幻想俯瞰飛行

生存記録を兼ねて長文を書くためのブログ。文章読んだり書いたりします。 

メモ:セカイ系、アジカン、伊藤計劃

今後書きたいと思っている文章について、叩き台が欲しいなと思ったのでメモ。クソ乱雑なので何らかの意味がある記事ではありません。ホワイトボード。
アジカンセカイ系」というテーマ、まぁ昔から雑言及が多いなと思うんだけど、ちょっとここでまとめておきたい気がする。
アンチセカイ系、とまとめてしまうのは簡単なんですけど、私は別にセカイ系が嫌いではないので(もちろんセカイ系に対して批評性のある作品も好きです)、そこで落としたくない、という思いがあります。

1.セカイ系とは

2000年代前半に流行した漫画・アニメ・ライトノベル美少女ゲームといった、いわゆるオタク系文化の諸作品に現れた作品傾向のこと。発端はインターネット上で流布した言説であり、後年になって東浩紀が批評の文脈で取り上げたことにより浸透した。
物語の主人公(「ぼく」)とヒロイン(「きみ」)の二者関係が、一切の具体的(社会的)な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」といった抽象的な大問題(「セカイ」)に直結する作品の物語構造のことを指す。
代表作としては、秋山瑞人イリヤの空、UFOの夏』(2001)高橋しん最終兵器彼女』(2000)新海誠ほしのこえ』(2002)などが挙げられる。
宇野常寛は、これらの「セカイ系」的作品を90年代後半のポスト・「エヴァンゲリオン」の文脈上にあると述べ、2000年代に追いついていないと批判を加えた。

この文章が何かというと、ただの学生時代の提出物の脚注でミリ触れた部分なので、稚拙でも許して下さい!!!
確か名前出てる東や宇野や笠井とかを参照したようなしてないような。
付け加えるとすれば、たぶんネットで出てきた頃はもっと雑な概念というか、若い男女のイチャコラが雑に世界の命運を揺るがすの自意識過剰よねー、みたいな批判の文脈っぽい。

2.ASIAN KUNG-FU GENERATIONセカイ系

セカイ系ゼロ年代は結びつけて語られがちですが、ゼロ年代といえばいわゆる「ロキノン系」「下北系」国内ロックバンドシーンの盛況な時代でした。この辺はクソ雑理解なのでアレですが、
・~90年代洋楽ロックからの影響が色濃い
・ストレートなギターロックを軸とする
・メンバーが着飾らない、Tシャツにスニーカー等ラフな格好、ちょっとナードな雰囲気
・「君と僕」のクローズドな関係性とか内省的な歌詞
みたいな印象を持ってたんじゃないかな。ケトルのゼロ年代特集の号買ってたはずなんで後で読み返します。
時期とテーマ性から、ゼロ年代邦ロックとセカイ系はしばしば重ねて語られます。多分一番槍玉に挙げられるのがBUMPで、アジカンはその次くらいの感覚。BUMPは
・物語調
・「君と僕」の世界
・内省
・オタク好み
あたりで言われてるんかな。たまに「BUMPの作品には社会が想定されてないやん、アジカンはされてるのに」みたいなツッコミする人いるけど、社会が想定されてないっていうより個を大事にしているという感覚を私は受けるので個人的にはあまり否定的に捉えてません。
アジカンセカイ系扱いされる/されていた所以としては、アニメタイアップ等のオタク層への訴求もあるだろうけど、やっぱり「君と僕」の主題を取り上げられてる面が強そう。

一方でゴッチはその辺の文脈とそこに対する反感をかなり色濃く抱いているっぽいことはファンの定説になりつつある。

君繋ファイブエム』というアルバムをリリースしてから随分たったけれども、このところ、このアルバムで掲げた「半径5メートル」について考えている。まあ、当時考えていたことは、例えばインターネットの登場が代表するような情報化社会の中で、それぞれの「半径5メートル」が無茶苦茶になってしまうんではなかろうか、ということだった。ひとまずはその「半径5メートル」をしっかりと知覚したり把握したり整理しないとどうにかなってしまうんじゃないか、っていう危機感を反映させてのタイトルだった。コンフリクトして固まらずに現実と接続するための「半径5メートル」についてのアルバムだとも言える。で、まあ、そうして「半径5メートル」のことをチクチクと歌てみたらば存外にグズグズとモヤモヤの塊みたいな歌ばかりになってしまって、丸ごと焦燥感の膜で包んだようなアルバムに出来上がった。どこか青くて切ない、デビュー時にしかできないだろうフィーリングのアルバムだと思う。結成から1stアルバムまでの、7年もの不遇時代がそうさせたのかもしれない。

 そして、まあ、この「半径5メートル」というキーワードが誤解されて、同時に「君」とか「僕」とかいう二人称が当時のサブカルチャーのブームにひっくるめられて、「セカイ系」みたいな誤読をされて当時は心底気持ちが悪かった。軽く精神が溶解するくらいに今でも嫌なのだけど、俺の曲には「僕ら」っていう主語も出てくるように、「君と僕」というのが文字通りの特定されたオレとオマエ、そういう閉じた関係性を表しているんではなくて、読み手や聴き手に呼びかけるような広い意味での「君」なのだけれども、そこのところを誤読されて、「半径5メートル」の中にはオレとオマエ的な「君と僕」だけ、醸造エタノールの廉価な焼酎を友人と飲む余裕もないくらいに閉じた、オレとオマエと大五郎よりも狭い「セカイ」であるみたいな解釈をされてしまった。「ループ&ループ」のどこがセカイ系なのよと俺は思うのだけれども、「リライト」だって著作権の歌ではないか、と思うのだけれども...。まあ、随分と俺が分かりづらい書き方をしたのかもしれない。

(引用はweb日記から)

骨芋のときの解説。



後藤正文というクリエイターは、基本的に自意識の閉塞を嫌う人だと思っている。「マジックディスク」では、まさに自意識に過剰に拘泥したゼロ年代というディケイドからの脱却を徹底的に追及しているわけだし。
いわゆる「セカイ系」への反感は、彼の詩人としての根源的なテーマからくるものだと私は認識している。まぁ、自分が頑張って作ったものがあらぬ方向に誤読されてたらムカつく、というのはクリエイターの普遍的な感情かもしれんけど。
セカイ系」が侮蔑としてのタームたる所以は、狭い二人の関係性がそのまま大文字のセカイへと拡張される、身も蓋もない言い方をするなら「オタクの自意識過剰キモ!」みたいなところがあるんだと思ってるんだけど、なんでキモいかというとまぁ他の人がいないからなんだろうな。
これはマジでパブリックイメージからくる誤解の大きなところなんだろうけど、アジカンって肯定的でも否定的でも「オタクの俺らと似てる!」みたいな扱いをされてたところがあったと思う。アニメ主題歌でオタクのファンが一定数ついたこととか、見た目とか(ルッキズムをやめろ~~~!!!)、言葉遣いがオタク受けするとか、まぁその辺なんだろうけど。
未だにアジカン好きな人が思い入れを語る時、8割は「見た目が親近感わく、俺たちのような人間でもロックができるという希望を持たせてくれた」みたいな語り口になりがちだと思う。
でもぶっちゃけて言うと後藤正文にオタク性って殆どない。サブカルとオタクのクッソ安易な二項対立には持ち込みたくないけど、少なくともあの人はアニメ漫画ゲームといったオタクカルチャーに親和性は無い気がする。私はこれを説明するときに「ナードではあるがオタクではない」と言ってます。
他のメンバーもだいたい「ナードだけどオタクといえるかは疑問」みたいな立ち位置の人たちで、90年代に青春を過ごしたボンクラUKロックファン的な色は強い。潔はルーツ別だし陽キャみが強いけど、08年?の個人インタだと割かしナードにも親和性があるような感触を受けた。建さんは絵に描いたようはサブカル自意識閉塞青年だった感じ。ハルキスト……。山ちゃんは最近攻殻とかガンダムとか仮面ライダーが好き的な話がよく出てくるので、実は一番オタクでは……? と疑ってます。
でもなんかオタクに勘違いされ、俺たち! みたいな扱いをされ、オタクが嫌いな政治の話をして叩かれ、みたいな流れはあるよね。オタクが政治ネタ嫌いというのもなんかこう、意味がありそうだよね(右傾化しやすい、逆に一周廻って左傾化しやすい、結論として過激化しやすい、みたいなのはあると思うんですけど、アジカンへの反応を見てると正直かなりオタクの政治アレルギーはあると思う。まぁ個人主義だもんね)。

話が逸れたけど、ゴッチのセカイ系解釈が「君と僕の閉じた関係性」なところからして、そういう言い方をされてきたんだろうな、と推測できる。原義(というほど原義があるか?)のセカイ系から、世界変えちゃう系の大仰さとか、あとは細かいオタクギミックを除いた感じの用法。これはゼロ年代邦ロックがそういう目で見られてたってことに繋げて語れるかもしれない。
アジカンのテーマとしての「君と僕の半径五メートルの関係性を社会に敷衍していく」は、実は「君繋」から「ホームタウン」まで変わってない(と思う)。確かに君繋の時点ではフワフワしていてわかりにくいし、どんどん洗練されてはいるけど。なんなら最新シングルの「解放区」だってそういうことじゃんな。自由というお題目の裏で取りこぼされたものを拾いながら、個から社会へと想像を拡げ(ポエトリーのところがまさにこれ)、音楽によって少しずつ解放区を作って拡散してこうね、という感じの。ここ二年ほどの「音楽と自由」のテーマを模索してきた文脈はあるとはいえ、テーマ自体は分解すると普遍的じゃない? という気がする。
ゴッチの言いたいこととしては、「閉塞した君と僕の関係性をそのまま無根拠に(ファンタジーに)セカイに繋げてるんじゃなくて、個から社会への普遍的な影響力の話をしてんねん」という感じだと把握している。元からそういうテーマでやってる人間なので、そら社会の話にも興味が向く。なので、「なんかいきなり政治の話しだしたな」みたいなのは、正直あまり正確な現実認識とはいえないと思う。私も「ワールド~」あたりでちょっとビビった節はあるんですけどね。
で、それって「アンチセカイ系」なのかなあ? というか、その文脈でだけ語っていいのかな? と考えている。
「君と僕」が拡大されていく、というフォーマット自体は、アジカンセカイ系も同じだし、その手法や結論を違えているがゆえにセカイ系に対して批評性を持っていたとしても、アンチって感じ? なのか? という疑問。だって、ゴッチだって「アジカンセカイ系やん」って言われて「は? マジか?」となったってことは、肯定にせよ否定にせよ既存のセカイ系を意識はしてなかったし(そもそも当時オタクカルチャーと無縁だった人が意識はしなさそうだし)、彼ら独自の結論だったわけだと思う。なんかその辺を、こう、上手く語りたいですね。

3.伊藤計劃セカイ系

で、ここまで考えて思い出したのは伊藤計劃だった。
ゴッチが1976年生まれ、伊藤さんが1974年生まれ。伊藤さんが存命なら二歳上で、ほぼ同年代。
セカイ系への距離感と自意識至上主義からの脱却、というあたりにちょっと共通点を感じたりする。あとはナードなボンクラと社会や時代への視座を行き来できること(これマジで好きだしこういうクリエイターばっか好きになる)。
web.archive.org
ファイト・クラブ』評でエヴァをボロクソ言ってたな~と思って探してきたんだけど、まさしく自意識の閉塞への抵抗感と、「外界と『私』との関係性」というワードが出てくる。実質さよロスじゃん(?)
ゴッチがエヴァに言及してたのはこれ
cookiescene.jp
やっぱり自意識の閉塞もうやめん? みたいなニュアンスな感じ。ここでもインタビュアーの言及があるし、別の方も指摘されてることなんですけど、旧劇エヴァはむしろそれを打ちきっとらんか? セカイに繋がらない、人間と人間の関係性の「気持ち悪さ」(にこそ意味があるよね)で終わってないか? という感じはあるのですが、でも伊藤さんの言を見るとそういうことではないんだろうな……

アジカンは「ゼロ年代邦ロックが背負った自意識の閉塞からの脱却」として社会を希求する、という手法だと解釈してるんですけど、伊藤さんはそれをSF的なモチーフでやっている感じ。科学のわからんオタクなのでうまく説明できないのですが、たとえば『ハーモニー』で語られるのは、人間の本質は全然意識じゃない、たまたまなんか必要になったから進化の過程で獲得した機能のひとつであって今後もそうであるとは限らない、じゃあ意識消し飛ばしたら社会はどうなんの?みたいなディストピアSF世界だと把握してるんですけど、その辺もなんか……自意識の限界とか、社会と個の関係性とかで語れそうな気はする。掘り下げないとなんとも言えんけど。メタルギアソリッド2評の「現実は既に仮想現実である」というのもその辺かな。
伊藤さんが一人称視点に拘ってそこにギミック(信頼できない語り手など)をぶっ込んでいることとか、「物語」とそれを遺すことをテーマにしていることとか、後で考えてなんか文章にしたい。メタルギア的に言うとミーム
伊藤さんのセカイ系言及
www.sf-fantasy.com

