、ちょっとspotifyで聴いてみたりしたくらいで、事前知識はそんなになかったです。UKロックのいい意味での湿っぽさを保持しつつも、悪い意味での(というとアレですけど。偏見です)それらがない、すんなり入りやすいサウンドで好きだなーと思いました。あと美メロよなー。Insomnia好きだなー(insomniaって歌詞で言ってくれるので洋楽のタイトルが覚えられない三歳児でもすぐ覚えた)。
アンコールではFEEDERのhigh→アジカン&ホリエさんが登場、NirvanaのBreedを皆で演奏する大団円。「She said!」と皆で叫んで会場が一つになった瞬間でした。
余談ですが自分はこの曲の題名がずっと思い出せず(洋楽の題名に弱すぎでは?)、あー知ってるわ~あの曲だわ~あの曲だよな~とか思いながら盛り上がってて、後でググったらNevermind入ってる曲だったのでですよねーとなった。聴いててよかった高校生時代の自分。知識無オタクなので後でググって知ったけど、こういう歌詞の曲で会場が一体化してシンガロングできるのって音楽の妙ですよねぇ。

ツイッターには書いたんですが、中央上手側くらいで観られたため、余裕をもって周りの状況が見渡せて、いろんな人が楽しんでる姿を見られたのも楽しかったです。アジカンのときRe:Re:やループ&ループで顔を見合わせてニッコリ笑い盛り上がってたお兄さん二人組、めっちゃ素敵でした。リライトではやはり爆発的な盛り上がりで自分の位置にも限らず雄叫びが会場を満たしていて、サビ前で感極まりすぎたのかギャアア○△□×※ーーー!!!みたいなもう言語化不可能な叫び声を上げていた人が印象的。あと会場でのことじゃないんですけど、終演後に近くにいたFEEDERファン(恐らく世代の方なんだろうなぁ)が「今日のグラントは楽しそうだったなぁ」「フジロックの話してたけど来るのかなー」とやりとりされてたのが聞こえてこっちまでほっこりしました。こういうのもライブの楽しさかなぁ。自分もFEEDER詳しい人に解説してもらいながら聴きたかった。

終演後に買おうと思ったらFEEDERベスト完売してて泣いた。

・二日目

アート→FEEDERアジカン
アートはNANOで観たことあった気がしたけどその日行った記録が見つからないので初見かなー。九年前のこと覚えてねえ……。世代的には合ってるんだけど数曲しか知らないレベルでお恥ずかしい。
二日目は最初上手寄り二列目くらいで観れてたので、戸高さんの轟音ギターが間近で余すところなく観れてむちゃくちゃ楽しかったです。かっこいいギタリストですね……素敵だ……。木下さんの独特のボーカルといい音に酔えるバンドやなーと思ったのでちゃんと聴いていきたいです。ゴッチの好きな曲、と言いつつFADE TO BLACKをやらない、と思わせておいて最後にやってくれたんですね。ええなあそういうの。てかベース中尾さんなんですねー! すごいなー! 木下さんのたどたどしいMCも味があって笑いました。
FEEDER二日目。アガりどころがなんとなくわかってきたし、メンバーに煽られるのも近くで観れるんで(タカさんめっちゃ近かったわー!)、一日目でゆっくり聴けたのもあり、今日は盛り上がろう、とファンの方々に紛れてギャー!とやってきました。すっごい激しいな! ダイバーも出てたみたいで。Lost&Foundでもみくちゃにされてもうわけわかんなくなりながらも跳びまくって楽しかったけどたいりょくはなくなった。Just a DayとかFeeling a Momentではもう誰のファンとか関係なしに皆で合唱してめちゃくちゃ楽しんでしまった。FEEDERファンの方々ありがとうございます。
この日思ったのは、FEEDERって音が太いんだけどそれが嫌味に響かなくてすごいなと。アジカン含め日本のバンドだと、バスドラの音がお腹にグエッって響いて気持ち悪くなることがあるんですけど、FEEDERはその嫌な感じがなかった。専門的なことは全くわからないので何とも言えないんですけど、そういうところも含め音作りからして日本のバンドとは違う感じがするし、正直アジカンよりすごいな(キャリアからして当たり前なんですけどね)と感じてしまった。
トリのアジカン。楽しかったのは楽しかったんですが、流石に前方は体力消耗がヤバくて中盤のMCでいったん抜けて後方で観ました。ブランクが長い自分が言えることではないかもですけど、久々にむちゃくちゃ激しいアジカンだったな……という感じ。前日に比べWonder Future曲ブチ込んできたのもあって本当に激しかった。
リライトは前日に続き謎小声タイムで笑いが起こっていたし、なんか「今日は時間押しちゃダメって言われてるんで……」とか言いながらもやっててじゃあやるなよ!笑って思ったし、むしろ前日よりバリエーション増えて長くなってたのでロックだなぁと思いました。笑。
ソラニンや今を生きては後方で踊れてよかったな、という感じ。荒野や今を生きてみたいな新しめの曲がちゃんと盛り上がるの、とてもいい状態だなーと感じます。特に荒野はかなり盛り上がっていたのでアジカンの新定番になるんじゃないかなーと。「ラルラルラ―!」の多幸感が半端じゃない。
アンコールはFEEDERメンバーが登場、アジカンに曲提供したSLEEPという新曲を演奏。あっこれむちゃくちゃFEEDERですね……うわかっこいいな……というアップテンポな曲でした。歌詞、もしかして英語→日本語って両方使われてます??? 歌詞あまり聴き取れなかったけど、もしや生者のマーチと地続きなんじゃないかな、という部分があり、どういう形でリリースされるのか非常に気になります。アジカンのやる生と死のテーマが何より大好きオタクとしてもな。
ラストナンバーは前日も演ったBreedを二バンド(昨日はFEEDERメインでしたが今日はアジカンメイン)+木下さんで。FEEDERメンバーがコーラスしたりわちゃわちゃステージで遊んでたのがすごいかわいかったです。ハッピーでピースフルなステージでした。

ベストが売り切れだったので聴いてなかった「ジェネレイション・フリークショウ」買って帰りました。

・総評とか思ったこと

アジカンは影響の樹系図をすごく大事にしているバンドで、10代の頃はそこに多大な影響を受けて様々な音楽に手を伸ばした記憶があるのですが、本当にそれが変わらないんだな、と再確認しました。アジカンにとってFEEDERって影響を受けてきたバンドで、いわば樹系図に連なる存在だと思うんですけど、そこが繋がったことも幸福だし、この会場に来ている人たちがさらにその樹系図の末端になっていくんだよなぁ、と思うと感動もひとしお。あと、やっぱビッグネームとの共演だけあって、アジカンの演奏にもすごいいい影響があったんじゃないかなぁと。相乗効果。アジカンも苦難の時代があったし、FEEDERもいろいろ乗り越えてきたものがあったわけで、なんかそういうことを思うと、この共演は感慨深いな、と思えてしまう。タカさんがおっしゃっていた通り愛だな。。。
自分としてもこんなスゲーバンドを観る機会をくれてありがとうという思いです。また来日したらぜひ観たいなぁ。今度は後ろでゆっくり。。。笑
あと、前述したように日本とUKのバンドの違いみたいなものが観られたのもよかったです。洋楽に明るくないので勉強になります。多分日本には日本のいいところがあるんだろうけど、他者のいいところは取り入れていけたらよいよね、と思う。
「未来、繋ぐ。」で喜多さんだったかなー、アジカンはスーパープレイヤーが集まったバンドじゃないということをちょっと自虐的におっしゃっていた気がするんですが、大学の軽音の友人たちで結成したわけで確かにそれはそうなんだけど、だからこそ手許にあるカードだけでどう切るかってところにめちゃくちゃ注力してるある種尖ったバンドであると思っているので、そういうアジカンの良さ(はつまり最大限自分たちのプレイスタイルに特化した曲の良さだと思う)が再認識できたのもよかったです。FEEDERのスゴさと比較して相対的にアジカンの武器を発見し直した感じ。