そうですね。それと、社会全体が悲惨に対して「無関心」になっている、それを可能にしているライフスタイルも含みます。社会状況が先鋭化した針先に、感情調整などのテクノロジーが表象として現出している、ということです。社会そのものが、テクノロジーを経由して、個に投影される、という。
 だから、「虐殺」をセカイ系だという方もいらっしゃたんですけど、それはちょっと待て、違う、流入経路が逆方向だ、と(笑)
 個がセカイに直結しているんじゃなくて、セカイが個に直結している。逆セカイ系なんです。

社会と個の関係性!! これはSF的手法感がある(てきとう)。そしてやっぱり、アンチセカイ系の文脈で語るのも違和感があるなと。アンチをやろうとしてそうなってるという感じもないかな……でも自意識の閉塞テーマの否定をやるならそれはアンチセカイ系になるのかな……浅学すぎてようわからん。

4.あと気になること

・ミステリとゼロ年代(95年問題→「論理で全てが説明できる世界ではない、世界には不条理が必ず存在する」という本格ミステリの敗北→西尾維新とか佐藤友哉とか舞城王太郎とかのゼロ年代メフィスト系というかファウスト系? の流れ→絶対的真実は存在しない的なテーマの本格がいろいろでてくる→今ってどうなんだ)
RADWIMPSって新海作品の主題歌のイメージも強いし君と僕のパワーでなんでもできるぜ! できなきゃ死ぬぜ! みたいな印象強いからセカイ系かなと思うんだけど(HINOMARU問題でも指摘されてた気がする)、なんかそれも雑かな……というところがあり、なんらかの評を読みたい。ゼロ年代邦ロックの流れで出てきた意味がありそうな気がする。でも政治風刺とかもやってたよな……うーん……
・ミステリとRADといえば有栖川有栖『インド倶楽部の謎』なのですが、前世なんて必要ねぇんだよ! テーマの作品で井上陽水『人生が二度あれば』とRADWIMPS前前前世』が対比的に取り上げられるの、なんか書きたいとずっと思ってます。これゼロ年代邦ロックの自意識の閉塞と繋がるのかな~~~でもRADとセカイ系を否定的な文脈で書きたくないな~~~でも有栖川もわりとアンチ自意識の閉塞なとこあるからな~~~~アジカン要素ある? これ……
・別に伊藤計劃の話しなくても語れないかという気持ちになってきたけどアジカン伊藤計劃の話がしたかったところはあるな ゴッチよ……ハヤカワの仕事とかやってたはずだけど虐殺器官とハーモニーは読みましたか……?

自分用まとめ
ゼロ年代における自意識の閉塞(ニアリーイコールセカイ系)もうやめようテーマとしてアジカン伊藤計劃は共通項があるなーと思うし、両者の手法はセカイ系に対する批評性を持ち合わせてはいるけど、アンチセカイ系という言葉では表現できない気がするので掘り下げて考えたい。
過剰にボンクラ面をフィーチャーされてしまったアジカンと、過剰にボンクラ面を軽視されてしまった伊藤さんという対比はなんかおもろい。

ASIAN KUNG-FU GENERATION「ホームタウン」最(じゃないけどそれなりに)速雑感

買いました。聴きました。感想書きます。
楽器や音作りの話は全くわからないんでそういうのは雑誌とか読んでください。歌詞の話が多めです。オタクなので……

Disc.1 ホームタウン

1.クロックワーク

リヴァース・クオモブッチ・ウォーカーとの共作(というか、インタビュー読む限りリヴァースに頼んだらなんかいつの間にかブッチも協力してもらってた、みたいな感じなんですかね)。
街の雑踏の音からギターのアルペジオで静かに始まり、サビで一気に展開する。アジカンの一曲目にしてはスローに広がりを持たせる曲という感じ。最近のアジカンの曲は往々にしてそうなんですが、間奏・アウトロのギターがエモーショナルで非常に良い。この辺までくると確かにウィーザーっぽいなあと思うんだけど、アジカン色にもなっていると思う。
歌詞はタイトル通りシンプルな時計モチーフで一貫させているんだけど、アルバム通してのテーマ性(私はおそらく「歩みを緩めること」だと思ってます)の宣言にもなっていて良い。
アウトロ、エモいギターで終わるのではなく、ゴッチの述懐のような「忘れられないよね」で終わるのがアジカン~!という感じでいいですね……

2.ホームタウン

本アルバムのリードタイトルにして白眉。アジカン一番の持ち味ともいえる「サーフ ブンガク カマクラ」的なカラッとしたパワーポップ
やっぱりアジカンの強みはキャッチーなギターリフとシンプルなメロディだと思うので、ここ最近でも指折りの名曲と言えるのではないでしょうか。こういう曲にタイアップ持ってこれないんですかね……
ツイッターやインタビューでゴッチが口癖のように繰り返していた低音の話に「お、おう……」って感じになる自分のような耳の悪いリスナーでも、明らかにこれまでと違うように聴こえるスネアの「パァン!」という軽快さと重みを持ち合わせた音。確かに楽器と楽器の分離がいいというのか、ちゃんとくっきりそれぞれの楽器が何の音を鳴らしているのかはっきりわかる。低音をきっちり作ると上のギターがきっちり聴こえるってことなのかな。よくわからんけど。
歌詞はRCサクセション「雨あがりの夜空に」の本歌取りっぽいことをやりつつ、アジカンにしてはあっさりと言っていいほどストレートなメッセージソングに仕上がっている。サビの「俯いていては将来なんて見えない」は定型句に見えるけれども、冒頭の「ナッシング 実は何にもない」からの連に象徴される「喪失と獲得の両義性」というアジカンの一貫したテーマ(「ボーイズ&ガールズ」もこれで、恐らく意図的に繋げてますね)の文脈の上に乗せることによって、重さの全く違う言葉になっているのが面白い。でもこの歌詞のパンチラインはどう考えても「『こんなことして何のためになるんだ』 そんな問いで埋め尽くされてたまるかよ」でしょう。強い。
サボテンするときにわざわざ丁寧に靴を脱いでるMVが面白いことも含め好きです。

3. レインボーフラッグ

いい感じに泥臭いイントロから始まり、こういう感じの曲にアジカン節乗せていくのかな~と思い聴いていると「いつだって悲しくなって~」からガラッと曲調が変化してオッとなる。ここの歌い方、コーラスの重ね方がまた肩の力が入りすぎていなくて良い感じ。あとこの曲調でこの歌詞というのがアジカンらしくて良い。ラストは展開を戻しつつも余韻を残して終わる。
歌詞に関してはLGBTの象徴であるレインボーフラッグを題名に冠する通り、多様性を許容する自由を求める人々へのエールなのかと思うんだけど、もうちょっとレンジを広くとった歌詞のほうが個人的には好きだな、と思った(象徴として使っているだけで、LGBTの人々だけに向けた曲ではないと思うんですが、歌詞の広がりや読みの余地がもっとあったほうが好みだなという意味で)。万人に刺さる可能性があるテーマだけに。
あともうちょっとうまいこと言ってくれたほうが楽しいかなという個人的な欲望。やっぱりアジカンにおけるゴッチの比喩やワードチョイスが好きという面はでかいので。歌詞に「七色のアーチと自由なフラッグを掲げよう」とまで出しているので、自分ならタイトルはレインボーフラッグにしないかなぁ……。
リンドウの花言葉ネタを持ってくるの本当にオタクに刺さる

4.サーカス

ローファイな……と言うのかな? ゆるい感じのビートはGotchソロ色かなとも思うんだけど、特にサビのメロのくっきりした感じははっきりアジカン色という印象を受けた。曲として好きかと言われると微妙なところだけど、「愛なき日々のハーフタイムショウ」の部分がメロといい歌詞といい(この言い回しのセンス好き)すごく良い。
「滑舌の悪い~」のところ、前情報として雑誌で読んだときは「ウーーーン!!!」って感じで、実際に曲として通して聴いてみても「ウーーーーーーン!!!」って感じでした、正直に言うと……。
思想どうこうとか、風刺的な歌詞がイヤとかそういうわけではなく(はっきり言って積極的に好きにもなりませんが)、皮肉というのはピンポイントでクリティカルヒットさせないと意味がないしダサいと思ってるので、正直ここは「もっとダメージ入れる言い方があるのでは!?」と。別にダメージ入れようとして言ってないとは思うけど、だって滑舌の悪いのが問題だと思ってるわけじゃなくない……?それは表層的なdisすぎない……?もっと根本的な問題を抉り出すような物言いがゴッチなら出来るんじゃない……?いや知らんけど……私の意見じゃないので……。
ただ、音楽と人のインタビュー読む限り、これってゴッチ自身のことにもかかってるダブルミーニングっぽいんですよね(気付かなかった……「ゆーて君も滑舌悪ない!?」って普通に思ってた……まぁ意識するよねゴッチなら)。プロテストソングがやりたいわけじゃないみたいなことも(聴き手に考える余地を与えたかったのかな)。1980で「出鱈目 プライム・ミニスター」をdisりながら「猿真似 フェイク・ロックスター」と自虐もする、みたいなバランス感覚は好ましいし(この歌詞も別に好きじゃないけど)、そういう「俺自身はどうなんだ」みたいな問いを常に内包させる意識はずっとあって欲しいんだけど、それはそれとして滑舌の悪いって表現を使うのは個人的に好きじゃないかな、と思います。対象と自分を同時に刺す高度なテクニックとしてはぴったりの表現なんですけどね。そもそもそこを槍玉に挙げるのはポリティカリーインコレクトじゃないかなとも思うし、あとは仮想敵よりもその背後にある構造そのものを刺してほしいなというのもある。
アジカンにおける風刺の完成系は「それでは、また明日」だと思っていて、この曲は震災という背景を代入してもしなくてもちゃんとテーマがはっきり浮かび上がってくる読みの強度もあるし、何よりCメロの「緩慢な輪になって 単純なことになって 賛成か 反対か それは何やってるの?」のくだりに妥協が無いというか、いずれか一方に与して他方を叩きのめすのではない、陣営ゲームに甘んじない強さがあると思うんですよ。聴いた人全員、この社会に属する全員がハッと我が身を振り返って身を正すような、そういう一方的ではない風刺こそが理想と自分は勝手に思ってます。で、「それでは、また明日」がメチャクチャメチャクチャ好きすぎてハードルが上がってしまうんですよね……。だからアジカンの風刺系にはちょっと辛辣な感想を持ちがち。「惑星」とか「祝日」も実は歌詞がそこまで好きではない……。
基本的に後藤正文の歌詞についてはサイコー!!!300万点!!!みたいなスタンスなんですけど、こういうあたりのバランス感覚は課題かなと偉そうなことを思ってます。やっぱり「何度でもオールライトと歌え」で述べられていた二項対立の先の理想を信じたいので。
アフィブログとかに捕捉されたくないしギャーギャー騒ぎ立てられたくもないのでフワフワした言及で失礼しました……あの辺の輩は早々に滅びてくれ……。文句長すぎ

5.荒野を歩け

音楽文でいろいろ書いたので割愛。
「アジカンという呪い」を超えて – ASIAN KUNG-FU GENERATION『荒野を歩け』が拓いた地平 (柴山ヒロタカ) – 2017年5月・月間賞入賞 | 音楽文 powered by rockinon.com
アルバムの流れで聴くといい感じのゆるさがマッチしていていいですね。荒野が軸のアルバムって感じする。
音楽文では書かなかったけど、なんだかんだ言って「夜は短し~」を読み込んで作ったんだろうなってところが好きです。主題歌制作うま太郎か?

6.UCLA

スロウテンポな入り方に女声パートがあったりしつつもじわじわサビへ向けて熱を上げていき爆発するタイプの曲(今回結構これ系ですよね)。
「呼び声が君に届くように 出会うべき人と出会うように」でリズムパターンが変わって開放的にギターが鳴るの本当に気持ちいい! しかもここ、歌詞も最高なんですよ。現状を「君はまだ雨宿り」と置きながらも「君に届く」ときがくる、としているのは、前述の「歩みを緩めること」まさしくそのものだよね。Aメロの描写とか「わたしはわたしを抱きしめたいだけ」というパンチラインがここで生きるんだよな~!
テーマ的にも曲的にもなんとなくランドマーク期の好きな曲を思い出しました。バイシクルレース大洋航路あたりの……
Talking Rockで歌詞が「迷子犬と雨のビート」の引用だと触れられていて、読んでみると確かにな~と思った。迷子犬も「いつか君と出会おう」なんですよね。

7.モータープール

てっきりこれがリヴァース曲なのかと思うくらいにのっけからウィーザーリスペクトって感じだし、サビのギターフレーズとボーカル&コーラスの乗っかり方とか本当にめちゃくちゃ好きですね。パワーポップアジカン流に消化・昇華するとこうなるよ、という好例というか。ちょっと翳りのある歌詞だけど(好き)、言葉の乗っかり方もこのアルバムトップクラスに気持ちいい!
「鼻歌 歌った 好きな曲じゃないのに」とかサラッと出てくるところが本当にゴッチ作詞ぢからメチャクチャレベルアップしてるな~!と思う(言い方がえらそう)。
三分半程度でちょっと物足りないと思うくらいで終わるのも憎い。特異なことをしていなくても強いというかなんというか、そういうアジカンらしさという面でもこれをリードにしてもいいくらいに思うんだけど、なんでシングルならんのかな~あっゴッチが「ボーイズ&ガールズ」ゴリ押ししたからだ……(察し)。

8.ダンシングガール

こっちが二つ目のリヴァース曲。不穏なイントロ~Aメロからポップなサビに開けると「なるほど……ウィーザー……」となりますね。でもこれも結構アジカンナイズされているよな……と思うと謎のハードな間奏が始まってンンッwwwとなる(ゴッチが「笑っちゃうやつ」って言いそうなやつ……)。でもこの間奏から「あの娘が笑ったんだ」でラスサビの流れがすごくかっこいいんですよー!!!サビのコーラスも好き!
これも音から歌詞起こしてると思うんですけど、言葉の流れが気持ちいい歌詞ですね。「闇も夢も連れ出して」は後藤節だな~!好き!
「辿れば疲れる言葉たちを~」のところが「歩みを緩める」テーマかな、と思う。

9.さようならソルジャー

これめちゃくちゃいい……イントロAメロBメロサビで結構曲調がコロコロ変わりつつもサビでちゃんと回収して着地してくれる感が頼もしい……。
歌詞の中にオールライトを据えるだけあってここまでの流れとか結構盛り込まれてるのかなーなどと思いました。歌詞に「時計塔」が出てきて「クロックワーク」に戻る感じもそれっぽい。「南の島へと辿り着くまで」の後からオリエンタルというかアジアンというかな曲調になるやつは笑うが……。
これ、タイトルからして「ああ、そういう歌なのかな」とも思うし、Talking Rockかなんかのインタビューで南北朝鮮のイメージって語られてたので思いっきりそういう文脈を意図して書かれたとは思うんですけど(「境界線の向こう」だしね)、私は勝手に(広義の)ラブソングと解釈してるし、もっと言うなら「アジカンと我々=リスナー」のラブソングとして超勝手に受け取ってしまっています。「これからは君が会いに来て」「僕たちはまだオールライト」「遂に君と出会った もう 離れないでよ」なんだよな~~~!
いやもう完全なる勘違い読解なんですけど、ゴッチもその辺は受け手の自由だと思ってくれるだろう……。意図通りの意味でも(広義の)ラブソングだとは思うし、好きなのですが。

10.ボーイズ&ガールズ

歌詞、優勝!!!!!!!!100億点!!!!!!!!!!!
「生者のマーチ」からの流れであり、源流を辿れば「マジックディスク」各曲、いやもっと遡って「タイトロープ」にも行けるしいっそ「遥か彼方」でもある(あとソロだけど「Can't Be Forever Young」も)アジカンというバンド、そして後藤正文という詩人の根源的テーマである「喪失と獲得の両義性」の最も優れた形での表出ではないかと思います。このテーマとアジカンについてはそれだけで記事一個分語れるしいつか語りたいところなんですけど、その辺の流れが全て「はじまったばかり We've got nothing」にすべて集約されているの、満を持してという感じですね!
冒頭の連からもう本当に歌詞が完璧すぎて歌詞が完璧しか言うことがないな……。
「ホームタウン」で「ナッシング 実は何にもない それに先立って夢も希望もない」で、「ボーイズ&ガールズ」で「教えてよ そっと 夢と希望 まだはじまったばかり We've got nothing」に着地するの本当に完璧すぎるんですよね。何もないからこそここから始まる。このナラティブの読み変えというか、ドミナント・ストーリーからオルタナティブ・ストーリーへの転換というか、その辺はソロの「Lost」でちょっと触れられてる部分なんですけど、それをアジカンとしての形でアップデートしてきたのがこのアルバムでの流れなのかなと思います。さらに「ここからが始まり」っていうニュアンスが強くなってますね。
曲構成は特殊だしテンポのいい曲ではないけど特徴的なフレーズの繰り返しがあるので、訴求力自体は強い曲なんじゃないかなぁ。主題歌っぽい。何らかの主題歌にして欲しかった……。
総じてリードギターのエモいアルバムがリードギターがエモく終わるところもいいですね。ラストナンバーらしいラストナンバーに落ち着いた曲。

Disc2. Can't Sleep EP

1.スリープ

フィーダーのグラント・ニコラスとの共作。昨年のスプリットツアーで曲自体は聴いていて、「おお……めちゃくちゃフィーダーだな……」と頭の悪い感想を抱いた記憶があるのですが、Aメロ・Bメロのコード進行やメロディの上下は確かにフィーダーっぽい(クソにわかの偏見)し、サビもアジカンっぽくはないなとは思うんだけど、なんかアジカンなんですよね……Cメロがそれっぽいからかな……でもCメロもアジカンらしさではない気はするんだよな……曲構成に自信ニキの解説を求む。
コーラスの重ね方もアジカンっぽいようなUKっぽいようなという感じに思える。
これもとにかく歌詞がムチャクチャいいんですけど、こういうおっさんバンドがAメロのこういう歌詞歌ってんのそれだけで感極まるな、「破れたシャツ ズタズタのプライド 引きずって もう」「干からびてカラカラの才能 携えて もう」とか本当にヤバいですよ。
それで「『繋がっていたいよ』古びた破片が光った」でしょ……。これは「未来の破片」のセルフパロディなんですけど、「繋がっていたいよ」って初期アジカンの根本のテーマのひとつで、それがパブリックイメージと強く結びつきすぎたり、テーマとしてもそこが強くなりすぎて自家撞着になったりしていたところがあって(「君」と「僕」の結びつきだけを見られてセカイ系と誤解されたように)(でもどうやったらアジカンの歌詞からセカイ系を感じ取れるのか未だによくわかんないな)、それゆえに「マジックディスク」の「イエス」ではそこがぶった切られたんですよね。

「『繋いで』それだけを頼りに意気込んだ彼らの 屍 掻き集めるなら新しい何かを」
「『繋いで』いるような素振りに掴まって浮かんでも 死ぬまで細胞は個の壁を乗り越えないだろう」

バンドのキャリアとしても時代としても、「繋いでいたいよ」と無邪気に歌っていられる時期はとっくに逸していただろうし、言語表現やってる人間はどこかしらでディスコミュニケーションという課題にブチ当たるものだと思うので、作家としては至極当然な帰結だと思います。それにしても自分たちが過去歌っていた希望を真っ向から斬り捨てるこのフレーズは衝撃的だし、もう完全にアジカンという存在を殺しにかかっていて、その勢いはメチャクチャ好きだけどそれはそれとして悲しいよなぁ、みたいな思いはあって。「マジックディスク」って全体的に「このご時世になってロックが自意識にばっかかかずらってる場合じゃねぇ!」みたいな勢いがあるじゃないですか、その勢いは強いし正しいけど同時にものすごく自滅的だなとも思ってしまうんですよ。事実、相関性があるかはともかく、この後のツアーでアレがアレしてアア~ッてなって震災前は解散寸前だったわけだし……。
そういう「マジックディスク」への「めっちゃ好きだけどめっちゃつらい」みたいな思いが、「スリープ」のここでちょっと成仏したんですよね……。
「未来の破片」の「繋いでいたいよ」は時を経て「イエス」で棄却されて、その先を模索してたけど(「Easter」は「イエス」で殺したアジカンを「復活」させる曲説もあったね)、ここにきてそれでもその時の想いは「古びた破片」だけど「光っ」ているものなんだな、って……。無駄ではなかったんだな、って……。過去の自分への赦しでもある。
「新時代の胎動 古びた破片が光った 繋がっていたいよ」で終わるんですよこの曲は。「繋がっていたい」というテーゼは古びてはいるけど、輝きを失ってはいないし、新たな時代をゆくアジカンの中にもちゃんと存在しているものなんですよ。あ~~~エモ~~~~~い。。。
あとCメロももしかして引用なのかな。「何もできずに毛布をかぶったり」は「桜草」、「燃え尽きるまで」は「ロケットNo.4」、「弱く光ったり」は「路地裏のうさぎ」を思い出したんですけど、深読みしすぎですかね……。
曲300点歌詞5万点偏差値3億みたいな曲(インフレ)。

2.廃墟の記憶

ストレイテナーホリエアツシ曲。JAPANインタで「ホリエの曲だけはどう聴いてもホリエだわ」みたいに言われてたの笑ったけどまあホリエ節でしたよね……
メロディの記名性も強いし、リズム的にもアジカンによくある感じではないし、何よりホリエも歌ってるしな……
「照準を背中に~」のところとかもアジカンらしくなくて新鮮で楽しい。
てっきり歌詞も共作なのかなと思ってたんですけど、なんとゴッチがホリエっぽい言葉遣いを意識して全部書いてるっぽくてヒエ~ッ文体模写うま太郎~!?と思いました。ワードチョイスもだし、「書類の改竄に~」「手向けられた~」のとこの皮肉っぽさもいい感じにホリエ節とゴッチ節が混じってて好きです。
テナーファン的には「君は残って ここに残って後を担うのか」「長いばかりで中身のない話をしながら」あたりでニヤッとなるのもいいですね。私はファンだけどすごい聴きこんでいるわけではないので、テナーガチ勢の人が探せばもっと元ネタ沢山ありそうな気がします。誰かよろしく!!!

3.イエロー

全山ちゃんファンが死んだやつ(ライブ楽しみですね……)。
山ちゃんって実はゴッチよりも「世間で言うアジカンらしいアジカン」的なフレーズ・曲構成を作るのが巧いんじゃなかろうかと思っているんですけど、これのイントロとかもあ~めっちゃみんな好きそうなやつ~!ってなる感じが山ちゃんだな~と思いました。ただ自分としては「アジカンらしさを度外視して120点のいい曲を作れる」のがゴッチ、「アジカンらしさを巧く具現化しつつ平均点は超えてきてくれる」のが山ちゃん、というイメージがあって、「イエロー」もそういう感じ。そういう意味でこの二人の共作が一番のヒットへの道だと勝手に思ってるんですけどどうなんすかね……。
シリアスなイントロからヴォコーダー通した無機質なボーカル(山ちゃんです)が不穏なAメロ、サビはポップに開けるけど二回目の「誰も知らないまま」でコード進行変わる?っぽいとことかは山ちゃん節かな~と思った。なんかそういういい感じのテクニック使ってくるのはアジカンきっての理論派の山ちゃんかなと思っているので……(偏見)
歌詞は完全に皮肉とか風刺に振ってる感じ。テーマは割と明確で、悪くないけど好きでも嫌いでもないかな……。「闇雲な愛から浮き上がった悪夢」「君らしさの果て」とかの要所要所のワードチョイスは好きなんですよね。イエローは肌の色のことなのかな。

4.はじまりの季節

THE CHARM PARK兄貴、bioに「ゴッチさんじゃないです」って書いてるのムチャクチャ笑うんだよな
インタビュー等でゴッチも似たようなこと言ってるけど、理屈で「アジカンらしさ」を詰めて曲にしてて、これ嫌いなアジカンファンいねえだろうなって感じになってて本当にすごい。バークリー卒の圧倒的”パワー”。明るい曲だけど翳りがあるとことか本当にそれっぽい~! アウトロもWonder Future期の大団円アウトロって感じがして美しい。
題は「終わりの季節」からなんだっけ……その辺履修不足なので識者の感想を待ちますが……。
この後の「生者のマーチ」に続くような「生と身体」みたいなテーマ性を孕みつつ(どちらも「輪郭」という言葉使ってますね)、「もう余命だって何十年とはないから」という今のゴッチにしか書けないよなーという部分もあり。死と終わりを見据えた上での生、失うことがあるからこその得るもの、まさしく「喪失と獲得の両義性」に繋がるテーマ性はすごくいいし、ていうかこのテーマでアルバム一枚作ってくれよって「生者のマーチ」からずっと思ってたんですけどもうワンチャンないんですかね……。今の年齢ならめちゃくちゃいいもの出来ると思うんだけどな。