・生者のマーチについて

別枠を設けるくらい好きなんですけど、冒頭の泣きの3コードの時点でウワー!これ絶対好き!絶対好きでしょ!と思わされるゆっくりめのテンポの曲で、歌詞はインスタでちょろっと公開されてた通り死者と生者の話っぽいんですよこれ。仙台公演のMCでもそういう話をしてたっぽい(伝聞)んですが。生者はいつも死者の国と隣り合わせの世界にいるし、死者が生者を規定するし、生者はそれを背負って生きていかないといけねえんだよな……(こいついつも伊藤計劃の話してんな……)
歌詞の面では「マジックディスク」がすごい好きで、何故かというとアジカンというか後藤正文のやる死生観の話が好き(なのでソロ1stももちろん好き)なんですけど、そういう意味で自分の琴線にすごく触れる曲になりそうで楽しみです。クソデカすぎるテーマと相対しながらもそっと背中を押してくれるのがアジカンの良さだと思っているので。
曲の話しますね。テンポ的に海岸通りみたいな感じなのかなあと思うところもあったんですが、それよりもっと感情的というか激情的な側面があると思います。後半声を張り上げる場面もあってすごくエモーショナル。ラストのギターがまた泣きのギターで、荒野を歩けに続いてまた違うベクトルで歌うギターを堪能できる曲です。みんなonly in dreamsのアウトロ大好きだろ!?
生者のマーチというタイトル、聖者の行進にかけてるのかなとも思ったんですが考えすぎでしょうか。聖者の行進は死者の葬送に使われる黒人霊歌なので、テーマ的にも接続しているかなーと。死者が天国へ向かう行進と生者の地上での歩みで対比になるよね。まあ妄想かな……。妄想楽しいですね。
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11/26 ASIAN KUNG-FU GENERATION 映像作品集13巻~Tour 2016 – 2017 「20th Anniversary Live」 at 日本武道館~ 先行上映会


ASIAN KUNG-FU GENERATION 映像作品集13巻 ~Tour 2016 – 2017 「20th Anniversary Live」 at 日本武道館~ (Trailer)


 当たったので都内某所行ってきました。抽選で25組50名の中に潜り込めました。神音響だった。
 DVD出てからじっくり観て感想書けばいいじゃんって話なんですが、先行上映会の目的って、行った人に口コミで評判広めてもらって購買意欲を煽るためだと思うので、その思惑に加担したくて筆を執りました。

 いや~~~もうマジでアジカンファンが買ったほうがいいです。当日のライブ自体が最高だったということもあるし、撮り方もちゃんと撮ってほしい・観たいところをばっちり映してくれてたので、素晴らしいDVDになると思う。
 ていうかマジで20周年ライブのセトリが良さすぎるんです。三時間のボリュームですよ。ソルファ全曲再現ですよ。昔のアジカンのほうが好きー! 今はわかんなーい! って人もいるし、最近追いかけ始めたんですよねー、という人もいるだろうし、いやいや全部好きですパターンもあるし(自分です)、それは様々なんだろうけど、たぶんどんな立場のファンの方も納得できます。この内容。MCで後藤さんが「最近の曲より昔の曲が盛り上がっても別に怒らないからね(笑)」的なことをおっしゃっていましたが、マジでどこのアジカンが好きなどの世代のファンでも受け入れる懐の広いライブだったように思う。
 記事書いたように、自分は武道館一日目に行ったんですけど、こうして二日目観てみると甲乙つけがたいですね。ただ、映像にするならこっちだなーとは思った。MCの内容とかも20年の総括になっていたなぁと。でも一日目もよかったですよ! 夜のコール! 転がる岩弾き語り! 喜多さんコーナーの八景はむっちゃ羨ましい(でも嘘ワンも最高だったよ)!

 買おうね



 以下はしょうもない曲ごとの感想です。DVDの感想というより思い出語りだこれ。

遥か彼方
 紗幕に包まれたキューブ状のセットがドドン。今回のライブはこのセットを中心として光や映像の演出がふんだんに用いられており、視覚にも楽しいステージでした。山田さんにスポットが当たり、お決まりのベースのベンベベベベベベ……から始まりグワーッと会場を引き込む。
 この曲、インディーズ初&メジャー初(再発なので両方ですね)の『崩壊アンプリファー』の一曲目を飾る曲であり、歌詞もストレートに「なんかもういろいろあるけどこれから突っ走っていくぜ俺たち!」的な色彩の強いものなんですけど、それをこう、20周年記念ツアーの一曲目に持ってくるの、最高すぎますよね。エモの意味かよ。曲自体が全く異なる決意の歌に聴こえるから、年月ってすげえなって思います。