5.生者のマーチ

発売当初に「神!?!?!?!?!?!??!?!?!」みたいなこと喚きすぎて、あまりにも好きすぎて、マジでこの路線のアルバムが欲しかったみたいな思いを未だに喚起してしまうレベルに好きだし、好きすぎて何回も聴けない(泣くので)。
的確に使うべき個所にだけ比喩を配置して、限界まで言葉を削ぎ落とし、サビではいい意味でアジカンらしくないドストレートな言葉を乗せ、アウトロでは詞より饒舌なギターに語らせる、もう何もかもが最高。これは本当に今のアジカンにしか作れない曲(そして今の建さんにしか演奏できないギター!!!)。
喪失を前提に置くからこそ尊く愛おしく立ちのぼるわれわれの生を、ここまでみずみずしく描いた歌詞があったでしょうか。
このテーマはここが最高峰だと思ったけど、この後に「ボーイズ&ガールズ」が出てきたので本当にゴッチは無敵だなと思いました。

総評

めっちゃ良かった。減点20加点2189461294812794128478197みたいな感じだった。
単なる「サーフブンガクカマクラ的パワーポップ回帰」で語られたらもったいないと思う。自分のよくわからないサウンドメイキング的な進化を除いても、(特にギターが)やっぱ今のアジカンですよね、という感じなので。サーフブンガクは二枚いらないし、ホームタウンはサーフブンガクの二枚目ではないし、サーフブンガク完全版の話がどうなったのかそろそろ教えて欲しい。
ホームタウンのほうは「歩みを緩めること」がテーマなのでは、と書いてきたので、それに関してちょっと付け加え。メディアを通じた情報の速度がとにかく速くなり、身近な人間関係から世界での出来事全部ノータイムで懐に入ってそのまま出ていくようなファストな世の中で、別にそこについていかなくてもいいんじゃないか、自分の速さで歩いていても割と大丈夫だよ、と言ってくれる感じのアルバムなのではないかと思う。それはかつて自分たちも時流に乗って周りに負けじとガツガツ戦ってたアジカンが歳を重ねて自分たちを肯定できるようになってきたからこそのテーマでもあるし、世代問わず響くテーマになりえるんじゃないかな。
アジカンのそういうリアルタイムで感じたことをテーマにしてくれるのに軸はブレてないところ、本当に愛せますね。好きです。
サーカスのことも愛せよ

アジカン聖地巡礼部 ソラニンMV編

 前の記事で書くって言っときながら忘れてました。GWなので……。

 前記事での行程を13時までに完遂できたので、帰路で東横線を使うのもあり、午後は「ソラニン」MV聖地巡礼に時間を充てることにしました。
 一応MVのスクショを撮り、先人の方々の聖地巡礼ブログやSNS書き込みなどを参考にしつつ回ったのですが、こちらに関しては完全に無策でした。反省点……

 八景から京急で横浜まで、そこから東横線に乗り換えて大倉山へ。菊名から各停に乗り換えるのを忘れずに(忘れた)。
 大倉山駅に着いたら、改札を出て右手に曲がり、坂を上ります。坂きっっっつ。

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 坂の上からのアングルで撮るとMVで山田さんがいた場所になります。

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 さすがに8年経ってるのでだいぶ様変わりしてますが、柵と標識、そして横を通る東横線は面影がありますね。

 楽々一か所回収できてしまったので調子に乗り、電車を使わずに全部徒歩で回ろうと思い立ってしまったのですが、判断ミスでした。土地勘がないのにここから北へ太尾見晴らしの丘公園を目指してしまったんですけど、土地勘がなさすぎて普通にキツかった。
 ゆず「夏色」の「この長い長い下り坂を……」という歌詞は有名ですね。我らがアジカンの「君という花」にも「丘の上から見える街」という歌詞があります。関東平野の中でも坂の少ない埼玉に住んでいる人間からすると、地元で丘の上から街を見る機会はそうそうないです。何が言いたいかというと、横浜はむちゃくちゃ坂が多いヤバイTシャツ屋さんが横浜出身バンドだったら多分「横浜むちゃくちゃ坂多い」みたいな曲作ってると思う。
 大倉山近辺も、山と名がつくだけあり、アップダウンが激しく、たいりょくゲージがガリガリと削れていきました。しかも暑い。見晴らしの丘公園に着くまでペットボトル二本消費した。
 私はアホなので大倉山公園を突っ切って行きましたが、たぶんもっといいルートがあるんじゃないかなと思います。
 公園を出て坂を下り、ひたすら歩きまくると見晴らしの丘公園に辿り着くわけですが、入り口がわかんなさすぎて周囲をぐるぐる歩くハメになりました。こんなときにシャッフルでループ&ループ流すな。めっちゃ住宅街のマンションの最中の坂みたいなところを上ってようやく辿り着いた記憶がある。
 割と普通の公園でしたが、高台にあるだけあって眺めはめっちゃ良かったです。来るまでがキツイのもあるのか、GWにしては人も少なく、穴場感。
 案内図をもとに眺めの広場なる場所に向かう。

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 おーいいですね。鶴見川が良く見える。川崎とかのほうまで見えるっぽい。
 これはMVで喜多さんが煙草ふかしてたところ。

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 ここもだいぶ景色変わってますねー。山田さんのシーンに続いて難易度低めの場所(辿り着くまでがめんどくさいが)。歩いてるシーンも公園内らしいんですけど、それっぽい場所が見つからず。探し方が悪いのか景色が変わりすぎているのかはわかりません。

 見晴らしの丘公園を出て、鶴見川沿いに新羽橋を目指します。
 橋自体は割と簡単に見つかりますが、アングルどこから撮ったのかわかりにくいショットだったのでかなり迷いました。当時と建物がかなり変わってるのが痛い。感覚で受け取ってください。

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 伊地知さんポイント。方向はたぶんこっちで合ってると思う。

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 後藤さんのシーンと最後の四人のシーンは土手に降りたところ。それっぽい絵面が撮れまくるのでかなり楽しい地点です。

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 この写真だと近すぎるのでもっと下がって撮ったほうがよかった。

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 反対を向いて撮ると後姿のシーンに。

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 ここすき

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 自転車に乗った種田的な人と後藤さんがすれ違うあの名カットも

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 こんな感じに。

 これで聖地巡礼ほぼ完遂。そのまま新羽駅(にっぱって読むんだ……)から帰りました。当初は大倉山まで戻って東横線で帰るつもりだったんですが、脚が限界でした。距離的にも経路的にも後藤伊地知→喜多→山田ルートが一番良さそう。徒歩だと割と気合いが必要とも思うので、私のように午前歩き回ってから来る場合は素直に電車使ったほうがいい気がしました。電車は便利。電車最高。
 あと当たり前ですが歩きやすい服装のほうがいいです。スニーカーで来るべきでした。黄色の服で公園に来るのはよくない。虫が寄ってくるので……(デカい蜂がいて怖かった)。 
 君という花のロケ地のようにgoogleマップ使えば割と簡単に行けるかつわかりやすい建造物が目印になってくれる場所はやりやすいんですけど、ソラニンはちょっと難易度高い気がしました。ロケ地記事あげてくれてる皆さまがいなければ死んでいた。youtubeのスクショは画質悪い+スマホ画面は明るい場所だと見えにくいで参考にならなさがすごかった。


 次行くとしたら
ムスタングロケ地(駒沢公園
・マーチングバンドロケ地(大島小松川公園
ローリングストーンロケ地(南千住の喫茶店)
 あたりですかね。ムスタングは割といけそうなんだけどモチベ上がんねえな……。ローリングストーンの喫茶店は適当にググったら出てきたんで誰か連行して行こうかなと思ってます。ロケ地の喫茶店っていいよね。火村英生の推理とか相棒で使われてた大森の珈琲亭ルアンはまた行きたいっす。

アジカン聖地巡礼部 シーサイドスリーピング編


オタクはなぜ聖地巡礼をするのでしょうか。

 というかオタクに限らず、ドラマやバラエティのロケ地巡りとかもあるわけで、なんか知りませんけど人間には「あの作品の舞台となった場所/好きなものに関わる場所に行ってみたい」という欲求が存在するようです。宇野常寛が「拡張現実的想像力がなんたら」みたいな話をしていた気がしますが、己の立つ現実を想像力で塗り替えるような力があるのかな、とは思います。
 でもまあ聖地巡礼の動機は人それぞれで、アングルがぴったり合致する写真撮って悦に浸りたいとか、推しと同じ場所に立ってキャーキャー言いたいとか、単純に絵面が好きだから生で見てみたいとか、いろいろあるんじゃないでしょうか。
 でも私には一つ言えることがある。なぜ聖地巡礼をするのか。そこに聖地があるからだ。


 というわけで、アジカン関連の聖地巡りの話をしようと思います。このブログ、本来なら硬派な話題オンリーにしたかったんだけど、書いてる人間がいかんせん軟派すぎるので年々軟派になってますね。硬軟取り揃えた楽しいブログにしていきたいです(適当)。


 ゴールデンウィークだ! しかも所用で前日横浜泊まりだ! 今日はフリーだ! 聖地巡礼の機運だ!
 今回訪れたのは、アジカンの隠れた名曲「シーサイドスリーピング」の舞台となったと思われる金沢八景周辺。シーサイド~といえば喜多建介ファンの聖歌(ほんまか?)である喜多ヴォーカル曲であり、軽快なリフとありえん喜多みの強い歌詞(いや作詞は後藤さんだけどむっちゃ喜多さんソングじゃん……)が一部のファンに爆発的人気を博している名曲です。

 アジカンの歌詞には地名の固有名詞があまりないことは割と皆さん気付いていらっしゃると思いますが(サーフ~は例外として)、シーサイド~の歌詞にも具体的な地名は出てきません。ですが、金沢八景近隣の光景であること(インタでおっしゃってたと聞き及びましたが一次資料にあたってないので適当です……)、そこから歌詞中の「モノレール」(シーサイドライン)「賑やかな遊園地」(八景島シーパラダイス)から明らかにシーサイドライン沿線であることがわかります。
 で、このあたりで「運河沿いの公園」といったらまず野島公園でしょう。シーパラも望めるし。
 「シーサイドスリーピングの舞台野島公園説」はあまり見ないし、聖地巡礼している人ももしかしていないかな? という感じ(先人の方がいらっしゃったら申し訳ない、是非お写真見せてください……)。ロケ地だけでなく作品の舞台を訪れるのも大好きなもので、ここは行きたいな八景も近いし、と思い、足を運ぶことにしました。GWだしね。


 10時に出発、京急某駅から金沢八景へ。
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 アジカン結成の場所、関東学院大学の最寄り駅であり、アジカンファンの聖地。二十周年を祝ったファンならやはりここでアニバーサリーな歌詞の「八景」を聴きたい。彼らの歩みをエモエモに描いた八景の歌詞最高。そういえばこれも喜多ヴォーカル曲ですね。
 金沢八景駅シーサイドラインの延伸工事をやってる最中なので、90年代後半そのままの景色を味わうことはできませんが、聖地巡礼をやるファンなら真っ先に寄っておきたいところですね。
 駅前の交差点を渡り、シーサイドライン乗り口へ。ここと京急が繋がるなら便利っちゃ便利だけど、工事いつ終わるんだろーなー。
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 シーサイドライン金沢八景駅からの眺め。すでに良さみが深い。海のある県はいいな……


 最寄駅である野島公園駅までは一駅で着きます。歌詞に出てくる「運河」、野島運河を渡り公園のほうへ。暑い上にGWだけあって人が多い。
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 写真が下手すぎて設定弄ったら真っ白になってしまった。


 歌詞の話に戻ります。
「運河沿いの公園で煙草ふかして」の一節から野島公園ではないかとわかったわけですが、それでは具体的にこの曲の主人公はどこにいたのでしょうか。
 作詞の際にロケハンしてるかはわからない、というか多分してない(後藤さんの八景の思い出で書いたんじゃないかなあ)と思うんですが、あくまで受け手のイメージとして「この辺かな~」と妄想するために、それっぽい場所を探してみることにします。折角なので。


 まずひとつめのヒントは「賑やかな遊園地では人々が鈴生りになって笑う」。この短文で「日曜日の平和な昼間」を演出してみせる技巧が光りますが、着目すべきは「この主人公は、遊園地(シーパラ)が見える場所にいる」と解釈可能、ということです。もちろん断言はできませんが、歌詞の光景を想像したとき、ぼんやり遊園地を眺めながらビール飲んで煙草喫ってる主人公が思い浮かぶので、聖地巡礼勢としては採用していきたいところ。
 海越しにシーパラが見えるのは野島公園の北東の部分。公園の中央だとおそらく木々が邪魔して見えないので、端っこの海沿いの場所になるのではないでしょうか。
 とあたりをつけ、その辺で見えそうな場所を探してみます。
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 ありますねー!
 時節柄家族連れが多く、海岸では潮干狩りをする人々がたくさん。ピクニックに来ている人も多い。そんな中オタクは独りでオタク聖地巡礼をしているわけですが……。
 シーパラも見えますし、ここでも良さそうとは思います。

 ですが、もうひとつ思い当たる場所があり。
 それは野島山の上の展望台です。
 野島公園からシーパラを見てもさすがにそこにいる人は見えないので、歌詞で描かれる光景はあくまでイメージであり比喩ですが、それでも「鈴生りになって笑う」人々を眺めるのは、見晴らしのいい場所でも良さそうだな……という感じがします。展望台から見ている可能性もワンチャンあるのでは……?

 そうと決めたら上ります。
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 思ったより長いです。疲れる。
 ipodから大洋航路が流れてきて、なーにがもう漕ぐのかったるいだこっちはもう歩くのかったるいよ! 言う! 女々しいが言う! と思いました。
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 猫を発見し大人げなく追いかける2×歳児をしてしまう。


 山頂到着。高所恐怖症なのに頑張って展望台の階段を上る。それにしても変な形の展望台ですね。
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 ウオー! シーパラがよく見えるー! いい景色!(脚ガクガク)
 (おそらく)女の子と喧嘩して自棄を起こして野島公園にやってきた主人公が、さらに自棄を起こしてここまで上ってくる姿を想像するとかなりコミカルでいいですね。人間自棄になったらなんでもする。


 ここでひとつの問題が発生します。
 それは歌詞の「Lie down, down, down, down」「眠り込んでしまいそうだ」の部分。
 眠くなる、そして横になるということは、その前までどこかで座っていた可能性が高いんじゃないか? という懸念がわいてきます(喜多さんなら立ってても寝そうとかそういうのは置いといて……)。煙草を吸う、ビールを飲む、という行為自体は立っててもできるものですが、「煙草を吸い」「ビールを飲み」「横になり」「眠りそうになる」という流れを見ると、ベンチかどこかに座っている可能性が高そうな気がします。芝生の上でもワンチャンありますが、芝生の上にシート敷かないで座って酒飲んで寝転ぶの、割とチャレンジャーっぽいですし……。自棄だからなんでもありかもしれませんけど。

 先程の海際の芝生にも、展望台の上にも、ベンチらしきものはありませんでした。シーパラが見える場所で、ベンチが備え付けられている場所ってないのかな? あったら想像しやすいんだけど……と思いながら野島山を降りると、
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 あった。
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 旧伊藤博文金沢別邸の手前にあるスポットです。ベンチがあり、シーパラが見え、モノレールも見え、そのうえ日陰。ロケーション完璧。
 作者の想定にはないとしても、私の中ではイメージに合致するので、ここで決め打ちしようと思いました。
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「運河沿いの公演で煙草ふかして 時化た日曜日」(火曜日ですが)(ちなみに火をつけてないし、吸ってません。去年JT主催の講演会でいただいたものが余っていたので小道具に……)
 せっかくなので曲を流しながら歌っていたら、普通に人が来て恥ずかしかった。

 歌詞を読み返しつつ想像を膨らませると味わい深い。
 時系列には諸説あるかなとは思うんですが、私の読みは「夕べの諍い」を経て翌日「君」が主人公を置いてバスに乗って「走り去っ」て(二人でバスに乗れなくて「君」が徒歩で走り去った、とも読めるか? 地面を蹴飛ばしたのが「君」なのか主人公なのかによるな)、「虚しくなってしまったので」(「止め処なく どこへでも漂って」、つまりふらふらして)「運河沿いの公園で」「煙草ふかして」「昼間からビールを呷ってしまう」という感じ。彼女かその一歩手前のような相手を喧嘩で怒らせてしまい、翌日のデートがご破算になり、ひとり取り残された主人公はさびしく公園で無為な時間を過ごす、という解釈なんですが、そうなるとちょっと喧噪から離れた人通りの少ないベンチはイメージに合うよなぁと。

 遊園地の人々はさすがに遠くて見えませんが、公園でもすでに「人々が鈴生りになって笑う」感はむっちゃ出てました。平和なお昼。
 とりあえずむっちゃ喉渇くので飲み物を持ってくるべきだった(自販機は公園内にあるので買おうと思えば買えます)。


 目的を達成し、八景に戻る。
 八景ではいつもベーカリーハウスアオキの二階でごはんを食べるのですが(フレンチトーストがむちゃくちゃ美味なので、八景に来た際は是非!)、今回はクレオールに来ました。八景といえば横浜市立大学関東学院大学の最寄り駅。学生御用達の喫茶店、ときいて、かねてより気になっていたお店です。
 大学によっては今日も講義あるし、学生いたりするかなー、と思ったんですが、地元の方々が中心といった感じ。店内はレトロかつおしゃれな落ち着いた学生街の喫茶店的な趣があり、いいよな~学生街の喫茶店な~と思いました(語彙力幼稚園児)。
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 学生街のカフェで食いたいメニューランキング二位くらい(私調べ)のミートソース。甘さ控えめ、玉ねぎ大きめ、汁気多め。おいしかったです。
 アジカンメンバーが来たことあるかは知りません。三十年くらい続いてるっぽいので在学時にはやってたお店だと思いますが、男子大学生ってラーメン屋と飲み屋しか行かないんじゃないんですか?(偏見)

 アオキで家族へのお土産を買って八景を後にしました。
 アオキはいいぞ。八景にお立ち寄りの際は是非。
金沢八景駅前のパン屋さん ベーカリーハウス アオキ Bakery house Aoki



 こんな感じだったわけですが、思ったこととしては「聖地巡礼は理論と実践のフィールドワークやな」と……。今回の場合は作者から明言されていない部分を用いているので想像の部分も大きいですが、手持ちの情報から推測を行い、現場に行き、集めたデータをまとめ、って何の課題だよ、って感じがしますが楽しいですね。疲れましたが面白かったです。
 この日の午後は「ソラニン」MVロケ地巡りもしたので、そっちの記事も書きたい。

 この記事を読んでいる方はアジカンファン、特に喜多さんファンだと思うんですが、アジカンのメンバーの名前を捩った登場人物たちが出てくる(後藤・伊地知・山田・喜多という名前の女子高生が出てきます)「ぼっち・ざ・ろっく!」というバンド漫画の連載が始まりまして、是非是非読んで欲しいので最後に宣伝させてください。人見知りを拗らせた主人公のネガティブっぷりがブラックで楽しい上に楽器・バンド描写がしっかりしているという、ブレイクの予感のする怪作です! 本誌で出てきた喜多さんが特にかわいいです!
 作者のはまじあき先生はロック好きにして筋金入りのアジカンファンなのでめっちゃ信頼できます。読もう。
 まんがタイムきららMAXで連載中です。単行本化はまだですがwebで試し読みできるぞ。君も「元気いっぱいの明るいドラマー」「クールで孤高なベーシスト」というキャラ設定ににやけよう。

ぼくのかんがえたさいきょうのアジカン裏ベスト

アジカン公式+(モバイル有料会員コンテンツ)で裏ベスト作って投票してくれ~という企画が発生していたので、自作裏ベスト作りました。
名前は「出頭盤」です。由来は訊かないでください。

※公式+条件:「BEST HIT AKG」「BEST HIT AKG2」「BEST HIT AKG Official Bootleg "HONE"&"IMO"」未収録曲。
※個人的に課した条件:各アルバムから最低一曲ずつ入れる。f:id:h_shibayama:20180401103344j:plain
ちなみに公式+の条件に合致するかどうかはこんな感じです。間違ってたらごめん。



1.Hold me tight<フィードバックファイル
出落ち。出落ちではあるんですけど、英語詞時代のアジカンを冒頭に持ってくることに意味を付けようかと思ったのでここに配置。今回の15曲のテーマは「星を追うものたちの夜明け」なので……(テーマってなんだ……?)
でも純粋に若くしてこの曲を書いたのすげえなと思う。ポップネスがすごい。

2.E<君繋ファイブエム
単純に好きな曲で選ぼうとしてもエピソード補正や思い入れ補正がどうしても抜けないオタクなので、リヴ・フォーエヴァーを引用しつつ「ここから僕のスタート」と歌うこの曲がここに来てしまうんだな。曲としてもストレートにカッコ良くて好きなんですけどね。
君繋だと禁止曲以外ではその訳をと迷った。

3.サンデイ<崩壊アンプリファー
今のアジカンがやってくれなさそうな曲。アジカンにハマりたての中学生の頃、狂ったように聴いていたのでやっぱり思い出補正。ただ歌詞に関しては初期アジカン節が炸裂していてその青さが非常に好ましいんですよね。「喪った/取り戻せないものへの悔恨」をストレートに叙述した一曲。やっぱ……初期アジカンの……暗い曲を……最高やな!
テーマ的にアジカン初の日本語詞である粉雪と迷いましたが、狂ったように聴きまくった補正と、あと粉雪は私が投票しなくてもみんなが支えてくれると思うので……

4.バタフライ<ファンクラブ>
ファンクラブはもうあれ一枚で一曲みたいなところがあるので切り出すのは非常に難しいんですけど、使用禁止曲除くとバタフライ→センスレスになるんですよね。センスレスも惜しかったんですけど、ライブでやってなさそうでみんなも外しそうなほうを選びました。あとここの流れは暗くしたかったので……
「折れる」で残されたわずかな希望をへし折りにくる感じほんとすき。

5.ナイトダイビング<ワールド ワールド ワールド
真夜中の暗い空に星を見た人間は少なからずその星を追い始めますが、星が見えるということは夜にいるということで、暗澹たる世界で走り続けなければいけないということなんですよね。アジカンにもそういう時間があったのだろうな、という意味で、そういう流れの部分です。どういう……?
間奏で唸るギターのかっこよさやコーラスの掛け合い等、ファンならたまらないアジカンの魅力が炸裂する曲でもあります。アルバムではここからどんどん夜が明けていく感じになるターニングポイント。純粋にカッコいいという点で惑星入れたかったな……

6.夜のコール<フィードバックファイル2>
ナノムゲンコンピ収録曲。夜で重ねたのもありますが「ベッドルームから一歩」踏み出す過程として、プレイリストの転換点で配置しました。曲自体もコンピ曲の中では一番好きです。歌詞、このころのアジカンのテーマが集約されていて良い。言語の不可能性を知りながらそれでも言語で繋がろうとする姿勢、文学なんだよな~~~!!! そしてこれは「繋がらない、それでもその先を模索したい」アジカンの(何度も疑い自分を殺しながらも)一貫したテーマに接続可能なんですよね。手の届かない場所に手を伸ばすのがロック……
FF2ではひかりと非常に迷いました。ひかりはもうあれ単体で完成されすぎているしアジカン史として必要だけれども浮いている不思議な作品なので入れたかった。あとリロードリロード……誰か私の代わりにリロードリロードに投票してくれ……

7.振動覚<ソルファ>
新録の振動覚も好きなんですけど、この曲だけは2004年の彼らが歌ったことに意義があると思っています。「特別な才能を何ひとつ持たずとも君の閉じる闇を打ち抜く」という歌詞、何人の人間を救ったんだろうな。私も十代の頃は好きな言葉や座右の銘を訊かれるたびにこのフレーズを、ウッ、頭が……。ソルファは二枚あるからどっちでどう入れるかかなり迷った。
プレイリスト的には前曲から一歩踏み出した先、というイメージ。

8.深呼吸<未だ見ぬ明日に>
未だ見ぬの曲使用禁止曲多すぎて草、でも深呼吸最推しなのでノーダメージだった。迷うことなく選曲。アジカンのやる死生観テーマ大好きで今後もやって欲しい(でも生者のマーチ方面じゃないんだよな次アルバム……)と思ってるくらいなので、その叩き台ともいえるこのあたりの曲はマジで大好きです。アジカンのやる死生観テーマの話してぇな……
曲的にも広がりがありいい意味でアジカンらしからぬ感じで、ラストのジャジーなスキャット(っていうのか?)がいい味出してて好き。

9.長谷サンズ<サーフ ブンガク カマクラ >
稲村ヶ崎極楽寺潰されて困りました。気が合うなゴッチ。ド王道パワーポップ的で素直にサビでエモ~い!と思える曲。ある意味サーフ~の象徴っぽい。そういえばこれも夜の曲ですね。それでも掛け言葉なタイトルからわかるように重すぎず軽やかなところが良いよね。
サーフ~だとあと江ノ島七里ヶ浜あたりが悩みどころでした。