センスレス
 「キミガココニツクナリハイタタメイキ……」の『the start of a new season』リバイバル文字列。ライブレポでも書いたけど本当に本当に本当に激アツ。このツアーは結構過去のツアーや作品を思わせる演出が多く、そういうの普通に涙腺に来るからやめてくださいって感じです。
 プログレチックにバンバン展開を続けて最後に爆発する名曲ですが、ラスサビで後ろのスクリーンが白く光って会場が徐々に照らされていく演出が、まさしく「闇に灯を」で最高。
 細かすぎて伝わらない後藤さんの好きな歌い方その一:「おんそーくのスピードで文字によっおっお↑~おお~う」

アンダースタンド
 ライブアンセム。こんな昔の曲が未だにこうして盛り上がるのすごい。曲に併せて手拍子する大勢の観客が映されるとそのあたたかいフィーリングに涙腺が緩む。
 「歪んだ日~の君~を、ウォウ、ウォウ、捨てな~いでよ~、イェー!!(観客叫ぶ)」で紗幕落とす演出を最初に考えた人にノーベル平和賞授与したい。センスレスもそうですが、「闇の向こうに光を見る」アジカンの曲のスタンスを舞台演出がよく理解しすぎている。

暗号のワルツ
 は? マジ? 二日目暗号のワルツやったんか? マジで? 『ファンクラブ』期のあの繊細できらめいていて切ないギターから始まる変拍子ソングは猛烈に美しい。あとキーボードのピアノ音色がすっごい映えてましたこの曲。こういうガチンコギターロックバンドのサポートメンバーって賛否両論になりがちだと思うんだけど、アジカンはかなり良いように作用してるんじゃないかなー(曲にもよるけど自分はおおむね賛成派です)。
 それにしても、『ファンクラブ』、「君に伝うかな 君に伝う訳はないよな」で始まるアルバムって相当に壮絶だ。伝わらない、でも伝えたい、そのアンビバレントとずっと取っ組み合いを続けてきたバンドであることの象徴ですよ。これを武道館で歌うんですよ。この話は曲で喩えると大サビなので何度でも言います。何度でも暗号のワルツがすごいと歌え。

ブラックアウト
 一つのリフを少しずつ形を変えながら最後まで引っ張るアジカンの曲構成を、「最後に伏線回収するミステリみたい」と言われたことがありまして、この曲は典型的なそれだと思います。何も考えなくても身体が揺れるダンサブルなロックなんですけど、そういうところも面白くて、何度聴いても飽きない。あとライブでのコーラスがすごい綺麗ですよねぇラストとか。
 歌詞、「今 灯火が此処で静かに消えるから 君が確かめて」って、消える灯火は命ですよね。命の終わりをちゃんと見届けろってことだよね。『マジックディスク』期における「いつか終わる生命」というテーマのさきがけがここに見てとれます。まあ、この曲のテーマはどっちかっていうと『ファンクラブ』期の「デジタル―身体性」の部分だと思うんだけど。センスレスとかも。
 細かすぎて伝わらない後藤さんの好きな歌い方その二:「ただ~たっち~つっく~す~ぼっくの~よ~わ~さ~とぉ」(音源だと「ぼっくっの~」なのがちょっとずらして歌ってるやつです)(あと、ラスサビのここの「僕の」のところのベースが半音ずつ上がるやつめっちゃ好きなんですけど、これ音楽用語で何て言うんだっけ???)

君という花
 元祖四つ打ちダンスロックは本当にいつ聴いても無敵すぎるし、こともなげに曲に入っていくところめっちゃカッコいいですよね。君という花の入りはその時々によって様々なパターンがありますが、今回は大人の余裕を感じます。この曲で踊る観客たち観てるの楽しい~~~。PV懐かしい~~~。武道館を一杯にする「ラッセー!ラッセー!」も感慨深い。
 初期アジカンは特に「技術的に出来ることが少ないからこその創意工夫」がめちゃくちゃ曲に見て取れると思うし、この曲もそうだと思う。難しいことをやらなくてもカッコいい。それはすごいことだ。

粉雪
 自主制作時代から存在した曲であり、アジカンの初日本語詞。そんな曲を「懐かしい曲やりま~す」ってやり始めるのマジで反則なのでやめてください。嘘。やってください。
 『崩壊』期特有のなんかよくわかんないけどすごい過去を悔やんでることがわかる歌詞炸裂。ライブでの喜多さんのコーラスも良き。アジカン、もっと疑似ツインボーカル的な曲出してくれ~! 昨今のキタケンボーカルムーブメントの流れでどうか一曲! 『ナイトダイビング』とかさあ、自主制作だけど『Nothing is the matter?』とかさあ。
 20周年の文脈で聴くとまた違った感慨がある曲ですね。背景で延々雪降ってておもしろい。

マーチングバンド
 それでも僕らは息をしよう――『マジックディスク』期のテーマを総括しながらもわかりやすい言葉でかみ砕いた傑作シングル。ベスト以外のアルバム入ってないのがもったいなさすぎる。
 セッション的な流れからじわーっと始まっていくのが壮大なこの曲にぴったりマッチしている気がします。中期(?)アジカンの軌跡、という感覚の曲だなぁ。ラストのコーラスなんて歌ってるのか未だにわかんねぇ。

踵で愛を打ち鳴らせ
 マーチングバンドに続いてハッピーでピースフルなフィーリング(カタカナ多いな……)の流れ。『ランドマーク』の目指すところはここに帰結してるんだろうなと思う。キャリアの中では比較的新しめの曲ですが、お客さんたちがちゃんとノっているところにアジカンのマジックを感じる。

今を生きて
 そのハッピーな流れがここに繋がるんだよな。作曲クレジット四人の曲で感慨深いよね。イェー!の歓声が楽しい。下村さんの八面六臂の活躍も見れるぞ。
 前述のマジディのテーマ、ここにも脈々と流れているように思います。「数十年で消える弱い愛の魔法」だから「今を生きて」噛み締めるしかないんですよね。ライブは一夜の輝き。生命も一瞬の輝き。そこに符合があるから、人々はライブに向かうのだと思います。多分。

E
 オアシスの映画の話からEに繋げるの卑怯ですよほんともう。意図的すぎるセットリストだろう。『リヴ・フォーエヴァー』のソロを難なく弾き倒す喜多さんのギタリストとしての大成っぷりに涙が出ますよ……
 これもまた、『遥か彼方』と同様に自分たちの門出を歌ったものだと思うんですけど、やっぱり今やると全然文脈が違って聴こえますね。20周年を迎えたうえでの「ここから僕のスタート」ですよ。「広がりゆく未来へ」。「できる限り可能な限り遠くまで」。
 音楽文.comに掲載して頂いた文章でも語り倒しましたが、この20年でアジカンの背負うものは随分大きくなって、それが時に重荷にもなったと思うんだけど、それすら背負って歩いていく気概を今のアジカンには感じるんですよ。アジカンという呪いすら飲み込む胆力。この四人が集まると変なパワーが生まれる、それは素敵なことだ、と後藤さんはMCで言っていたけど、それをこの曲の「語り直し」で感じた。

スタンダード
 で、『E』の次にこれ持ってきたのも意図的でしょ? だってこれ、俺たちはこれからも歌い続ける、喩え周りに忘れ去られても、って曲じゃないですか。これから先、アジカンがどんな形態になっても、どんな場所でも、それでも歌い続けるよってことを、『E』のテーマの延長線上で言いたいわけじゃないですか。ハァーーー……そんなん言われたら一生ついていくわ。20周年のライブでそういうことやるのがアジカン……ホント好き……。 

ブラッドサーキュレーター
 それでさ~その流れで「情熱燃やしたあの頃を心血注いで取り戻すんだ」ですよ。これアニメタイアップ曲だけど、やっぱ自己言及的な色彩が強いよね(そもそもかの『リライト』だってタイアップだけど内容はCCCDへの皮肉ですし)。この流れはほんとよく考えられてるなーと思います。