10.1.2.3.4.5.6.Baby<ランドマーク>
昨年6月のワールドツアーで生で聴いて化けた曲。言葉に対して真摯に接してきたアジカンだからこそ映える、難しい言葉を媒介せずとも世界中に伝わるであろう数え歌。ヴァース? ブリッジ? 曲構成が特殊で浅学の身ではなんつったらいいのかわかんないんですけど、数になぞらえた言葉遊びの部分はAll right part2にも共通するものがあり、ランドマークのこういう遊び心いいよね、と思う。
プレイリストの流れ的には小休止感。

11.夕暮れの紅<フィードバックファイル
好きすぎてFFから二曲入れてしまった。アジカンのゆったりめのテンポの曲ではトップクラスの名曲だと思う。ギターが歌ってる感が好き。プレイリストの流れ的には夜から夕暮れに巻き戻ってますけど、「始まりの前に『意味ない』なんて言わないでよ」、そういうことなんですよ。どういうことだ……? 新録ソルファの特典バージョンもよかったですね。

12.橙<マジックディスク>
あれっここも夕暮れだな、時間巻き戻ってるなリバイバルかよ(Re:Re:だけに?)。これも夕日が沈んだ後の新生を僅かな希望からでも望む曲だと思うので……生まれ変わるために沈むんだよな……
マジックディスクは全曲そうですが、歌詞の”圧”がすごい。重い歌詞をポップに歌えるの、本当にアジカンの特権なんだよな。でもこれ前向きなはずのサビでも「何一つ残らなくたって」が重すぎるし「そんな時を想って どうか君よ 笑って」でラスサビが終わってる(つまり実現はしていないんだよな)の本当に救いがないな。救いがないのに前を向いている感の痛々しさがこのときのバンドの状態と重なるところもあり……そういう話をしだすと無限になるのでやめますが……

13.真夜中と真昼の夢<ソルファ(2016)>
そういう日々を送りながらも星を追いつづけているよという流れです。真夜中の夢はまさしく眠りの中で見る夢ですが、真昼の夢というのは星を追うほうの夢だよね……。だからこそ「叶うこと 敵わないこと それよりも大事な何かを」求めることを知る、そういう流れでここに配置しました。あんま考えてないけど……
新録の広がりのあるアレンジめっちゃすき、イントロのシャラララーンがまさしく流星のようで。こういう曲は新録のほうが断然映える。あと何の迷いもなくリライト選ぼうとしたら普通にBHA2入ってた……

14.八景<アルバム未収録>
私だよ!!!(ポプテピピック画像略)
出落ちをやりたかったのではなく、この曲はもうアジカン史のゴールポイントのようなところがあるので、絶対後方に配置したかった。テーマ的にも音的にも真夜中と~からの流れも綺麗だと思います。あとこれ!!!夜~朝!!!朝です!!!カンカンカン!!!おはよー!!!起きてー!!!カンカンカンカン!!!
「誰かの不意なジョークで僕らはまた息を吹き返す/波のない海じゃなんだか味気ないようなそんな気持ちになるでしょう」が文脈なしでもこの文字数でクッソ感情を喚起させられてエモいんですけど文脈(バンドの背景)ありだとエモエモのエモすぎて訳わかんなくなる気持ちをアジカンファンにはわかってほしい。あとギターソロエモい。何もかもがエモい。これをゴッチが歌わないところ含めてエモい。エモいで片付けるな。
未収録曲だと荒野を歩け入れたかったんですけど、荒野はどうせ次のアルバム入るやん、名曲中の名曲すぎてもはや投票の必要がないな(?)。

15.Opera Glasses/オペラグラス<Wonder Future>
ここまできたからにはしっとりで終わらせるより元気に終わりたいので大団円的な曲を持ってきました。WFで好きな曲だいたい人質に取られてるんですけどオペラグラスは無事だった。しかもこれ「探せネクスト・ドア」で俺達の戦いはこれからだ感もあり、テーマに合致していて何気にめっちゃいい流れを作ってしまったのでは?と思います。曲調もころころ変わって楽しい割に終わりはちゃんと締めてるし。
ところで投票の際は曲名正式名称でって書いてあるんだけど、WFの曲はこの形式で書かなきゃダメなのかな……

ASIAN KUNG-FU GENERATION × FEEDER Tour 2017 12月7日/8日(豊洲PIT)

アジカン×FEEDERスプリットツアー、豊洲PIT二日間行ってきました。
一応ライブに行った記録だけは残したいんだけど、セトリとかMCとか自分で覚えてるわけじゃないし、他の方のをそのまま持ってくるのもどうかという感じなので、もう箇条書き的に断片的に書いていこうかなみたいな感じで自分用のメモです。そんな感じのゆるさなので、事実誤認等ありましたら申し訳ない。

・一日目

テナー→アジカンFEEDER
テナーは自身のトリビュートでアジカンが演奏した曲ということでセンスレスストーリー~、本当はこれをやってほしかったとTENDERをやったのがおおーと思いました。曲選自体もいいけど、こういうことを言える信頼関係が垣間見えて素敵ですよね。しかしセンスレス~はノリにくいな……周りで結構戸惑ってる人がいてちょっと笑った。全然関係ないんですけどFrom noon till dawnを聴くと手が勝手にjubeatの譜面を叩きはじめるようになってしまった。ワンマン行こうと思ってて行けなくなったので観れてよかったです。
アジカンはSAIに続きサイレン始まりだったり無限グライダーやったりぶっ飛ばしてて楽しかったです。リライトの間奏のコール&レスポンスでは後藤さんが延々「芽生えてた感情切って泣いて」を繰り返したかと思うとだんだん声を潜めはじめ、会場もそれに倣い、極力ボリューム絞った応酬に笑いが漏れ、しびれを切らした山田さんがベースのフレーズをブチ込む一幕もあって楽しかった。あと新曲も良いぞ……(後述)。
FEEDERはこの日初見。自分が離れてた頃のナノムゲンに来てたんですよねー。以前から聴いたことある曲はあったんだけど、ちょっとspotifyで聴いてみたりしたくらいで、事前知識はそんなになかったです。UKロックのいい意味での湿っぽさを保持しつつも、悪い意味での(というとアレですけど。偏見です)それらがない、すんなり入りやすいサウンドで好きだなーと思いました。あと美メロよなー。Insomnia好きだなー(insomniaって歌詞で言ってくれるので洋楽のタイトルが覚えられない三歳児でもすぐ覚えた)。
アンコールではFEEDERのhigh→アジカン&ホリエさんが登場、NirvanaのBreedを皆で演奏する大団円。「She said!」と皆で叫んで会場が一つになった瞬間でした。
余談ですが自分はこの曲の題名がずっと思い出せず(洋楽の題名に弱すぎでは?)、あー知ってるわ~あの曲だわ~あの曲だよな~とか思いながら盛り上がってて、後でググったらNevermind入ってる曲だったのでですよねーとなった。聴いててよかった高校生時代の自分。知識無オタクなので後でググって知ったけど、こういう歌詞の曲で会場が一体化してシンガロングできるのって音楽の妙ですよねぇ。

ツイッターには書いたんですが、中央上手側くらいで観られたため、余裕をもって周りの状況が見渡せて、いろんな人が楽しんでる姿を見られたのも楽しかったです。アジカンのときRe:Re:やループ&ループで顔を見合わせてニッコリ笑い盛り上がってたお兄さん二人組、めっちゃ素敵でした。リライトではやはり爆発的な盛り上がりで自分の位置にも限らず雄叫びが会場を満たしていて、サビ前で感極まりすぎたのかギャアア○△□×※ーーー!!!みたいなもう言語化不可能な叫び声を上げていた人が印象的。あと会場でのことじゃないんですけど、終演後に近くにいたFEEDERファン(恐らく世代の方なんだろうなぁ)が「今日のグラントは楽しそうだったなぁ」「フジロックの話してたけど来るのかなー」とやりとりされてたのが聞こえてこっちまでほっこりしました。こういうのもライブの楽しさかなぁ。自分もFEEDER詳しい人に解説してもらいながら聴きたかった。

終演後に買おうと思ったらFEEDERベスト完売してて泣いた。

・二日目

アート→FEEDERアジカン
アートはNANOで観たことあった気がしたけどその日行った記録が見つからないので初見かなー。九年前のこと覚えてねえ……。世代的には合ってるんだけど数曲しか知らないレベルでお恥ずかしい。
二日目は最初上手寄り二列目くらいで観れてたので、戸高さんの轟音ギターが間近で余すところなく観れてむちゃくちゃ楽しかったです。かっこいいギタリストですね……素敵だ……。木下さんの独特のボーカルといい音に酔えるバンドやなーと思ったのでちゃんと聴いていきたいです。ゴッチの好きな曲、と言いつつFADE TO BLACKをやらない、と思わせておいて最後にやってくれたんですね。ええなあそういうの。てかベース中尾さんなんですねー! すごいなー! 木下さんのたどたどしいMCも味があって笑いました。
FEEDER二日目。アガりどころがなんとなくわかってきたし、メンバーに煽られるのも近くで観れるんで(タカさんめっちゃ近かったわー!)、一日目でゆっくり聴けたのもあり、今日は盛り上がろう、とファンの方々に紛れてギャー!とやってきました。すっごい激しいな! ダイバーも出てたみたいで。Lost&Foundでもみくちゃにされてもうわけわかんなくなりながらも跳びまくって楽しかったけどたいりょくはなくなった。Just a DayとかFeeling a Momentではもう誰のファンとか関係なしに皆で合唱してめちゃくちゃ楽しんでしまった。FEEDERファンの方々ありがとうございます。
この日思ったのは、FEEDERって音が太いんだけどそれが嫌味に響かなくてすごいなと。アジカン含め日本のバンドだと、バスドラの音がお腹にグエッって響いて気持ち悪くなることがあるんですけど、FEEDERはその嫌な感じがなかった。専門的なことは全くわからないので何とも言えないんですけど、そういうところも含め音作りからして日本のバンドとは違う感じがするし、正直アジカンよりすごいな(キャリアからして当たり前なんですけどね)と感じてしまった。
トリのアジカン。楽しかったのは楽しかったんですが、流石に前方は体力消耗がヤバくて中盤のMCでいったん抜けて後方で観ました。ブランクが長い自分が言えることではないかもですけど、久々にむちゃくちゃ激しいアジカンだったな……という感じ。前日に比べWonder Future曲ブチ込んできたのもあって本当に激しかった。
リライトは前日に続き謎小声タイムで笑いが起こっていたし、なんか「今日は時間押しちゃダメって言われてるんで……」とか言いながらもやっててじゃあやるなよ!笑って思ったし、むしろ前日よりバリエーション増えて長くなってたのでロックだなぁと思いました。笑。
ソラニンや今を生きては後方で踊れてよかったな、という感じ。荒野や今を生きてみたいな新しめの曲がちゃんと盛り上がるの、とてもいい状態だなーと感じます。特に荒野はかなり盛り上がっていたのでアジカンの新定番になるんじゃないかなーと。「ラルラルラ―!」の多幸感が半端じゃない。
アンコールはFEEDERメンバーが登場、アジカンに曲提供したSLEEPという新曲を演奏。あっこれむちゃくちゃFEEDERですね……うわかっこいいな……というアップテンポな曲でした。歌詞、もしかして英語→日本語って両方使われてます??? 歌詞あまり聴き取れなかったけど、もしや生者のマーチと地続きなんじゃないかな、という部分があり、どういう形でリリースされるのか非常に気になります。アジカンのやる生と死のテーマが何より大好きオタクとしてもな。
ラストナンバーは前日も演ったBreedを二バンド(昨日はFEEDERメインでしたが今日はアジカンメイン)+木下さんで。FEEDERメンバーがコーラスしたりわちゃわちゃステージで遊んでたのがすごいかわいかったです。ハッピーでピースフルなステージでした。