月光
 ライブレポでも言ったけど何度でも言わせてくれ、月光終わりは本当に卑怯。静謐なピアノから始まり、月の光を思わせる照明、轟音で鳴くギターと泣き叫ぶような歌、そして響き渡る音の残滓を残して去っていくメンバー……。救いのない歌なんだけど、それでも切ないまでに美しいね、何回聴いても。
 アー写のロン毛で笑いが起きるとこ何度見ても草生える。

振動覚
 ハイパーソルファ全曲再現タイムの二部スタート。奇しくもこれも自己言及的な歌詞。ヒットアルバムの一曲目で「特別な才能を何一つ持たずとも」って歌ってしまうところもすごい(これは別に凡才という意味ではないとは思いますが)。なんで一曲目にすごい歌詞多いんだアジカンは。

リライト
 このブログでも記事書いたし先日のアシッドマンフェスでも思ったんだけど、我々の世代では殆どの人間が知っているヒットソングで、まあアジカンのライブに来る人で知らない人はいないだろうなってアンセムで、同時に作者の手を最も離れて羽ばたいた曲でもあると思う。それに対しては多分複雑な部分もあったと思うし、それこそ君に伝うわけはないよな~あ~ああ~みたいな心地にもなったと思うんだけど、それもまた音楽みたいな境地に達した感はありませんか。ないか。リライト以外も聴いてくれとか言ってるもんな。
 アジカンファンだと好きって言いにくい雰囲気ある曲だけど、でもやっぱりアジカンの象徴ではありますよ。アジカン特有のコーラスワークもないしブリッジでがらっと曲調変わるところは独特だしPVでは宙に浮いたり水に沈んだりしますけど、それでもなんかこう、曲の魂がアジカンを表現している曲じゃないかなぁ。前述のようなリフ推し曲でもあるし。
 今回の間奏アレンジは新録『ソルファ』同様、ギターがセクシーでエロい感じ。空間系エフェクターっていうんですかね、楽器のことはよくわかんないけど、あの色気と余韻ある響きかっこいいよね。「芽生えてた感情~」のコールアンドレスポンスも武道館だと圧巻。

ループ&ループ
 「『君と僕で絡まって繋ぐ未来』『積み上げる弱い魔法』をうたうこの曲で過去の歴史を振り返るの最高すぎませんか」というライブレポの文面を再度引用させてください。バックに表示される歴代CDジャケットたちがマジで涙腺を直接攻撃してくる。これもまたライブアンセムな曲ですよね。

君の街まで
 この順番に慣れない。冒頭のアルペジオからかつてのアジカンより遥かに基礎体力が向上してしっかりした演奏になってる感がしますよね。今回は全部通して喜多さんがすっごい安定してるなーと思う。ラスサビ前のクラップで会場が一つになる感、それを見ての後藤さんの笑顔、とても素敵です。これも自己言及的な曲なのかなぁ。

マイワールド
 なかなか生で聴く機会のない曲ですが大きい会場が映えますね。この辺の『ソルファ』の曲はかなり自己言及の側面が強い気がします。彼らが「一度だけ最後まで乗れた低く白い波」はどこまで行くんでしょうね。あ、これ『八景』に繋がらないか……? 「白波を分け行く未来」に……

夜の向こう
 この後の不穏な曲たちの片鱗をちょっと感じさせつつも、美メロとラスサビにかけての盛り上がりが映える。この辺の曲はお客さんみんな聞き入ってる感じがして、聴かせることもできるバンドなんやな~という感じ。アルバム曲だしね。

ラストシーン
 照明めっちゃくちゃかっこいい……。ギターの紡ぐ音に合わせて光が走るのむっちゃかっこいい……。ふわふわしていて悪い白昼夢みたいで、不思議な曲ですよね。この曲のコーラスもいいよなあ。アウトセーフマグワイア(懐かしいネタだな……)。

サイレン
 ドラムーーー! 潔さんがむっちゃかっこいい曲です! 音に合わせて投げかけられる光とか赤い照明とかむっちゃかっこいいよな。でもあの映像はなんなんだろうな。いい意味で今のアジカンは作らなさそうな曲なので、今のアジカンで観れるの楽しい。

Re:Re:
 マジで新録のアレンジがライブ定番のアレでクソほどかっこよくて、新録『ソルファ』買った一因となった曲なんですけど、ぶっとい安定感のベースから始まり徐々にバンドのアンサンブルが形成されていく感じかっこいいですよね。この曲のギターも色気があって好き。
 ドキュメンタリー本見たら最後の一音外したって書いてあったけどそうだっけ……(うろ覚え)
 
24時
 後藤さんの「かっこよく歳を取りたい」、つまり菩提樹荘の殺人なんだよな。(ミステリの話を挟まないと死ぬオタク)
 「妙な縁で添う君や僕たち」とはまさしく我々とアジカンのことだと思うんですけど、そう思うとこの縁がよくぞここまで……という気持ちになります。しかしこの歌詞は傑作だなぁ。

真夜中と真昼の夢
 一日目は盛大にトチってたんですけどこの日は大丈夫そうで安心しました。やさしくやわからなギターの音色が美しい。これも「僕」がアジカン、「君」が聴き手となる歌詞ですよね。そう思うとソルファって本当に「歌うこと」の歌が多いんだな。アジカンらしいといえるのか。

海岸通り
 はい! 涙腺崩壊! NAOTOさんのストリングスチームを加えての演奏が抜群に最高。『海岸通り』にストリングスは鬼に金棒ですよ。マジで『Whatever』みたいな壮大な名曲になる。
 ツイッターで「海岸通りの「『陽で朱に染まる……』という歌詞に併せて照明が朱色一色になるんですよ……そして曲が終わると白に変わってメンバーが捌けていくの……エモの意味かよ…………」って言ってたのをそのまま言いたいです。アジカンにはいつもエモの意味を教えられまくっているな。
 細かすぎて伝わらないんですけど、アウトロのストリングスの「テーレ↓レー、テレレーレーレー、テーレ↑レー、テレレーレレーレレー」のこの部分のハーモニーめちゃくちゃめちゃくちゃに好き。

ソラニン
 アンコ一曲目。後藤弾き語りタイム。立つなり座るなりトイレ行くなり帰るなり……
 中津川ソーラー行ってキタケンバージョン聴いたときに思ったんですけど、この曲って曲としての強度が他のアジカン曲に較べても断然強くて、歌詞を誰が書こうがどんな楽器で演奏しようがどんな声で誰が歌おうが、圧倒的な曲の力を発揮できる歌だと思います。そういう強度でいえば『リライト』よりも上に感じるくらい。だから弾き語りでギター一本でもすごい映えるんだよね。さよならを告げる曲なのに切ないだけじゃなくてそこから立ち上がる力強さもある。あと漫画『ソラニン』新装版読んだばっかなので沁み具合もちょっと上がりました。

ワンダーフューチャー
 弾き語り二曲目。武道館一日目、あまりワンダーフューチャー聴き込んでないときに生で聴いてすごい衝撃を受けたんですけど、この曲のもつ寂寥感というか、戻れないところまで来てしまったなぁという感じがひしひしと伝わってきてヤバいです。未来に対する希望ともう戻れない諦観の混じり合った絶妙な心境を表現している不思議な作品だよなぁ。

タイムトラベラー
 キタケンコーナー一曲目。歌めっちゃ巧なってない? あとギターソロが地味に渋くてイカす。
 『シーサイドスリーピング』が喜多さんイメージ、『八景』がアジカンイメージだと考えると、この曲も実は自己言及的というか内輪ネタ(?)というか、自分たちのことを指しているのかな、と思います。この曲、冒頭から「タイムトラベラー」が体験したことが綴られて、その後にそこが作中作というか、「君」が綴る物語であることがわかる二重構造なんですね。「君」は絵空事を綴り、それを語り、願いを託し、それを「僕」が歌う。これ、そのまま後藤さんが歌詞を書いて喜多さんが歌うこの曲自身の構造に重なるなぁ、と思っていて、そういう意味だったらちょっと感慨深いなぁと。