ベストが売り切れだったので聴いてなかった「ジェネレイション・フリークショウ」買って帰りました。

・総評とか思ったこと

アジカンは影響の樹系図をすごく大事にしているバンドで、10代の頃はそこに多大な影響を受けて様々な音楽に手を伸ばした記憶があるのですが、本当にそれが変わらないんだな、と再確認しました。アジカンにとってFEEDERって影響を受けてきたバンドで、いわば樹系図に連なる存在だと思うんですけど、そこが繋がったことも幸福だし、この会場に来ている人たちがさらにその樹系図の末端になっていくんだよなぁ、と思うと感動もひとしお。あと、やっぱビッグネームとの共演だけあって、アジカンの演奏にもすごいいい影響があったんじゃないかなぁと。相乗効果。アジカンも苦難の時代があったし、FEEDERもいろいろ乗り越えてきたものがあったわけで、なんかそういうことを思うと、この共演は感慨深いな、と思えてしまう。タカさんがおっしゃっていた通り愛だな。。。
自分としてもこんなスゲーバンドを観る機会をくれてありがとうという思いです。また来日したらぜひ観たいなぁ。今度は後ろでゆっくり。。。笑
あと、前述したように日本とUKのバンドの違いみたいなものが観られたのもよかったです。洋楽に明るくないので勉強になります。多分日本には日本のいいところがあるんだろうけど、他者のいいところは取り入れていけたらよいよね、と思う。
「未来、繋ぐ。」で喜多さんだったかなー、アジカンはスーパープレイヤーが集まったバンドじゃないということをちょっと自虐的におっしゃっていた気がするんですが、大学の軽音の友人たちで結成したわけで確かにそれはそうなんだけど、だからこそ手許にあるカードだけでどう切るかってところにめちゃくちゃ注力してるある種尖ったバンドであると思っているので、そういうアジカンの良さ(はつまり最大限自分たちのプレイスタイルに特化した曲の良さだと思う)が再認識できたのもよかったです。FEEDERのスゴさと比較して相対的にアジカンの武器を発見し直した感じ。

・生者のマーチについて

別枠を設けるくらい好きなんですけど、冒頭の泣きの3コードの時点でウワー!これ絶対好き!絶対好きでしょ!と思わされるゆっくりめのテンポの曲で、歌詞はインスタでちょろっと公開されてた通り死者と生者の話っぽいんですよこれ。仙台公演のMCでもそういう話をしてたっぽい(伝聞)んですが。生者はいつも死者の国と隣り合わせの世界にいるし、死者が生者を規定するし、生者はそれを背負って生きていかないといけねえんだよな……(こいついつも伊藤計劃の話してんな……)
歌詞の面では「マジックディスク」がすごい好きで、何故かというとアジカンというか後藤正文のやる死生観の話が好き(なのでソロ1stももちろん好き)なんですけど、そういう意味で自分の琴線にすごく触れる曲になりそうで楽しみです。クソデカすぎるテーマと相対しながらもそっと背中を押してくれるのがアジカンの良さだと思っているので。
曲の話しますね。テンポ的に海岸通りみたいな感じなのかなあと思うところもあったんですが、それよりもっと感情的というか激情的な側面があると思います。後半声を張り上げる場面もあってすごくエモーショナル。ラストのギターがまた泣きのギターで、荒野を歩けに続いてまた違うベクトルで歌うギターを堪能できる曲です。みんなonly in dreamsのアウトロ大好きだろ!?
生者のマーチというタイトル、聖者の行進にかけてるのかなとも思ったんですが考えすぎでしょうか。聖者の行進は死者の葬送に使われる黒人霊歌なので、テーマ的にも接続しているかなーと。死者が天国へ向かう行進と生者の地上での歩みで対比になるよね。まあ妄想かな……。妄想楽しいですね。
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11/26 ASIAN KUNG-FU GENERATION 映像作品集13巻~Tour 2016 – 2017 「20th Anniversary Live」 at 日本武道館~ 先行上映会


ASIAN KUNG-FU GENERATION 映像作品集13巻 ~Tour 2016 – 2017 「20th Anniversary Live」 at 日本武道館~ (Trailer)


 当たったので都内某所行ってきました。抽選で25組50名の中に潜り込めました。神音響だった。
 DVD出てからじっくり観て感想書けばいいじゃんって話なんですが、先行上映会の目的って、行った人に口コミで評判広めてもらって購買意欲を煽るためだと思うので、その思惑に加担したくて筆を執りました。

 いや~~~もうマジでアジカンファンが買ったほうがいいです。当日のライブ自体が最高だったということもあるし、撮り方もちゃんと撮ってほしい・観たいところをばっちり映してくれてたので、素晴らしいDVDになると思う。
 ていうかマジで20周年ライブのセトリが良さすぎるんです。三時間のボリュームですよ。ソルファ全曲再現ですよ。昔のアジカンのほうが好きー! 今はわかんなーい! って人もいるし、最近追いかけ始めたんですよねー、という人もいるだろうし、いやいや全部好きですパターンもあるし(自分です)、それは様々なんだろうけど、たぶんどんな立場のファンの方も納得できます。この内容。MCで後藤さんが「最近の曲より昔の曲が盛り上がっても別に怒らないからね(笑)」的なことをおっしゃっていましたが、マジでどこのアジカンが好きなどの世代のファンでも受け入れる懐の広いライブだったように思う。
 記事書いたように、自分は武道館一日目に行ったんですけど、こうして二日目観てみると甲乙つけがたいですね。ただ、映像にするならこっちだなーとは思った。MCの内容とかも20年の総括になっていたなぁと。でも一日目もよかったですよ! 夜のコール! 転がる岩弾き語り! 喜多さんコーナーの八景はむっちゃ羨ましい(でも嘘ワンも最高だったよ)!

 買おうね



 以下はしょうもない曲ごとの感想です。DVDの感想というより思い出語りだこれ。

遥か彼方
 紗幕に包まれたキューブ状のセットがドドン。今回のライブはこのセットを中心として光や映像の演出がふんだんに用いられており、視覚にも楽しいステージでした。山田さんにスポットが当たり、お決まりのベースのベンベベベベベベ……から始まりグワーッと会場を引き込む。
 この曲、インディーズ初&メジャー初(再発なので両方ですね)の『崩壊アンプリファー』の一曲目を飾る曲であり、歌詞もストレートに「なんかもういろいろあるけどこれから突っ走っていくぜ俺たち!」的な色彩の強いものなんですけど、それをこう、20周年記念ツアーの一曲目に持ってくるの、最高すぎますよね。エモの意味かよ。曲自体が全く異なる決意の歌に聴こえるから、年月ってすげえなって思います。

センスレス
 「キミガココニツクナリハイタタメイキ……」の『the start of a new season』リバイバル文字列。ライブレポでも書いたけど本当に本当に本当に激アツ。このツアーは結構過去のツアーや作品を思わせる演出が多く、そういうの普通に涙腺に来るからやめてくださいって感じです。
 プログレチックにバンバン展開を続けて最後に爆発する名曲ですが、ラスサビで後ろのスクリーンが白く光って会場が徐々に照らされていく演出が、まさしく「闇に灯を」で最高。
 細かすぎて伝わらない後藤さんの好きな歌い方その一:「おんそーくのスピードで文字によっおっお↑~おお~う」

アンダースタンド
 ライブアンセム。こんな昔の曲が未だにこうして盛り上がるのすごい。曲に併せて手拍子する大勢の観客が映されるとそのあたたかいフィーリングに涙腺が緩む。
 「歪んだ日~の君~を、ウォウ、ウォウ、捨てな~いでよ~、イェー!!(観客叫ぶ)」で紗幕落とす演出を最初に考えた人にノーベル平和賞授与したい。センスレスもそうですが、「闇の向こうに光を見る」アジカンの曲のスタンスを舞台演出がよく理解しすぎている。

暗号のワルツ
 は? マジ? 二日目暗号のワルツやったんか? マジで? 『ファンクラブ』期のあの繊細できらめいていて切ないギターから始まる変拍子ソングは猛烈に美しい。あとキーボードのピアノ音色がすっごい映えてましたこの曲。こういうガチンコギターロックバンドのサポートメンバーって賛否両論になりがちだと思うんだけど、アジカンはかなり良いように作用してるんじゃないかなー(曲にもよるけど自分はおおむね賛成派です)。
 それにしても、『ファンクラブ』、「君に伝うかな 君に伝う訳はないよな」で始まるアルバムって相当に壮絶だ。伝わらない、でも伝えたい、そのアンビバレントとずっと取っ組み合いを続けてきたバンドであることの象徴ですよ。これを武道館で歌うんですよ。この話は曲で喩えると大サビなので何度でも言います。何度でも暗号のワルツがすごいと歌え。

ブラックアウト
 一つのリフを少しずつ形を変えながら最後まで引っ張るアジカンの曲構成を、「最後に伏線回収するミステリみたい」と言われたことがありまして、この曲は典型的なそれだと思います。何も考えなくても身体が揺れるダンサブルなロックなんですけど、そういうところも面白くて、何度聴いても飽きない。あとライブでのコーラスがすごい綺麗ですよねぇラストとか。
 歌詞、「今 灯火が此処で静かに消えるから 君が確かめて」って、消える灯火は命ですよね。命の終わりをちゃんと見届けろってことだよね。『マジックディスク』期における「いつか終わる生命」というテーマのさきがけがここに見てとれます。まあ、この曲のテーマはどっちかっていうと『ファンクラブ』期の「デジタル―身体性」の部分だと思うんだけど。センスレスとかも。
 細かすぎて伝わらない後藤さんの好きな歌い方その二:「ただ~たっち~つっく~す~ぼっくの~よ~わ~さ~とぉ」(音源だと「ぼっくっの~」なのがちょっとずらして歌ってるやつです)(あと、ラスサビのここの「僕の」のところのベースが半音ずつ上がるやつめっちゃ好きなんですけど、これ音楽用語で何て言うんだっけ???)

君という花
 元祖四つ打ちダンスロックは本当にいつ聴いても無敵すぎるし、こともなげに曲に入っていくところめっちゃカッコいいですよね。君という花の入りはその時々によって様々なパターンがありますが、今回は大人の余裕を感じます。この曲で踊る観客たち観てるの楽しい~~~。PV懐かしい~~~。武道館を一杯にする「ラッセー!ラッセー!」も感慨深い。
 初期アジカンは特に「技術的に出来ることが少ないからこその創意工夫」がめちゃくちゃ曲に見て取れると思うし、この曲もそうだと思う。難しいことをやらなくてもカッコいい。それはすごいことだ。

粉雪
 自主制作時代から存在した曲であり、アジカンの初日本語詞。そんな曲を「懐かしい曲やりま~す」ってやり始めるのマジで反則なのでやめてください。嘘。やってください。
 『崩壊』期特有のなんかよくわかんないけどすごい過去を悔やんでることがわかる歌詞炸裂。ライブでの喜多さんのコーラスも良き。アジカン、もっと疑似ツインボーカル的な曲出してくれ~! 昨今のキタケンボーカルムーブメントの流れでどうか一曲! 『ナイトダイビング』とかさあ、自主制作だけど『Nothing is the matter?』とかさあ。
 20周年の文脈で聴くとまた違った感慨がある曲ですね。背景で延々雪降ってておもしろい。

マーチングバンド
 それでも僕らは息をしよう――『マジックディスク』期のテーマを総括しながらもわかりやすい言葉でかみ砕いた傑作シングル。ベスト以外のアルバム入ってないのがもったいなさすぎる。
 セッション的な流れからじわーっと始まっていくのが壮大なこの曲にぴったりマッチしている気がします。中期(?)アジカンの軌跡、という感覚の曲だなぁ。ラストのコーラスなんて歌ってるのか未だにわかんねぇ。

踵で愛を打ち鳴らせ
 マーチングバンドに続いてハッピーでピースフルなフィーリング(カタカナ多いな……)の流れ。『ランドマーク』の目指すところはここに帰結してるんだろうなと思う。キャリアの中では比較的新しめの曲ですが、お客さんたちがちゃんとノっているところにアジカンのマジックを感じる。

今を生きて
 そのハッピーな流れがここに繋がるんだよな。作曲クレジット四人の曲で感慨深いよね。イェー!の歓声が楽しい。下村さんの八面六臂の活躍も見れるぞ。
 前述のマジディのテーマ、ここにも脈々と流れているように思います。「数十年で消える弱い愛の魔法」だから「今を生きて」噛み締めるしかないんですよね。ライブは一夜の輝き。生命も一瞬の輝き。そこに符合があるから、人々はライブに向かうのだと思います。多分。

E
 オアシスの映画の話からEに繋げるの卑怯ですよほんともう。意図的すぎるセットリストだろう。『リヴ・フォーエヴァー』のソロを難なく弾き倒す喜多さんのギタリストとしての大成っぷりに涙が出ますよ……
 これもまた、『遥か彼方』と同様に自分たちの門出を歌ったものだと思うんですけど、やっぱり今やると全然文脈が違って聴こえますね。20周年を迎えたうえでの「ここから僕のスタート」ですよ。「広がりゆく未来へ」。「できる限り可能な限り遠くまで」。
 音楽文.comに掲載して頂いた文章でも語り倒しましたが、この20年でアジカンの背負うものは随分大きくなって、それが時に重荷にもなったと思うんだけど、それすら背負って歩いていく気概を今のアジカンには感じるんですよ。アジカンという呪いすら飲み込む胆力。この四人が集まると変なパワーが生まれる、それは素敵なことだ、と後藤さんはMCで言っていたけど、それをこの曲の「語り直し」で感じた。

スタンダード
 で、『E』の次にこれ持ってきたのも意図的でしょ? だってこれ、俺たちはこれからも歌い続ける、喩え周りに忘れ去られても、って曲じゃないですか。これから先、アジカンがどんな形態になっても、どんな場所でも、それでも歌い続けるよってことを、『E』のテーマの延長線上で言いたいわけじゃないですか。ハァーーー……そんなん言われたら一生ついていくわ。20周年のライブでそういうことやるのがアジカン……ホント好き……。 

ブラッドサーキュレーター
 それでさ~その流れで「情熱燃やしたあの頃を心血注いで取り戻すんだ」ですよ。これアニメタイアップ曲だけど、やっぱ自己言及的な色彩が強いよね(そもそもかの『リライト』だってタイアップだけど内容はCCCDへの皮肉ですし)。この流れはほんとよく考えられてるなーと思います。

月光
 ライブレポでも言ったけど何度でも言わせてくれ、月光終わりは本当に卑怯。静謐なピアノから始まり、月の光を思わせる照明、轟音で鳴くギターと泣き叫ぶような歌、そして響き渡る音の残滓を残して去っていくメンバー……。救いのない歌なんだけど、それでも切ないまでに美しいね、何回聴いても。
 アー写のロン毛で笑いが起きるとこ何度見ても草生える。

振動覚
 ハイパーソルファ全曲再現タイムの二部スタート。奇しくもこれも自己言及的な歌詞。ヒットアルバムの一曲目で「特別な才能を何一つ持たずとも」って歌ってしまうところもすごい(これは別に凡才という意味ではないとは思いますが)。なんで一曲目にすごい歌詞多いんだアジカンは。

リライト
 このブログでも記事書いたし先日のアシッドマンフェスでも思ったんだけど、我々の世代では殆どの人間が知っているヒットソングで、まあアジカンのライブに来る人で知らない人はいないだろうなってアンセムで、同時に作者の手を最も離れて羽ばたいた曲でもあると思う。それに対しては多分複雑な部分もあったと思うし、それこそ君に伝うわけはないよな~あ~ああ~みたいな心地にもなったと思うんだけど、それもまた音楽みたいな境地に達した感はありませんか。ないか。リライト以外も聴いてくれとか言ってるもんな。
 アジカンファンだと好きって言いにくい雰囲気ある曲だけど、でもやっぱりアジカンの象徴ではありますよ。アジカン特有のコーラスワークもないしブリッジでがらっと曲調変わるところは独特だしPVでは宙に浮いたり水に沈んだりしますけど、それでもなんかこう、曲の魂がアジカンを表現している曲じゃないかなぁ。前述のようなリフ推し曲でもあるし。
 今回の間奏アレンジは新録『ソルファ』同様、ギターがセクシーでエロい感じ。空間系エフェクターっていうんですかね、楽器のことはよくわかんないけど、あの色気と余韻ある響きかっこいいよね。「芽生えてた感情~」のコールアンドレスポンスも武道館だと圧巻。

ループ&ループ
 「『君と僕で絡まって繋ぐ未来』『積み上げる弱い魔法』をうたうこの曲で過去の歴史を振り返るの最高すぎませんか」というライブレポの文面を再度引用させてください。バックに表示される歴代CDジャケットたちがマジで涙腺を直接攻撃してくる。これもまたライブアンセムな曲ですよね。

君の街まで
 この順番に慣れない。冒頭のアルペジオからかつてのアジカンより遥かに基礎体力が向上してしっかりした演奏になってる感がしますよね。今回は全部通して喜多さんがすっごい安定してるなーと思う。ラスサビ前のクラップで会場が一つになる感、それを見ての後藤さんの笑顔、とても素敵です。これも自己言及的な曲なのかなぁ。

マイワールド
 なかなか生で聴く機会のない曲ですが大きい会場が映えますね。この辺の『ソルファ』の曲はかなり自己言及の側面が強い気がします。彼らが「一度だけ最後まで乗れた低く白い波」はどこまで行くんでしょうね。あ、これ『八景』に繋がらないか……? 「白波を分け行く未来」に……

夜の向こう
 この後の不穏な曲たちの片鱗をちょっと感じさせつつも、美メロとラスサビにかけての盛り上がりが映える。この辺の曲はお客さんみんな聞き入ってる感じがして、聴かせることもできるバンドなんやな~という感じ。アルバム曲だしね。

ラストシーン
 照明めっちゃくちゃかっこいい……。ギターの紡ぐ音に合わせて光が走るのむっちゃかっこいい……。ふわふわしていて悪い白昼夢みたいで、不思議な曲ですよね。この曲のコーラスもいいよなあ。アウトセーフマグワイア(懐かしいネタだな……)。

サイレン
 ドラムーーー! 潔さんがむっちゃかっこいい曲です! 音に合わせて投げかけられる光とか赤い照明とかむっちゃかっこいいよな。でもあの映像はなんなんだろうな。いい意味で今のアジカンは作らなさそうな曲なので、今のアジカンで観れるの楽しい。

Re:Re:
 マジで新録のアレンジがライブ定番のアレでクソほどかっこよくて、新録『ソルファ』買った一因となった曲なんですけど、ぶっとい安定感のベースから始まり徐々にバンドのアンサンブルが形成されていく感じかっこいいですよね。この曲のギターも色気があって好き。
 ドキュメンタリー本見たら最後の一音外したって書いてあったけどそうだっけ……(うろ覚え)
 
24時
 後藤さんの「かっこよく歳を取りたい」、つまり菩提樹荘の殺人なんだよな。(ミステリの話を挟まないと死ぬオタク)
 「妙な縁で添う君や僕たち」とはまさしく我々とアジカンのことだと思うんですけど、そう思うとこの縁がよくぞここまで……という気持ちになります。しかしこの歌詞は傑作だなぁ。

真夜中と真昼の夢
 一日目は盛大にトチってたんですけどこの日は大丈夫そうで安心しました。やさしくやわからなギターの音色が美しい。これも「僕」がアジカン、「君」が聴き手となる歌詞ですよね。そう思うとソルファって本当に「歌うこと」の歌が多いんだな。アジカンらしいといえるのか。

海岸通り
 はい! 涙腺崩壊! NAOTOさんのストリングスチームを加えての演奏が抜群に最高。『海岸通り』にストリングスは鬼に金棒ですよ。マジで『Whatever』みたいな壮大な名曲になる。
 ツイッターで「海岸通りの「『陽で朱に染まる……』という歌詞に併せて照明が朱色一色になるんですよ……そして曲が終わると白に変わってメンバーが捌けていくの……エモの意味かよ…………」って言ってたのをそのまま言いたいです。アジカンにはいつもエモの意味を教えられまくっているな。
 細かすぎて伝わらないんですけど、アウトロのストリングスの「テーレ↓レー、テレレーレーレー、テーレ↑レー、テレレーレレーレレー」のこの部分のハーモニーめちゃくちゃめちゃくちゃに好き。

ソラニン
 アンコ一曲目。後藤弾き語りタイム。立つなり座るなりトイレ行くなり帰るなり……
 中津川ソーラー行ってキタケンバージョン聴いたときに思ったんですけど、この曲って曲としての強度が他のアジカン曲に較べても断然強くて、歌詞を誰が書こうがどんな楽器で演奏しようがどんな声で誰が歌おうが、圧倒的な曲の力を発揮できる歌だと思います。そういう強度でいえば『リライト』よりも上に感じるくらい。だから弾き語りでギター一本でもすごい映えるんだよね。さよならを告げる曲なのに切ないだけじゃなくてそこから立ち上がる力強さもある。あと漫画『ソラニン』新装版読んだばっかなので沁み具合もちょっと上がりました。

ワンダーフューチャー
 弾き語り二曲目。武道館一日目、あまりワンダーフューチャー聴き込んでないときに生で聴いてすごい衝撃を受けたんですけど、この曲のもつ寂寥感というか、戻れないところまで来てしまったなぁという感じがひしひしと伝わってきてヤバいです。未来に対する希望ともう戻れない諦観の混じり合った絶妙な心境を表現している不思議な作品だよなぁ。

タイムトラベラー
 キタケンコーナー一曲目。歌めっちゃ巧なってない? あとギターソロが地味に渋くてイカす。
 『シーサイドスリーピング』が喜多さんイメージ、『八景』がアジカンイメージだと考えると、この曲も実は自己言及的というか内輪ネタ(?)というか、自分たちのことを指しているのかな、と思います。この曲、冒頭から「タイムトラベラー」が体験したことが綴られて、その後にそこが作中作というか、「君」が綴る物語であることがわかる二重構造なんですね。「君」は絵空事を綴り、それを語り、願いを託し、それを「僕」が歌う。これ、そのまま後藤さんが歌詞を書いて喜多さんが歌うこの曲自身の構造に重なるなぁ、と思っていて、そういう意味だったらちょっと感慨深いなぁと。

八景
 あの、『八景』大好きなんですけど。二十周年を思わせる歌詞を表題作ではなくカップリングに仕込むこと、そのタイトルを四人が学生時代を過ごした場所から取ること、そしてそういう曲を自分で歌わず他の人に歌わせること、全部後藤正文らしすぎるというかアジカンらしすぎるぞ。
 「誰かの不意なジョークで僕らはまた息を吹き返す」「波のない海じゃなんだか味気ないようなそんな気持ちになるでしょう」本当にアジカンにぴったりのフレーズすぎて様々な歴史が喚起されるし、ときに波立てながらもちゃんと心から音楽に向き合ってきた彼らの軌跡を思うともう……。
 そして20周年ツアーならやっぱこの曲でしょ、ということで、生で聴けた人本当に羨ましいです。コーラスワークとギターのハーモニーが素敵ですよねぇ。テンポの変化も楽しい。

さよならロストジェネレイション
 ストリングスチーム再び。ほんと、ここからの二曲だけで記事書けるやんというくらいラスト二曲が素晴らしいんだよな。
 バックスクリーンのタイポグラフィ演出もかっこいいし、かっこいいだけじゃなくて、この曲は「閉塞した時代で、いつまでも自意識の檻に籠ってる場合じゃねぇ、新しい道を歩もうや」みたいな意味合いがあるので、これからまた新たに歴史を重ねていくアジカンに相応しい曲でもあるんですよね。イントロのあのフレーズを優美にストリングスが奏でる時点でもーーー涙腺!!!

新世紀のラブソング
 は? 神か? 完結編か?
 「始まれ21st」とバンドの21周年目を重ねるの天才の所業か?
 イントロのブレイクビーツでもう空気ががらっと変わるし、音源の逆回転ギターがライブだとあんま再現されなくて結構悲しかったりするんだけどそのフレーズをストリングスがやっててまた全然違う響きになっててすっごいかっこよくて、そうやって厳かに始まった曲に後藤さんの個人的な告解を語るような歌声が乗っかってきて、青春の挫折が語られて、そこから地続きで君や死や世界に話が進んで、それでも世界は続いていくってことが歌われてさあーーー。もうこの曲好きすぎて何も語れねえ。語彙力が幼稚園児だから。
 これ、祝福の歌なんですよね。哀しみに満ちた旧世紀を今からでも過去のことにして、新しい時代を始めようっていう。これが震災の二年前の2009年に出たのは本当に皮肉な話ですが、でも今からだって遅くはないんだよって話ですよね。アジカンはいつでも来たる新世紀に希望を見出してるんだよ。
 ストリングスが入ると、マジでこの世界を祝福しているようで、またはじまる明日を、何度でも生まれ来る新世紀を言祝ぐ歌なんだなっていうのが実感をもって肌に迫る。で、祝福は愛ですよね。祈りは愛ですよね。だからラブソングなんだよね。生まれくるものを祝う歌なんだよな。君の涙は生まれるものの涙。いくらでもクソポエムが書けるぞこの曲。
 あと、トレーラーの時から話題になってた(というか自分が話題にしてしまった……?)話なんですけど、「不確かな想いを愛と呼んだんだ」のところの喜多さんの目許に光るものがあるというアレ。汗なのか涙なのかは本人のみぞ知るところですが(しかしカメラはどう考えても意図的に涙に見せようとはしてると思う)(カメラマンってすげえな)、「ほら君の涙」って歌詞の前にこれ持ってくるのマジですごいっすね。喜多さんもカメラマンの方も持ちすぎだろう。
 この曲をラストに持ってくることを考えたの誰か知りませんけど、偏差値3000000000000億ある。


 以上とても頭の悪い感想で申し訳ございませんでした。MCの話とかも全然してないので、その辺は別の人に聞いてください(丸投げ)。
 映像作品集13巻、絶対に買ってくれよな。自分は予約済みです。