八景
 あの、『八景』大好きなんですけど。二十周年を思わせる歌詞を表題作ではなくカップリングに仕込むこと、そのタイトルを四人が学生時代を過ごした場所から取ること、そしてそういう曲を自分で歌わず他の人に歌わせること、全部後藤正文らしすぎるというかアジカンらしすぎるぞ。
 「誰かの不意なジョークで僕らはまた息を吹き返す」「波のない海じゃなんだか味気ないようなそんな気持ちになるでしょう」本当にアジカンにぴったりのフレーズすぎて様々な歴史が喚起されるし、ときに波立てながらもちゃんと心から音楽に向き合ってきた彼らの軌跡を思うともう……。
 そして20周年ツアーならやっぱこの曲でしょ、ということで、生で聴けた人本当に羨ましいです。コーラスワークとギターのハーモニーが素敵ですよねぇ。テンポの変化も楽しい。

さよならロストジェネレイション
 ストリングスチーム再び。ほんと、ここからの二曲だけで記事書けるやんというくらいラスト二曲が素晴らしいんだよな。
 バックスクリーンのタイポグラフィ演出もかっこいいし、かっこいいだけじゃなくて、この曲は「閉塞した時代で、いつまでも自意識の檻に籠ってる場合じゃねぇ、新しい道を歩もうや」みたいな意味合いがあるので、これからまた新たに歴史を重ねていくアジカンに相応しい曲でもあるんですよね。イントロのあのフレーズを優美にストリングスが奏でる時点でもーーー涙腺!!!

新世紀のラブソング
 は? 神か? 完結編か?
 「始まれ21st」とバンドの21周年目を重ねるの天才の所業か?
 イントロのブレイクビーツでもう空気ががらっと変わるし、音源の逆回転ギターがライブだとあんま再現されなくて結構悲しかったりするんだけどそのフレーズをストリングスがやっててまた全然違う響きになっててすっごいかっこよくて、そうやって厳かに始まった曲に後藤さんの個人的な告解を語るような歌声が乗っかってきて、青春の挫折が語られて、そこから地続きで君や死や世界に話が進んで、それでも世界は続いていくってことが歌われてさあーーー。もうこの曲好きすぎて何も語れねえ。語彙力が幼稚園児だから。
 これ、祝福の歌なんですよね。哀しみに満ちた旧世紀を今からでも過去のことにして、新しい時代を始めようっていう。これが震災の二年前の2009年に出たのは本当に皮肉な話ですが、でも今からだって遅くはないんだよって話ですよね。アジカンはいつでも来たる新世紀に希望を見出してるんだよ。
 ストリングスが入ると、マジでこの世界を祝福しているようで、またはじまる明日を、何度でも生まれ来る新世紀を言祝ぐ歌なんだなっていうのが実感をもって肌に迫る。で、祝福は愛ですよね。祈りは愛ですよね。だからラブソングなんだよね。生まれくるものを祝う歌なんだよな。君の涙は生まれるものの涙。いくらでもクソポエムが書けるぞこの曲。
 あと、トレーラーの時から話題になってた(というか自分が話題にしてしまった……?)話なんですけど、「不確かな想いを愛と呼んだんだ」のところの喜多さんの目許に光るものがあるというアレ。汗なのか涙なのかは本人のみぞ知るところですが(しかしカメラはどう考えても意図的に涙に見せようとはしてると思う)(カメラマンってすげえな)、「ほら君の涙」って歌詞の前にこれ持ってくるのマジですごいっすね。喜多さんもカメラマンの方も持ちすぎだろう。
 この曲をラストに持ってくることを考えたの誰か知りませんけど、偏差値3000000000000億ある。


 以上とても頭の悪い感想で申し訳ございませんでした。MCの話とかも全然してないので、その辺は別の人に聞いてください(丸投げ)。
 映像作品集13巻、絶対に買ってくれよな。自分は予約済みです。  

音楽文.comに投稿してみた

ASIAN KUNG-FU GENERATIONの新譜「荒野を歩け」についての文章です。音楽関連の投稿は雑誌も含め初めてなので、諸々の意味で緊張しております。。。
よかったら目を通してやってください。まさかアジカンについてこういう文章を書く日が来るとは思ってなかった(そもそも再燃すると思ってなかった)。

ongakubun.com

後日追記:月間賞に入賞してしまいました。読んでいただいた方、ありがとうございます。